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三つ鳥居の謎 (大神神社) 

おおみわじんじゃ ちのわ


●謎の三つ鳥居

大神神社の拝殿前に置かれた茅の輪が大雨でぐっしょりと濡れていた。
水無月晦日(6月30日)に茅の輪くぐり習慣があるが、茅の輪はひとつのみ、拝殿前に設置されるのが一般的である。
しかし大神神社の茅の輪は他とは違い、3つの輪が設けられていた。

大神神社には神殿はなく、拝殿より直接ご神体である三輪山を拝するという古い祭祀スタイルである。
残念ながら拝殿に遮られて見ることができないが、拝殿の向こう側には神殿のかわりに三ツ鳥居が置いてあるそうである。
写真→ (地図の三つ鳥居のところをクリックすると写真がでます。)
3つの輪が設けられた茅の輪は、この三つ鳥居のデザインを取り入れたものなのだろう。

ひばらじんじゃ みつとりい


上の写真は大神神社の摂社・檜原神社の三つ鳥居である。
大神神社本社の三つ鳥居もそうだが、これらの鳥居には扉がもうけられている。
一般的な鳥居には扉はなく、参拝者はその下をくぐって神域に入ることができる。
しかし扉が設けられた三つ鳥居の下を参拝者はくぐることはできない。
まるで参拝者の立ち入りを拒んでいるかのようでもある。

梅原猛氏は法隆寺は聖徳太子の怨霊封じ込めの寺で、法隆寺の中門の中央に柱があるのは聖徳太子の霊が表に出ないようにするための呪術的な仕掛けであると説かれた。
大神神社の三つ鳥居もまた、怨霊が外に出るのを防ぐ呪術的な仕掛けなのかもしれない。

●御魂・和魂・荒魂と幸魂・奇魂

大神神社の主祭神は大物主神だが、大己貴神おおなむちのかみ)とと少彦名神(すくなひこなのかみ)が配神されている。

大己貴神は出雲大社に祀られている大国主神の別名である。
記紀神話に次のような話がある。

「大国主の前に光り輝く神があらわれ、「私を祀るように」といった。
大国主が神に名を問うと「私はあなたの幸魂、奇魂」と答えた。
こうして祀られたのが、大神神社である。」


つまり、大神神社の主祭神・大物主神は、大国主命の幸魂、奇魂というわけである。

ウィキペディアの「荒魂・和魂」の説明によれば、
「和魂はさらに幸魂(さきたま、さちみたま、さきみたま)と奇魂(くしたま、くしみたま)に分けられる(しかしこの四つは並列の存在であるといわれる)。」とある。

しかし私は幸魂、奇魂という概念は古く、日本最古の神社であるとも言われる大神神社のみで用いられる言葉なのではないかと思う。
そしてその後、神をあらわす言葉としては御魂・和魂・荒魂という言葉が用いられるようになったのではないだろうか。
御魂は神の本質、和魂は神の和やかな側面、荒魂は神の荒々しい側面のことをいう。

そして女神は和魂を、男神は荒魂を表しているとする説がある。
とすれば御魂とは男女双体ということになるだろう。、



●大己貴神は女神だった?

大神神社の配神・大己貴神は大国主命の別名とされるが、大穴持命と記されることもある。
名は体を表すというが、大穴持命とは「大きな穴を持った神」ということで、大きな穴を持った神とは女神のことだと思う。

大己貴神(大穴持命)は大国主命の別名で、大国主命は男神だ。
大国主命はたくさんの女神を妻としているではないか。
そう思われるかもしれないが、日本の神は性別がルーズで、聖徳太子が親鸞に「女に生まれ変わってあなたの妻になりましょう。」と言ったという話もある。

おそらく荒魂=男神、和魂=女神とする概念から、同じ神でも荒魂として現れるときには男神、和魂として現れるときには女神ということなのだろう。

そして大己貴神と同様、大神神社に配神されている少彦名神はその名前から男神だろう。

記紀神話によれば大己貴神と少名彦名神はきょうだいの契りをかわしてともに国つくりをしたというが、他にもきょうだいで国造りをした神がいる。
イザナギとイザナミである。
イザナギとイザナミは兄妹で夫婦となって国産み、神産みをした。
その後、死んだイザナミを黄泉の国まで迎えにいったイザナギは次のように発言している。
「愛しい妻よ、帰ってきておくれ。国造りはまだ終わっていない。」

イザナギは少彦名神と同一神、イザナミは大己貴神(大穴持命)と同一神ではないだろうか。
とすれば、やはり大己貴神(大穴持命)は女神だということになる。

大国主命の幸魂が女神の大己貴神(大穴持命)、奇魂が男神の少彦名神で、大己貴神(大穴持命)と少彦名神の男女双体の神が大神神社の主祭神・大物主命なのではないかと思う。

● 神殿はおろか拝殿さえも作ることを拒んだ神

大神神社の御祭神・大物主神は出雲大社の大国主命の幸魂・奇魂とされていることはすでに述べたが、出雲大社の大国主命のほうは、天照大神が派遣したタケミカヅチに「国を譲れ」と迫られて、大きな神殿を作ることとひきかえに国を譲ることを許諾している。
さらに、大国主命は「神殿を作ってくれれば自分は黄泉の国からでない」とも言っている。

しかし「国を譲れ」といわれて「はい、どうぞ」と国を差し出す国王がいるだろうか。
実際には大国主命とタケミカヅチは壮絶な国撮り合戦を繰り広げたのではないだろうか。

そして「大神神社の大物主神は神殿はおろか、拝殿すらも作ることを拒んだ。」ということを聞いた記憶がある。

大物主神と大国主命の発言は対照的である。
大国主命・・・神殿を作ってくれれば国を譲り、黄泉の国から出ない。
大物主神・・・神殿はおろか、拝殿もいらない。


大物主神が「神殿はおろか拝殿もいらない」と言ったということは、「私は死んで黄泉の国へ好くのはまっぴらだ。国は譲らない。」という意味なのではないだろうか。

神武が東征して畿内入りするより以前、畿内にはニギハヤヒという神が天の磐船を操って天下っていたと記紀には記されている。
ニギハヤヒとは物部氏の祖神でここから神武以前、畿内には物部王朝があったとする説がある。

ニギハヤヒは別名を天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてる くにてるひこ あまの ほあかり くしたま にぎはやひ の みこと)という。
そして大神神社の御祭神・大物主は別名を倭大物主櫛甕魂命(ヤマトオオモノヌシクシミカタマノミコト)という。
櫛と玉(魂)が一致するので、二神は同一神ではないかとする説がある。

大物主神の「物」とは「物部氏」を意味しているのではないだろうか。

そして大神神社の三つ鳥居は、御魂(大物主神)・幸魂(大己貴神)・奇魂(少彦名神)の三柱の神々の怨霊を封じ込める神殿のかわりとして置かれているのではないかと私は思う。

次回につづきます。
大神神社・・・奈良県桜井市三輪1422
出雲大社・・・島根県出雲市大社町杵築東195

 
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[2014/07/14 21:00] 奈良 | トラックバック(-) | コメント(-)