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謎の歌人・猿丸太夫の正体とは?①謎の歌人・猿丸太夫




京都府綴喜郡宇治田原町 猿丸神社
2019年12月1日 撮影

 猿丸神社 歌碑 

①謎の歌人・猿丸太夫

奥山に もみぢ踏みわけ 鳴く鹿の 声きく時ぞ 秋はかなしき/猿丸大夫
(奥山でもみじを踏み分けて鳴く鹿の声を聞くと、秋は切ないなあとしみじみ感じることだ。)


京都府綴喜郡宇治田原町にある猿丸神社はこの猿丸大夫を祀る神社である。

百人一首にもとられているこの歌の作者、猿丸太夫の実体はほとんどわかっていない。
猿丸太夫は謎の歌人なのだ。

猿丸太夫という歌人の名前が初めて文献に登場するのは平安時代初期に成立した勅撰和歌集・古今和歌集真名序である。
※古今和歌集には仮名でかかれた序文の仮名序と漢文でかかれた序文の真名序のふたつある。
※古今和歌集仮名序には、その成立について次のように記されている。
●醍醐天皇の勅命によって編纂された。
●『万葉集』に撰ばれなかった古い時代の歌から撰者たちの時代までの和歌を撰んだ。
●905年に奏上された。(現存する『古今和歌集』には、延喜5年以降に詠まれた和歌も入っている。905年以降に手を加えたか)

古今和歌集真名序には次のように記されている。
「大友黒主之哥、古猿丸大夫之次也(大友黒主の歌は古の猿丸太夫の次である)」

「次」とあるが、何の次なのかさっぱりわからない。

そして古今和歌集真名序に猿丸太夫と記されてはいるが、古今和歌集には猿丸太夫の歌は一首もない。
それだけでなく、万葉集にも、その後の勅撰集にも猿丸太夫の名前はなく、正史にも登場しない。。

『猿丸大夫集』という歌集があるが、万葉集の異体歌と古今集のよみ人しらず歌ばかりで、本当に猿丸太夫が詠んだと確認できる歌は一首もないとされる。

 猿丸神社 拝殿


②古今和歌集詠み人知らずの歌は猿丸太夫が詠んだ歌?

平安中期の藤原公任は猿丸太夫を『三十六人撰』の一人に選び、代表歌として三首選んでいる。

●をちこちの たつきもしらぬ 山中に おぼつかなくも 呼子鳥かな
(遠くも近くも見当もつかない山中にたよりなく呼子鳥が鳴いているよ)

●ひたぐらしの 鳴きつるなへに 日は暮れぬと 見しは山のかげにざりける
(ひぐらしが鳴き始めて日が暮れたと思ったのは勘違いで、本当は山の影に入ったいたのだった)

●奥山に もみぢ踏みわけ 鳴く鹿の 声きく時ぞ 秋はかなしき
(深い山の中で 紅葉を踏み分けて鳴く鹿の声を聞くと秋が悲しく思えてくる。)

さきほど猿丸太夫の歌は古今集に1首もないと書いたが、この3首は古今和歌集に掲載されている。
ただし作者は猿丸太夫ではなく、よみ人知らずとなっている。

また藤原盛房の『三十六人歌仙伝』に「延喜の御宇、古今集を撰せらるの日に臨みて
()の大夫の歌多く()の集に載す。(醍醐天皇代、古今集撰集に際し、猿丸大夫の歌が多く古今集に載せられた)」

藤原清輔の歌学書『袋草紙』には「猿丸大夫集の歌多くもつてこれを入れ、読人知らずと称す」とある。

『猿丸大夫集』と『古今和歌集』のよみ人しらずの歌は同じ歌が24首あるが、この24首は猿丸太夫が詠んだ歌である可能性がある。

 猿丸神社 狛猿

狛猿が参拝者を出迎えてくれる。

③猿丸太夫と柿本人麻呂は同一人物?

猿丸太夫といえば、梅原猛さんの「水底の歌」を思い出す。
梅原猛さんは次のように説かれた。

769年に和気清麻呂が称徳天皇の怒りをかって「別部穢麻呂」と改名されられて流罪になったケースがある。
これと同様、柿本人麻呂も皇族の怒りを買い、改名させられて水死させられたのではないか。
『続日本紀』708年の項に柿本猨の死亡記事があるが、この柿本猨は柿本人麻呂と同一人物ではないか。
そして、この柿本人麻呂=柿本猨=猿丸大夫ではないかというのだ。

私は飛鳥時代の蘇我馬子・蘇我蝦夷・蘇我入鹿などは蔑称ではないかと考えている。

馬子とは馬をひいて荷物を運ぶ仕事をする人のことである。
蝦夷は東北に住むまつろわぬ民。
入鹿は音が海豚に通じる。
古事記には大量の鼻を傷つけられた海豚が浜にうちあげられていたという話があり、政治的敗者の象徴とされているように思える。

そう考えると、柿本人麻呂の別称が柿本猨であり、柿本人麻呂=柿本猨=猿丸大夫であるかもしれないと思ってしまう。

しかし井沢元彦さんは、当時、動物を名前につけた例はあるとして
『柿本猨は柿本人麻呂が改名させられたものではない』としておられるようである。
(井沢元彦さんの「猿丸幻視行」を読んでいないので、詳しいことはわからないが。)

梅原猛氏が指摘されるように猿丸太夫の正体は、柿本人麻呂=柿本猨なのだろうか。



猿丸神社 境内 
猿丸太夫故址としるされた石柱があった。
 
⑥猿丸神社には謎をとくいくつかのヒントがあった。

これから、私はみなさんと一緒に、猿丸太夫の正体を解き明かす旅にでかけようと思う。
その第一回目はここ猿丸神社だ。

現在はネットで多くの情報が得られるが、私はやはり実際現地に足を運んでみるのが好きだ。
実際に行ってみないとわからないことも多い。
たとえばその土地の地理、方角、境内におかれているいろいろなものなどがヒントになって謎がとけることがあるのだ。(とけたと思っているだけかもしれないがw)

掲載したいくつかの写真の中にも猿丸太夫の謎をとくいくつかのヒントがあった。

猿丸神社 絵馬

絵馬には猿の顔が描かれていた。

猿丸神社 お札? 

これはお札だろうか?

猿丸神社 奉納された瘤のある木
 
猿丸神社は瘤取りの神として信仰されており、瘤のある木がたくさん奉納されていた。

謎の歌人・猿丸太夫の正体とは?② 『翁は猿丸太夫の舞?』 につづきます~





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