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謎の歌人・猿丸太夫の正体とは?⑦ハンセン病患者は文殊菩薩の化身だった。

謎の歌人・猿丸太夫の正体とは?⑥ 道鏡は本当に悪人なのか? よりつづきます~

トップページはこちらです→謎の歌人・猿丸太夫の正体とは?①謎の歌人・猿丸太夫

北山十八間戸

※北山十八間戸に霊山寺(奈良市中町3879)境内の文殊菩薩像を合成。

①非人とハンセン病患者

なだらかな登り坂が続く奈良坂。
呼吸の乱れを整えるために立ち止まり、振り返ると坂の下に興福寺の五重塔が見えていた。
大きく深呼吸をしてから再び歩き始める。

しばらくすると柵で囲われた細長い長屋が見えてきた。
長屋の裏に回ってみると18個の裏戸があり、そのひとつひとつに「北山十八間戸」と文字が刻まれていた。
柵の中に入って見学したいと思ったが、出入口には鍵がかけられていた。

見学することはできないのだろうか?

思い切って長屋の隣にあるお好み焼き屋さんに尋ねてみた。
「あのう、北山十八間戸を見学したいんですが、どうしたらいいんでしょうか?」

するとおかみさんが
「はいはい、今鍵をあけますね。ちょっと待っててくださいね」
と言いながら、ぽんと好み焼きをひっくり返した。
どうやらこのお好み焼き屋さんが北山十八間戸を管理されているようである。

おかみさんはすぐに出てきて柵の鍵をあけてくださった。
そして次のように説明していただいた。

「ここは鎌倉時代、ハンセン病患者を救済するための福祉施設だったところです。
奈良時代に光明皇后が建てたとも、鎌倉時代に僧の忍性さんによって建てられましたともいわれています。
ここからもうちょっと北に行ったところに般若寺さんがあるんですが、もともとはその般若寺さんの北東にあったそうです。
1567年に戦災で焼けまして、1660年から1670年ごろにここに移りました。
2畳くらいの部屋が17つ、4畳くらいの部屋がひとつで、合計18つの部屋があります。
4畳くらいの部屋は仏間です。
1万8千人のハンセン病患者が利用したと言われてるんですよ。」

北山十八間戸がいつ誰によって建てられたものなのかについては、おかみさんが説明してくださったように2つの説があってはっきりしない。
しかし、なぜ奈良坂にハンセン病患者のための療養施設が作られたのかについてははっきりしている。
それは奈良坂が非人が住む町であったためである。

非人というと江戸時代に制定された身分制度を思い出すが、関西では中世より非人と呼ばれる人々がおり、多くは坂の町に住んでいた。
非人たちは寺社に隷属し、寺社の清掃、祭りの警備、死体の処理、神事などに携わっていた。

ここ奈良坂の非人たちは興福寺に隷属する民だった。

非人たちは非人宿(夙)に住み、病人の看護にも携わっていた。
奈良坂に北山十八間戸が作られたのは、ここに非人宿があったからだろう。
または北山十八間戸が先にあって、病人を看護するために非人宿が作られたのかもしれない。
いずれにせよ、北山十八間戸と非人に密接な関係があったことは事実である。

興福寺 夕景

荒池より興福寺を望む


②ハンセン病患者は文殊菩薩の化身

北山十八間戸からさらに坂を上っていくと般若寺がある。
境内にはコスモスが咲き乱れ、その中にうずもれるように本堂が建っていた。
本堂の厨子の中には、獅子にのる文殊菩薩像が安置されていた。
文殊菩薩のお顔は少年のようであり、若々しく生き生きとしている。

般若寺 十三重石塔 コスモス

般若寺

般若寺は629年高句麗の僧・慧灌(えかん)によって創建された。
735年聖武天皇が伽藍を建立し、十三重石塔を建てて天皇自筆の大般若経を安置したといわれる。文殊菩薩の巨像を御本尊としていたが1490年に焼失した。
現在の文殊菩薩像は1324年に慶派仏師・康俊が刻んだもので、もともとは経像の本尊で秘仏だった。
本堂の御本尊が焼けてしまったのでかわりに本尊にしたという。

文殊菩薩は『智慧の菩薩』と言われている。
仏教の修行の結果として得られたさとりの智慧のことを般若という。
般若寺という寺名は文殊菩薩を祀っているところからくるのだろう。

能に用いる般若の面は『嫉妬や恨みの篭る女の顔』を表したもので、角が生えた恐ろしい形相をしている。
なので、鬼のことを般若というのだとずっと思っていたが、それは間違いだったのである。

般若坊という僧侶が面を作ったので般若面と呼ばれるのだとか、
『源氏物語』の葵の上が六条御息所の生霊にとりつかれた時、般若経を読んで怨霊を退治したところからそう呼ばれるようになったなどと言われている。

さきほど見学してきた北山十八間戸は、ハンセン病患者を救済するための福祉施設であったが、かつてハンセン病患者は文殊菩薩の化身であると考えられていたそうである。

宿の町・奈良坂にある般若寺の御本尊が文殊菩薩なのはこのためだろう。
般若寺はハンセン病患者の霊を弔うための寺なのだろうか。
いや、無名のハンセン病患者の霊を弔う寺だとは考えられない。
735年聖武天皇が伽藍を建立し、十三重石塔を建てたということは、それなりの身分で、ハンセン病を患った人がおり、その人物を弔うための寺であったのではないだろうか。

聖武天皇と同時代で、それなりの身分でハンセン病を患った人物がいる。
春日王だ。


回へつづきます~

般若寺  コスモス 阿弥陀如来 石仏

般若寺


謎の歌人・猿丸太夫の正体とは?⑧道教の弟・弓削浄人 へ続く~





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