謎の歌人・猿丸太夫の正体とは⑲田原祭は春日若宮おん祭に似ていた。※追記あり
謎の歌人・猿丸太夫の正体とは⑱俵藤太は田原藤太だった? よりつづきます~
トップページはこちらです→謎の歌人・猿丸太夫の正体とは?①謎の歌人・猿丸太夫
①田原祭に翁が登場するのは偶然?
今年はコロナの影響でたぶん10月13日の田原祭還幸祭は中止になるのではないかと予想している。
しかし、
http://blog.livedoor.jp/rekishi_tanbou/archives/1793222.html
↑ こちらのブログに祭の様子が詳細に記されており、楽しく読ませていただいた。(ありがとうございました。)
田原祭還幸祭では「聲翁(せいのお)」という芸能が奉納されるとあり、写真も掲載されている。
↓
https://livedoor.blogimg.jp/rekishi_tanbou/imgs/c/e/cedf5d51.jpg
聲翁とあり、翁面のようなものをつけている。
ただし一般的な能の翁面は顎の部分が割れているのに対し、田原祭の面は割れていない。

翁とは能(猿楽)の演目であるが、そのルーツは奈良豆比古神社の翁舞ではないかと思う。
そして奈良豆比古神社には次のような伝説がある。
㈠志貴皇子の子の春日王がハンセン病になり、春日王の子の浄人王と安貴王が看病していた。
㈡浄人王が春日王のハンセン病治癒のため舞を舞ったところ春日王の病は快癒した。
㈢桓武天皇が浄人王に『弓削首夙人(ゆげのおびとしゅくうど)』の名と位を与えた。
㈠について。
志貴皇子の別名は春日宮天皇、田原天皇。春日王の別名は田原太子。
親子は同じ名前であったことになる。こういう例はないと思う。志貴皇子と春日王は同一人物ではないか。
㈡について。
奈良豆比古神社に伝えられる翁舞のルーツは、春日王(志貴皇子と同一人物か?)のハンセン病治癒祈願の舞ということだろう。
㈢について。
浄人王は臣籍降下させられて弓削姓を賜った、つまり、浄人王は弓削浄人という名前になったということではないか。
弓削浄人は道鏡の弟の名前である。
また『僧綱補任』『本朝皇胤紹運録』などでは、道鏡は志貴皇子の子であるとしている。
とすれば、道鏡の弟の弓削浄人も志貴皇子の子である可能性が高い。
そして猿丸大夫とは道鏡の弟の弓削浄人であるという言い伝えが土佐にはある。
奈良豆比古神社の翁舞は猿楽(能)の演目「翁」のルーツであるとも考えられるが、翁の中で演じられる三番叟の姿をした猿の像が各地にある。
猿丸大夫とは土佐の伝説とおり、弓削浄人ではないだろうか。

奈良豆比古神社 翁舞 三番叟

新日吉神社 御神猿
そして宇治田原には猿丸大夫を祀る猿丸神社がある。
また、宇治田原の大宮神社境内には「田原天皇社舊(旧)跡」もある。
田原天皇とは志貴皇子のことだ。
もう一度繰り返しておく。
『僧綱補任』『本朝皇胤紹運録』などでは、道鏡は志貴皇子の子であるとしている。
とすれば、道鏡の弟の弓削浄人も志貴皇子の子である可能性が高いのだ。
その志貴皇子とゆかりの深い能(猿楽)翁。
志貴皇子の子かもしれない弓削浄人(弓削首夙人の姓と位を与えられた浄人王)と同じ翁面をかぶった人が田原祭に登場するのは偶然なのか?
⓶「聲翁」と「細男」
記事中で次のように記されているのも、興味深かった。
「春日若宮おん祭」と同様の名称が「田原祭」にあるので興味を持っていたのです。例えば「聲翁」。「おん祭り」では、「細男」と書き、どちらも「せいのお」と呼びます。「おん祭」は立烏帽子に白丁姿の6人、目の下に白布を下げて覆面していて独特の出で立ちです。海底の精霊を表すともいわれています。「田原祭」はかつて、烏帽子、白衣、羽織袴姿で翁面をつけた2人が舞っていたそうです。
http://blog.livedoor.jp/rekishi_tanbou/archives/1793222.html より引用
そこでおん祭の細男について調べてみた。
おん祭の御渡り祭は数回行ったことがあるのだが、すべて雨や雪で中止となりいまだに見学したことがないのだw。
おん祭「細男」の動画が見つかった。(ありがとうございます。)
田原祭の聲翁は翁面だが、おん祭の「細男」は布で口元をかくしている。
私はこれと同様のものを見たことがあった。

山鉾巡行 綾傘鉾

山鉾巡行 綾傘鉾
祇園祭綾傘鉾に登場する人々だ。
この人々のいでたちは犬神人ではないかと思う。
犬神人は祇園社(現在の八坂神社)に隷属する非人で、「弦召せ」と言って弓の弦を売り歩いていたので「つるめそ」とも呼ばれていた。
犬神人(つるめそ)の 緋縅着たる 暑さかな
この川柳は、祇園祭で緋色の着物を着た犬神人たちが警護のために町をうろついている様を詠んだものである。
本願寺聖人伝絵に犬神人の絵が描かれているが、やはり口元を白い布で覆っている。

