fc2ブログ

仁徳天皇陵が公共事業で造られたという証拠がないと思う。


百舌鳥八幡宮 模型   

堺市役所21階展望ロビーにあった模型(見やすくするため一部加工しました。)




①述べ人数と実人数を混同していた!仁徳天皇陵造営の作業員は一日平均1190人。

世界一の敷地面積を誇る巨大古墳・仁徳天皇陵。
この古墳を築造するのに、いったいどれくらいの作業員数が必要だったのか。

大手ゼネコン大林組が試算したところ、仁徳天皇陵を古代工法で建設すると、工期は15年8カ月に及び、作業員数が延べ680万7000人(ピーク時で1日当たり2000人)、総工費は796億円に上った。
https://okwave.jp/qa/q9716890.htmlより引用

この大林組が計算した「作業員数680万7000人」というのはよく知られていて、ネット上でもよくでてくる。
そして、この作業員数から、次のような説が流布しているようである。

仁徳天皇陵を造営するのに述べ680万7000人もの作業員が必要と計算されているが、当時の日本列島の人口4~500万人。
15年8か月もの長期間、民を墓作りのためだけに働かせると民が餓えて死んでしまう。
従って仁徳天皇陵造営は公共工事であったと考えられる。


日本の人口は8世紀には450〜650万人。1000万人を越えたのは中世後期、早くとも15世紀以降と考えられている。江戸時代前半の17世紀に急増し、18世紀から19世紀は3000万人前後で安定化した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E4%BA%BA%E5%8F%A3%E7%B5%B1%E8%A8%88 より引用

とあるので、当時の日本の人口が4~500万人というのは妥当な数字だと思う。

680万7000人と4~500万人を比較すると、たしかにその作業員の多さに驚きそうになる。

しかし、680万人という数字は述べ人数である。
述べ人数とは「1つの事を成し遂げるときに動員した人数の合計」のことである。
1日に必要な作業員数が1500人、作業日数が3日であれば、述べ人数は1500人×3日=4500人となる。

実人数というのもあって、こちらは実際に作業した作業員の数である。
1500人で15年8か月の工事をやり遂げたのであれば、1500人。
15年8か月の工期の中で人員の入れ替わりがあり、3000人が携わった場合には3000人となる。

作業員数680万7000人というのは随分が多すぎると私は感じていたのだが、それは恥ずかしながら、延べ人数と実人数を混同していたからなのだったw。

さきほどの記事をもう一度読んでみよう。

大手ゼネコン大林組が試算したところ、仁徳天皇陵を古代工法で建設すると、工期は15年8カ月に及び、作業員数が延べ680万7000人(ピーク時で1日当たり2000人)、総工費は796億円に上った。
https://okwave.jp/qa/q9716890.htmlより引用

「ピーク時で1日当たり2000人」と明記されている。

680万7000人から1日平均の作業員数をざっくりと計算してみると、次のようになる。

680万7000人÷15年8か月(15.66か月)=434674.33人・・・・1年の作業員数(延べ人数)
434674.33人÷365日=1190.89人・・・・・・・・・・・・・1日の平均作業員数

1日平均1190人という作業員数はビッグプロジェクトには違いない。
しかし、農閑期などに農民一人あたり60日ほど無給で働かせても飢え死にするようなレベルではないと思う。
(負担は大きかっただろうが)

仁徳天皇陵 
↑ 全長840メートルの仁徳天皇陵(木が生い茂って丘のように見える部分)は境市庁舎21階展望ロビーから見ても、ぜんぜん前方後円墳だとはわかりません。

②クフ王ピラミッド建造に必要な作業員数は最低でも仁徳天皇陵の2.7倍

仁徳天皇陵はクフ王のピラミッド、秦の始皇帝陵と並び「世界三大墳墓」のひとつとされている。

この中のクフ王のピラミッドについて、次のような記事があった。

ピラミッド建造にかかる人手

 ピラミッドの建造は 1.石を切り出す 2.石を運ぶ 3.石を削って据え付けるという3つの工程に分けることができる。
まずは1.の採石から。クフ王の大ピラミッドを23年で建造するには、一日におよそ322個の石材のブロックを切り出す必要があった。レーナーのチームの12人の採石工は、22日間で186個、1日当たり8.5個の石材のブロックを生産することができた。しかし、彼らが鉄のケーブルを持ったウィンチを使ったことを考えると、クフ王の時代ではさらに20人の労働者がこの作業に必要だったかもしれない。計32人で一日8.5個とすると、322個の石材を切り出すには、1212人の採石工がいればよいことになる。

