藤原清輔の歌学書『袋草紙』には「猿丸大夫集の歌多くもつてこれを入れ、読人知らずと称す」とある。『猿丸大夫集』と『古今和歌集』のよみ人しらずの歌は同じ歌が24首あるが、この24首は猿丸太夫が詠んだ歌である可能性がある。 狛猿が参拝者を出迎えてくれる。③猿丸太夫と柿本人麻呂は同一人物?猿丸太夫といえば、梅原猛さんの「水底の歌」を思い出す。梅原猛さんは次のように説かれた。769年に和気清麻呂が称徳天皇の怒りをかって「別部穢麻呂」と改名されられて流罪になったケースがある。これと同様、柿本人麻呂も皇族の怒りを買い、改名させられて水死させられたのではないか。『続日本紀』708年の項に柿本猨の死亡記事があるが、この柿本猨は柿本人麻呂と同一人物ではないか。そして、この柿本人麻呂=柿本猨=猿丸大夫ではないかというのだ。私は飛鳥時代の蘇我馬子・蘇我蝦夷・蘇我入鹿などは蔑称ではないかと考えている。馬子とは馬をひいて荷物を運ぶ仕事をする人のことである。蝦夷は東北に住むまつろわぬ民。入鹿は音が海豚に通じる。古事記には大量の鼻を傷つけられた海豚が浜にうちあげられていたという話があり、政治的敗者の象徴とされているように思える。そう考えると、柿本人麻呂の別称が柿本猨であり、柿本人麻呂=柿本猨=猿丸大夫であるかもしれないと思ってしまう。しかし井沢元彦さんは、当時、動物を名前につけた例はあるとして『柿本猨は柿本人麻呂が改名させられたものではない』としておられるようである。(井沢元彦さんの「猿丸幻視行」を読んでいないので、詳しいことはわからないが。)梅原猛氏が指摘されるように猿丸太夫の正体は、柿本人麻呂=柿本猨なのだろうか。 猿丸太夫故址としるされた石柱があった。 ⑥猿丸神社には謎をとくいくつかのヒントがあった。これから、私はみなさんと一緒に、猿丸太夫の正体を解き明かす旅にでかけようと思う。その第一回目はここ猿丸神社だ。現在はネットで多くの情報が得られるが、私はやはり実際現地に足を運んでみるのが好きだ。実際に行ってみないとわからないことも多い。たとえばその土地の地理、方角、境内におかれているいろいろなものなどがヒントになって謎がとけることがあるのだ。(とけたと思っているだけかもしれないがw)掲載したいくつかの写真の中にも猿丸太夫の謎をとくいくつかのヒントがあった。絵馬には猿の顔が描かれていた。 これはお札だろうか? 猿丸神社は瘤取りの神として信仰されており、瘤のある木がたくさん奉納されていた。謎の歌人・猿丸太夫の正体とは?② 『翁は猿丸太夫の舞?』 につづきます~写真ブログのはずだったのにほとんど歴史ブログになってしまった 心の旅 もよろしくおねがいします。※まとめサイトなどへ無断で転載することはおやめください。 にほんブログ村
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