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:%E7%8A%AC%E7%A5%9E%E4%BA%BA_%E6%9C%AC%E9%A1%98%E5%AF%BA%E8%81%96%E4%BA%BA%E4%BC%9D%E7%B5%B5.jpg
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/e/e6/%E7%8A%AC%E7%A5%9E%E4%BA%BA_%E6%9C%AC%E9%A1%98%E5%AF%BA%E8%81%96%E4%BA%BA%E4%BC%9D%E7%B5%B5.jpg よりお借りしました。
<a title="覚如 [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由で" href="https://commons.wikimedia.org/wiki/File:%E7%8A%AC%E7%A5%9E%E4%BA%BA_%E6%9C%AC%E9%A1%98%E5%AF%BA%E8%81%96%E4%BA%BA%E4%BC%9D%E7%B5%B5.jpg"><img width="256" alt="犬神人 本願寺聖人伝絵" src="https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/e/e6/%E7%8A%AC%E7%A5%9E%E4%BA%BA_%E6%9C%AC%E9%A1%98%E5%AF%BA%E8%81%96%E4%BA%BA%E4%BC%9D%E7%B5%B5.jpg"></a>
細男は非人ではないだろうか。
すると聲翁も非人ではないかと思えるが、ここで奈良豆比古神社の伝説をもう一度思い出してほしい。
㈠志貴皇子の子の春日王がハンセン病になり、春日王の子の浄人王と安貴王が看病していた。
㈡浄人王が春日王のハンセン病治癒のため舞を舞ったところ春日王の病は快癒した。
㈢桓武天皇が浄人王に『弓削首夙人(ゆげのおびとしゅくうど)』の名と位を与えた。
㈢について。
浄人王は臣籍降下させられて弓削姓を賜った、つまり、浄人王は弓削浄人という名前になったということではないか。
弓削浄人は道鏡の弟の名前である。
また『僧綱補任』『本朝皇胤紹運録』などでは、道鏡は志貴皇子の子であるとしている。
とすれば、道鏡の弟の弓削浄人も志貴皇子の子である可能性が高い。
そして弓削首夙人の夙とは非人のことである。
奈良豆比古神社の翁舞では「とうとうたらりたらりろ」という謡いにあわせて翁が舞う。
そして春日若宮おん祭で12月16日に若宮神社の前で奏される新楽乱声(しんがくらんじょう)の唱歌(しょうが/邦楽における楽譜のようなもの)は「『トヲ‥‥トヲ‥‥‥タア‥‥‥ハア・ラロ・・トヲ・リイラア‥‥』である。
私は翁の「とうとうたらりたらりろ」はこの唱歌であり、春日若宮様のテーマソングなのではないかと思う。
つまり、春日若宮とは翁・・・志貴皇子なのではないかと私は考えているのだ。
すると、田原祭に春日若宮おん祭と同じ聲翁=細男が演じられるのも、偶然とは思えなくなってくる。
宇治田原の大宮神社に「田原天皇社舊(旧)跡」が存在しているからだ。
田原天皇とはすでに説明したように志貴皇子のことである。
つまり、春日若宮おん祭も、田原祭も志貴皇子を慰霊するための祭ではないかということである。
もしかすると宇治田原という地名も田原天皇からくるのかもしれない。
③王の鼻=猿田彦=ニギハヤヒ=志貴皇子?
↓ これは王の鼻というらしい。
天狗のように見える。木製の兜の上には茶色い鶏がついている。
https://livedoor.blogimg.jp/rekishi_tanbou/imgs/f/0/f08be360.jpg
【追記】「王の鼻」の独特の動きについて友人に聞いてみたところ、「鶏をまねているのではないか」と意見を述べてくれた。
友人の意見は鋭いと思う。
以前、千本閻魔堂狂言の二人大名という演目を見たことがあるが、大名が鶏のマネをする際、片足をあげ、その足指には扇子をつけていた。
扇子は鶏の尾をイメージしているのだろう。
「王の鼻」の歩き方も鶏っぽい。
↑ 千本閻魔堂狂言保存会さんの「二人大名」の動画お借りしました。
「王の鼻」の茶色い鶏に注意してほしい。
私はこれと同様の鶏の像を見た記憶があった。