 次は、切り出された石を運ぶ作業。クフ王の採石場から大ピラミッドまでは約300メートルの距離がある。この道のりを、1個平均2.5トンの石材をソリに載せて引いていく。ピラミッド建造実験によると、ソリに載せた重さ2トンのブロックは10〜12人で引けることがわかった。ということは、1組20人のチームであれば、2.5トンの石材を十分に運ぶことができただろう。採石場とピラミッドの往復に2時間かかるとしたら、1チームあたり1日5個の石材をピラミッドに供給できたことになる。ピラミッドを23年で完成させるためには1日340個の石材を据え付ける必要があったため、20人のチームが68組、計1360人の引き手がいたと推測される。

 最後に、石を削って据え付ける作業。建造実験の結果から、テコを使って石を持ちあげるのに4人、石を押して位置を調節するのに2人、石材を削って仕上げをするのに2人、これに予備の2人を加えると、ピラミッドの現場でブロック1個に必要な人員は10人になる。採石場からは1時間当たり34個(340÷10)の石材が届けられるので、それを10人が1時間でひとつ据え付けるとすると、340人がこの作業に従事していたことになる。しかし、このペースを維持し続けるのは少々きついようだ。仮に人員を倍の40人にしたとすると、石を削って据え付ける作業には、約680人の労働者が必要だったことになる。

 石を切り出すのに1212人、運ぶのに1360人、削って据え付けるのに680人、合計すると3252人。これ以外にも、石材をピラミッドの上部に運ぶための「傾斜路」の建設に多くの人員が必要だったと考えられている。道具とソリを作る大工や、切断工具を作ったり研いだりする金属細工師、水を運ぶ労働者、労働者の食事を準備する職人もいたことを考えると、クフ王のピラミッド建造に関わった人々は、2万~2万5千人にのぼった可能性が指摘されている。では、それは一体どのような人々だったのだろうか。

http://tokidesign.jp/howto/story01.htmlより引用

採石一日に切り出す必要のある石・・・322個(工期23年より計算)
実験では12人で鉄のケーブルを持ったウィンチを用い1日あたり8.5個の伐り出しが可能だった。
古代エジプトいはウィンチはなかったと考えられるので、追加で作業員20人が必要とし、32人とする。
32人で8.5個の伐りだしを行ったとすると、1日322個のノルマを果たすためには1212人の作業員が必要。

322個÷8.5個×32人=1212人・・・・1日に必要な砕石の作業員数
運搬運搬距離300メートルを、1個平均2.5トンの石材を運ぶ。
実験では2トンの石材を10~12人でひくことが可能だった。
2.5トンを20人でひいたと仮定し、所要時間を2時間として計算。
20人椀チームで1日5個の運搬が可能。
1日に運搬する必用のある石・・・340個

340個÷5個×20人=1360人・・・1日に必要な運搬の作業員数
加工・据付テコを使って石を持ちあげる・・・4人
位置調整・・・・・・・・・・・・2人(実験より確認)
仕上げ・・・・・・・・・・・・・2人
予備・・・・・・・・・・・・・・2人

ブロック1個に必要な人員・・・・10人

採石場からは1時間当たり34個(340個÷10時間)の石材が届けられる。

その石材を10人が1時間でひとつ据え付ける・・340人・・一日に必要な加工・据付の作業員数
しかし、重労働すぎるので、人員を倍にする・・・340人×2倍=680人
その他傾斜路建設、道具を作る大工、金属細工師、料理人・・・2万人
まとめ採石1212人、運搬1360人、加工・据付680人。合計3252人。
その他2万人。

ピラミッド建造従事者は2万人から2万5000人に及ぶか。

この記事で算出している作業員数は仁徳天皇陵の述べ人数の計算とは異なり、1日当たりの作業員数である。

仁徳天皇陵の一日当たりの作業員数・平均1190人と比較すると、採石・運搬・加工据付の作業員数だけでも2.7倍となる。

Khufu CEM

クフ王像 (en)(エジプト考古学博物館)

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Khufu_CEM.jpg
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/6f/Khufu_CEM.jpg
Khufu.JPG:derivative work: JMCC1 / Public domain

③ピラミッド建造は公共事業だった説の根拠

この記事は続けてこんなことも記している

ピラミッドをつくった人々

 古代ギリシャの歴史家ヘロドトスは、ピラミッドは身分の低い労働者を奴隷のように働かせてつくられた、と書き記している。しかし、今ではこの話を信じている専門家はほとんどいない。「ピラミッド建造実験」を行ったマーク・レーナーは、クフ王の大ピラミッドがそびえるギザ台地の南東に、ピラミッドの建造に従事した人々の街を発見した。この街の一角からパンを焼くための甕(かめ)や壺が見つかったことから、ここにはパン焼き場があったことがわかっている。ゴミ捨て場の調査からは、労働者たちが、当時とても貴重だった牛肉を食べていたことも判明した。さらに、この街の近くでは、労働者の墓も見つかっている。古代エジプト人にとって墓を持つというのはひとつの特権であった。これらのことから、ピラミッドを建造したのは奴隷ではなく、エジプトの一般市民、ことによると、ある種のエリートとさえいえる人々だったと推測されるのだ。遺骨調査の結果から、そこには女性も含まれていたと考えられている。ピラミッド労働者たちは仕事を終えて街に戻り、焼きたてのパンと貴重なタンパク源である肉、そして、当時の「アフターファイブ」にも欠かすことのできなかったビールによって、一日の疲れを癒していたのだ。しかし、そんな「エリート」たちが、なぜこの過酷な「プロジェクト」に参加したのだろうか。

