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惟喬親王の乱⑨ 十輪寺 『惟喬親王と六歌仙』


トップページはこちらです→惟喬親王の乱① 東向観音寺 『本地垂迹説』  
惟喬親王の乱⑧ 惟喬親王にろくろ首のイメージ?  よりつづきます~

「小野小町は男だった」もよかったらよんでみてね。

十輪寺 庭 

十輪寺 三方普感庭 由来 
 

①文徳天皇が藤原明子の世継ぎ誕生を祈願したというのは藤原氏の嘘。

十輪寺(京都市西京区)は文徳天皇が藤原明子の世継ぎ誕生を祈願した場所と伝わる。
しかしこの話は疑わしい。

文徳天皇には紀静子との間に長子の惟喬親王(これたかしんのう)、藤原良房の娘・藤原明子との間に惟仁親王(これひとしんのう/のちの清和天皇)があった。
文徳天皇は惟喬親王を皇太子にしたいと考え、源信に相談している。
文徳天皇が世継ぎにしたいと考えていたのは藤原明子所生の惟仁親王ではなく、紀静子所生の惟喬親王だったのだ。
源信は当時の権力者・藤原良房を憚って文徳天皇を諌めたことで、惟仁親王が皇太子になったのだが。

子供が無事に生まれてくることを願わない父親などいないかもしれないが、伝説では「文徳天皇が世継誕生を祈願した」とある。
これは「文徳天皇が藤原明子が生んだ子を世継、すなわち皇太子にしたいと望んだ」ということである。
藤原明子は惟仁親王を産み、惟仁親王は生まれたばかりで文徳天皇の皇太子になった。

しかし、実際には、文徳天皇は惟仁親王ではなく惟喬親王を皇太子にしたいと考えていたのだ。

十輪寺は文徳天皇の勅願所から藤原北家の菩提寺になったとされるところから考えて
「文徳天皇が藤原明子の世継ぎ誕生を祈願した」というのは藤原氏がでっちあげた嘘だと考えるのが妥当だと思う。

平家物語には藤原良房(明子の父・惟仁親王の外祖父)と紀名虎(紀静子の父・惟喬親王の外祖父)がいずれの孫を立太子させるかでもめ、高僧の祈祷合戦や相撲などのバトルを繰り返した結果、藤原良房が勝利したと記されている。
この物語は史実ではない。
というのは、惟仁親王が生まれたとき、紀名虎はすでに亡くなっていたからである。
しかし、藤原氏と紀氏に確執があったことは確かだろう。

十輪寺 しだれ桜

⓶腹帯地蔵

十輪寺の本堂は鳳輦(ほうれん)の形をしている。
鳳輦(ほうれん)は、「屋根に鳳凰の飾りのある天子の車」「天皇の乗り物」という意味で、鳳凰の飾りのある神輿のことを鳳輦という。

この鳳輦の形をした本堂の中に、伝教大師作と伝わる地蔵菩薩が祀られている。

この地蔵菩薩は腹部に腹帯をまいておられる。
染殿皇后(藤原明子)がこの地蔵菩薩に祈願して惟仁親王(清和天皇)を御産みになられたところから、腹帯地蔵尊とも呼ばれ、子授け安産にご利益があるとして信仰されている。

私たちは藤原明子が地蔵菩薩に祈願して惟仁親王を産んだという話を、以前に何度か聞いている。
そう、染殿院や清和院も同様の寺だった。

惟喬親王の乱⑥ 染殿院の腹帯地蔵は惟喬親王のイメージ? 
惟喬親王の乱⑧ 惟喬親王にろくろ首のイメージ? 

この延命地蔵は染殿院や清和院の地蔵菩薩と同じく、惟喬親王のイメージが重ねられていると思う。
今も惟喬親王を偲んで行われている雲ヶ畑の松上げは地蔵盆に行われており、惟喬親王には地蔵菩薩のイメージがある。
惟喬親王の乱⑤惟喬親王の本地仏は地蔵菩薩? 


そして藤原氏は地蔵菩薩を惟喬親王にみたて、「あなたが身をひいて皇太子になるのを諦めてくれれば、藤原明子が生んだ皇子が皇太子になれる」と祈願したのではないかと思う。

⓶在原業平と紀氏、藤原氏の関係

晩年の在原業平がここに隠棲していたといい、十輪寺は別名を「なりひら寺」という。

業平は惟喬親王の寵臣だった。
また業平は紀静子(惟喬親王の母)の兄・紀有常の娘を妻としていて完全に紀氏側の人間だった。

十輪寺は藤原北家の菩提寺だったということを思い出してほしい。
業平は惟喬親王に仕えており、惟喬親王は藤原氏と確執があるのに、在原業平が藤原北家の菩提寺に隠棲したりするだろうか。

この伝説も怪しいと思う。

③十輪寺に残る在原業平のおもかげは偽りか?