祇園祭 岩戸山 ご神体 天照大神 (こちらの天照大神は男神です。)神使の鶏がいます。
祇園祭・岩戸山のご神体、天照大神の前におかれていたのがやはり茶色い鶏だったのだ。
岩戸山の天照大神は男神である。
天照大神が男神であるというのは、各地に伝わっており、物部氏の祖神・ニギハヤヒは先代旧事本紀では天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてるくにてるひこあまのほのあかりくしたまにぎはやひのみこと)となっており、この神が本当の天照大神ではないかともいわれている。
そして天皇家以前、畿内には物部王朝があったのではないかとする説もある。
また猿田彦という神は記紀において「高天原から葦原中国までを照らす神」と記されている。
高天原とは天、芦原中国は国なので、猿田彦は天照国照彦だといえる。
ニギハヤヒと猿田彦は同一神ではないだろうか。
猿田彦は天孫であるニニギを高天原から葦原中国まで道案内した神である。
猿田彦=ニギハヤヒとすれば、猿田彦は物部氏の神だということになる。
その猿田彦=ニギハヤヒがなぜライバルである天皇家の祖神・ニニギを葦原中国まで道案内したのか。
これはたぶん、陰陽道による考え方だと思う。
陰陽道では、荒ぶる怨霊は十分に慰霊すればご利益を与えてくださる和魂に転じると考える。
つまり、ニギハヤヒは怨霊であったが、慰霊されて和魂に転じた結果、猿田彦という神になったということではないだろうか。
そして、さきほど、私は弓削浄人が猿丸大夫だとする説があると書いたが、弓削氏は物部氏の一派なのだ。
そして祭に登場する天狗はたいてい猿田彦と呼ばれていて、猿丸大夫と関係があるように思える。
そういえば、猿丸大夫と同一人物だという伝説が伝わる弓削浄人の兄、弓削道鏡は、称徳天皇が次期天皇にしたいと考えていた人物だった。
しかし称徳天皇が急死したことで失脚し、志貴皇子の子である光仁天皇が即位した。
つまり光仁天皇が即位できたのは、弓削道鏡のおかげということで、天孫ニニギを葦原中国まで道案内した猿田彦と道鏡のイメージがだぶる。
もしかしてこの「王の鼻」とは弓削道鏡を現しているのではないか?
いや、王の鼻は志貴皇子を表しているのかもしれない。
というのは奈良豆比古神社にはこんな伝承も伝えられているからだ。
志貴皇子は限りなく天皇に近い方だった。
それで神に祈るときにも左大臣・右大臣がつきそった。
赤い衣装は天皇の印である。
志貴皇子は毎日神に祈った。するとぽろりと面がとれた。
その瞬間、皇子は元通りの美しい顔となり、病は面に移っていた。
志貴皇子がつけていたのは翁の面であった。
左大臣・右大臣も神に直接対面するのは恐れ多いと翁の面をつけていた。
志貴皇子は病がなおったお礼に再び翁の面をつけて舞を舞った。
これが翁舞のはじめである。
のちに志貴皇子は第二皇子の春日王とともに奈良津彦神の社に祀られた。
「志貴皇子は限りなく天皇に近い方だった」とあるのに注意してほしい。
男神・天照大神である猿田彦(天狗)は志貴皇子ではないか。
そういえば、「聲翁」は「烏帽子、白衣、羽織袴姿で翁面をつけた2人が舞っていた」ということだった。
猿田彦(天狗)が志貴皇子で、「聲翁」のふたりは道鏡(安貴王)と弓削浄人(浄人王)なのではないか。
④田楽の年配の男性は志貴皇子、二人の少年は浄人王(弓削浄人)と安貴王(道鏡)?
田楽も同様に共通していますが、今は簡略化された「田原祭」でもかつては、烏帽狩衣姿の人と、饅頭笠をつけ赤紐を顎下で結んだ人によって演じられていたようです。烏帽子の人が「開口」といって能に先駆けて祝言の謡をすると、饅頭笠の人が舞い、次に2人が舞い謡い、最後に「閉口」の謡がありました。さらに、今年の「おん祭」の「日使」は、神戸製鋼所の佐藤会長が務められましたが、この役は忠通の名代として一行(約千人)を先導する大役。一方の「田原祭」の「日使」は、「荒木一族座」に属するおよそ40歳くらいまでの若者が務めるそうです。
このように「春日若宮おん祭」の影響が色濃い「田原祭」を実見できて本当に良かったです。
http://blog.livedoor.jp/rekishi_tanbou/archives/1793222.html より引用
上の記事で述べられているように、田原祭と春日若宮おん祭には上に述べた点のほかにも田楽、日使などの共通点があるようである。

春日若宮おん祭 田楽座宵宮詣
上の写真は12月17日の春日若宮おん祭の御渡り祭ではなく、12月16日の田楽坐宵宮詣である。
御渡り式は何回行っても雨だが、前日のこの日は晴れたw
かつての田原祭では「烏帽狩衣姿の人と、饅頭笠をつけ赤紐を顎下で結んだ人によって演じられていたようです」と書いてあるが
現在は「年配の男性が狩衣、烏帽子姿の二人の少年をひきつれて3周し最後に拝礼する。」ようである。
https://livedoor.blogimg.jp/rekishi_tanbou/imgs/f/7/f7184fbd.jpg
なぜ年配の男性が二人の少年をひきつれているのだろうか。
私は再び奈良豆比古神社の翁舞を思い出した。

もしかして年配の男性は志貴皇子、二人の少年は志貴皇子の子の浄人王(弓削浄人)と安貴王(道鏡)だったりして?
そのほか、日使も春日若宮おん祭と共通しているということである。
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