ピラミッド建造のモチベーション

 古代エジプト人は死後の世界、すなわち来世を信じていた。死者が来世で「有力者」となるためには、葬送儀礼や死後の供物といった、生者の「世話」が必要だとされていた。そのため、死者は生者に自らの世話を求め、逆に生者は死者が来世で力を持つことによって、家を守り、維持していくことを求めたのである。ピラミッドが王の墓であることは先に述べた通りだが、それは同時に、王が天に昇るための「装置」でもあった。ピラミッド内部の墓室に記された「ピラミッド・テキスト」には、死者となった王は太陽光線に導かれて天に昇っ ていくとあり、そのため、ピラミッドとは雲の切れ間から降り注ぐ太陽光線を物質化したものだ、と考える説もある。古代エジプト人にとって王とは神であり、全エジプトの家長であった。つまり、ピラミッドをつくることは、国の事業に従事するという栄誉に浴するだけでなく、自らが属する共同体全体を、王の死した後の新たな世界へと運ぶ準備に関わることだったのである。

 4500年前のエジプトに思いを馳せてみる。そこでは、今日も、誇り高き労働者たちが、石を切り出し、石を引き、太陽に向かって、ひとつひとつ、据え付けていたことだろう。父なる王のため、愛する家族のため、そして、何物にも代えがたい、仕事の後の一杯のビールのために。

http://tokidesign.jp/howto/story01.htmlより引用

この記事の内容を箇条書きにまとめておこう。

①古代ギリシャの歴史家ヘロドトスは、「ピラミッドは身分の低い労働者を奴隷のように働かせてつくられた」と書いている。

②しかし、ヘロドトスの説を信じる専門家は現在ではほとんどいない。

③マーク・レーナーは、ピラミッドの建造に従事した人々の街を発見した。(ワークマンビレッジ)
●パンを焼くための甕(かめ)や壺が発見された・・・パン焼き場があった。
●ゴミ捨て場の調査・・・・・・・・・・・・・・・作業員たちは当時貴重だった牛肉を食べていた。
●労働者の墓が発見された・・・・・・・・・・・・古代エジプト人にとって墓を持つというのは特権だった。
  👇
ピラミッドを建造したのは奴隷ではなく、エジプトの一般市民またはエリート?

④古代エジプト人は、死者が来世で「有力者」となるためには、葬送儀礼や死後の供物といった、生者の「世話」が必要だとされていた。

⑤ピラミッド内部の墓室に記された「ピラミッド・テキスト」には、「死者となった王は太陽光線に導かれて天に昇っ ていく」とある。

⑥古代エジプト人にとって王とは神であり、全エジプトの家長であった。
つまり、ピラミッドをつくることは、国の事業に従事するという栄誉に浴するだけでなく、自らが属する共同体全体を、王の死した後の新たな世界へと運ぶ準備に関わることだった。

Kheops-coupe

クフ王のピラミッド断面図 1.入口 2.盗掘孔 3.上昇通路入口 4.下降通路 5.未完の地下室 6.上昇通路 7.女王の間 8.水平通路 9.大回廊 10.王の間 11.控えの間 12.脱出孔

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Kheops-coupe.svg
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/73/Kheops-coupe.svg
Kheops-coupe.jpg: MONNIER Franckderivative work: Malyszkz / Public domain


④古代エジプト人がビールを飲んでいたとされる根拠

上の記事にはエジプト人がビールを飲んでいたことについては記されているが、その根拠については記されていない。
そこで調べてみると、証拠として次のようなものがあることがわかった。

関連記事
スポンサーサイト



コメント

コメントフォーム

  • URL:
  • 本文:
  • password:
  • 非公開コメント:
  • 管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

プロフィール

写真・文章の無断使用はご遠慮ください。 ご意見・ご感想はお気軽にメールフォームにてお問い合わせください。

ぜっと

Author:ぜっと

最新記事

最新コメント

月別アーカイブ

カテゴリ

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

カレンダー

08 | 2023/09 | 10
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

カウンター

ブログ村ランキング

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

QRコード

QR