十輪寺の回廊で囲まれた中庭には美しいしだれ桜があり、なりひら桜と呼ばれている。

十輪寺 しだれ桜2 
しかし江戸時代後期に描かれた都名所図会 旧十輪寺風景には桜は描かれていない。
http://www.nichibun.ac.jp/meisyozue/kyoto/page7t/km_01_332.html
この桜は推定樹齢200年ということだが、それ以前には桜はなかったのだろう。
この桜がなりひら桜と呼ばれているのは十輪寺が別名をなりひら寺というところからくるものだと思う。
境内にはなりひら楓、業平の墓、業平が塩焼きを楽しんだという塩釜もある。

十輪寺 在原業平の墓 

在原業平の墓

十輪寺 塩釜 
塩釜

しかし、⓶で述べたように、在原業平が藤原氏の菩提寺に隠棲したとは考えにくい。
ただし、もともと十輪寺は紀氏または在原業平の邸宅であり、のちに藤原氏の所有になった可能性はある。

十輪寺 業平紅葉 

十輪寺 業平紅葉


④惟喬親王と六歌仙

十輪寺には六歌仙の絵像が飾られていた。


十輪寺 六歌仙 


六歌仙とは古今和歌集仮名序で名前をあげられた六人の歌人、僧正遍照・在原業平・大友黒主・喜撰法師・文屋康秀・小野小町のことをいう。

高田祟史さんは六歌仙とは怨霊であり藤原氏と敵対していた6人の歌人であると指摘された。
業平が藤原氏と敵対していた理由については記したので、残り5人について記しておこう。

遍照は桓武天皇の孫だが、父の良岑安世が臣籍降下した。遍照は俗名を良岑宗貞といった。
彼は藤原良房にすすめられて出家したというが、出家の理由を誰にも話さなかったという。

大友黒主は大伴黒主と記されることもあり、私は大伴家持と同一人物だと考えている。
私流 トンデモ百人一首 6番 …『大伴家持、白い神から黒い神に転じる?』 
大伴家持は藤原種次暗殺事件の首謀者とされ、当事すでに亡くなっていたのだが、死体が掘り出されて流罪となった。

喜撰法師は紀仙法師で、紀有常またはその父紀名虎のことではないかといわれている。
紀名虎は惟喬親王の母親・紀静子の父である。
また紀有常は紀静子の兄であり、在原業平と同様、惟喬親王の寵臣であった。

文屋康秀の文屋は分室と記されることもあり、文室宮田麻呂の子孫かもしれない。
文室宮田麻呂は謀反を企てたとして流罪となったが、死後無罪であることがわかって863年、神泉苑の御霊会で慰霊されている。

小野小町について、私は小野宮と呼ばれた惟喬親王のことだと考えている。
これについては詳しく「小野小町は男だった」のシリーズで述べたが、簡単にまとめておく。
a古今和歌集には男が女の身になって詠んだ歌が多数ある。
b古今和歌集仮名序はやけに小町が女であることを強調しているが、これは小町が男だからではないか。
c.小野小町は穴のない体で性的に不能であったともいわれているが、穴がない体なのは小町が男だからではないか。
d『古今和歌集』に登場する女性歌人に三国町、三条町、がいる。
三国町は一般には継体天皇の母系氏族・三国氏出身の女性だと考えられているが、
 『古今和歌集目録』は三国町を紀名虎の娘で仁明天皇の更衣としている。
  紀名虎の娘で仁明天皇の更衣とは紀種子のことである。
  また三条町は紀名虎の娘で文徳天皇の更衣だった紀静子のことである。
  三国町が紀種子とすれば、三条町=紀静子なので、三国町と三条町は姉妹だということになる。
  そして紀静子は惟喬親王の母親だった。。
  惟喬親王は三国町の甥であり、三条町の息子なので、三国町・三条町とは一代世代が若くなる。
  そういうことで小町なのではないだろうか。
e花のいろは うつりにけりな いたづらに わがみよにふる ながめせしまに
この歌は縁語や掛詞を用いて二重の意味をもたせた技巧的な歌だとされる。
①花の色はすっかり褪せてしまったなあ。春の長い雨のせいで。
②私の容色はすっかり衰えてしまったなあ。恋の物思いにふけっている間に。
※『色』・・・『視覚的な色(英語のColor)』『容色』
※『世』・・・『世の中』と『男女関係』
※『ながめ』・・・『物思いにふける』『長雨』
しかし、もうひとつ違う意味が隠されているように思える。
③はねずの梅の鮮やかな色はあせ、(「はねず」は移るの掛詞なので、花ははねずの梅ととる)私の御代に(「わが御代に 下(ふ)る」とよむ。)長い天下(「ながめ」→「長雨」→「長天」と変化する。さらに「下(ふ)る」を合わせて「天下」という言葉を導く)がやってきたようだ。

そして六歌仙のうち、在原業平・喜撰法師(=紀有常または紀名虎?)は惟喬親王の歌会に参加しており
惟喬親王が遍照に送った歌がある。
また小野小町(=惟喬親王?)は遍照や文屋康秀と交流があった。
大伴黒主をのぞき、六歌仙は惟喬親王と関係があった人物なのである。

彼らは惟喬親王を担ぎ上げてクーデターを企てていたとする説もある。
鳳輦(ほうれん)型の本堂に祀られた地蔵菩薩と、クーデターの中心に祀り上げられたかもしれない惟喬親王のイメージがますます重なってくる。

十輪寺 渡り廊下 

惟喬親王の乱⑩ 帯解寺『帯解寺に小町の宮があるのはなぜ?』 に続きます~

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[ 2020/09/03 ] 惟喬親王の乱 | TB(0) | CM(0)

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