①米原子供歌舞伎 古い民家が立ち並ぶ細い道を、はっぴ姿の若者たちが曳山を曳いてやってくる。
曳山は御殿のような造りになっていて、その中で子供歌舞伎が行われた。
松翁山で上演された「神霊矢口の渡し」。
ヒロイン役の男の子の色っぽさにしびれる❤
j歌舞伎義太夫さんの語りもすばらしい。
●人形振り
もともと人形浄瑠璃・文楽の演目だったものを歌舞伎の演目としたものがある。
このような演目のものを「義太夫狂言(ぎだゆうきょうげん)」という。
義太夫狂言では俳優が人形の動きをまねて演じる『人形振り』が演じられる。
『ガラスの仮面』の北島マヤもやっていたが、人形を演じるというのは難しそうだ。
②生き稚児は神の使い? 芝居が終わると大人の男性が子供の役者を抱きかかえて山からおろした。
これを見て、私は祇園祭を思い出した。
祇園祭 長刀鉾 祇園祭・長刀鉾には生き稚児と呼ばれる少年を乗せる。
その生き稚児を鉾から降ろすさい、強力とよばれる男性が稚児を肩に載せて下すのだ。
祇園祭の生き稚児や子供歌舞伎の俳優さんたちはは神の使いなので、地面に足をつけてはいけないと考えられたのではないだろうか。
米原子供歌舞伎 寿山 ③童子は艮=鬼をあらわす? 少年が神聖視されたのは世俗に汚されていないためだろうが、他にも理由があると思う。
干支の丑寅は方角では東北で、東北は鬼の出入りする方角=鬼門とされている。

また鬼の温羅は別名を丑寅御前といい、艮=丑寅は鬼そのものをさす言葉でもあったように思われる。
そして丑寅=艮は八卦では童子を表している。
つまり、童子=艮=鬼、なのだと思う。
節分の鬼は結髪していないが、結髪しないのは子供の髪型で童形(どうぎょう)といわれる。
千本釈迦堂 おかめ節分 京都・八瀬の人々は鬼の子孫と称し、かつては大人になっても結髪しない童形であったため八瀬童子と呼ばれていたという。
このことから考えても、童子は鬼を表しているといえるのではないだろうか。
そして鬼は怨霊と言ってもいいだろうが、日本では怨霊と神とは同義語であったといわれる。
怨霊=祟り神は祀り上げることでご利益を与えてくださる神に転じるというような信仰が古の日本にはあったのである。
子供歌舞伎に登場する少年たちは、鬼でありまた神であると信仰されていたのではないだろうか。
↓舞台の縁側部分は折り畳み式になっていて、俳優さんが縁側を通るときは大人の男性が縁の下に入って縁側を支える。
まさしく縁の下の力持ちである。
④『縁の下の力持ち』の語源
わざわざ人が支えているのは、その上で演技をする子供の役者さんたちを神聖視しているからではないだろうか。
「縁の下の力持ち」の語源は大阪・四天王寺で経供養の際、聖霊院の庭で「縁の下の舞」が行われたことからくるとも言われている。
「縁の下」は建物の縁の下にある庭で行うことを意味しているのだと思う。
経供養の舞は昔は非公開だったそうで、そこから人目につかないところで骨を折ることに例えられたといわれる。
四天王寺 経供養(この日は雨天のため、建物の中で行われたが、通常は庭で行われる。)
現在、経供養の舞は公開されていて、誰でも見学することができる。 しかし、米原子供歌舞伎のほうが「縁の下の力持ち」という言葉にピッタリくるように思える。
案外、「縁の下の力持ち」の語源は米原子供歌舞伎の舞台を支える人の姿が語源なのかもしれない。