姓・氏・名前の違い、庶民の名前 ※書き直しました。
↑ この動画について語る前に、姓・氏・名字のちがい、百姓の意味の変遷について簡単に勉強しておこう。
一夜漬けの知識なので、間違いなどあれば指摘をお願いします。
① 姓(かばね)は大王が有力氏族に与えた称号
姓(かばね)とは古代日本で、大王(おおきみ。古代天皇とは呼ばれておらず、大王と呼ばれていた。)が有力氏族に対して与えた称号のことである。
第13代成務天皇が国造(くにのみやつこ)、県主(あがたのぬし)、ワケ(和気、別)、稲置(いなぎ)などの称号を定めて氏族に与えたとされる。
第19代允恭天皇代には臣連制が導入され、公・君(きみ)、臣(おみ)、連(むらじ)、直(あたい)、首(おびと)、史(ふひと)、村主(すぐり)などの称号を定めて氏族に与えた。
この姓の制度は、壬申の乱(672年)の後、天武天皇が八色の姓(やくさのかばね)を制定したことによって一新された。
八色の姓の制で定められた姓は、上位から、真人(まひと)・朝臣(あそみ)・宿禰(すくね)・忌寸(いみき)・道師(みちのし)・臣・連・稲置であるが、
道師・臣・連・稲置は実際には与えられなかったともいわれている。
それまで上位の姓とされた臣・連は上位より6、7番目となって地位が低下した。
しかし奈良時代にはほとんどの有力氏族の姓が朝臣になってしまい、八色の姓は形式的なものとなった。
八色の姓以前の姓
国造 | 地方官 | 倭氏・都祁氏・葛城氏・山背氏など |
県主 | 地方官? | |
ワケ | 皇族の子孫、王族将軍 | 鐸石別・池速別など |
稲置 | 県 (こおり) を治める首長 | |
公 | 応神天皇以後、あるいは継体天皇以降の 皇族の後裔と称する皇親氏族 | 息長公・多治比公・当麻公など |
君 | 中小豪族 | |
臣 | 継体天皇以前の天皇から別れ出た氏族 | 蘇我氏・巨勢氏・紀氏・平群氏・葛城氏・波多氏など |
連 | 皇室以外の神々の子孫 | 大伴氏・物部氏・中臣氏・土師氏・弓削氏など |
直 | 渡来人や、国造などの地方豪族 | |
首 | 部曲名を氏とする部民の統率者 | 海部首・山部首・忌部首・赤染部首など |
職名を氏とする帰化人 | 西文首・馬飼首・韓鍛冶首など | |
屯倉の管掌者 | 大戸部・大鹿首・新家首など | |
史 | もと文書や記録の作成を担当した渡来人集団を渡来人系の官人組織。 後に一族・部民らは史部となり、姓の1つに転じた。 | 田辺史・阿直岐史・船史・白猪史など |
村主 | 地方官職名か、あるいは朝鮮系漢人の統率者?渡来系中小豪族 | 漢氏など |
真人 | 継体天皇の近親とそれ以降の天皇・皇子子孫 | 守山公・路公(みちのきみ)・高橋公・三国公・当麻公・茨城公など |
朝臣 | 皇族以外の臣下の中では事実上一番上の地位にあたる | 大三輪氏、大春日氏、阿倍氏、巨瀬氏、膳氏、紀氏、波多氏、物部氏平群氏、雀部氏、 中臣氏、大宅氏など |
宿禰 | 連(むらじ)姓を持った神別氏族 | 大伴氏、佐伯氏など |
忌寸 | 国造系氏族 | 大倭氏・凡川内氏など |
渡来人系の氏族 | 東漢氏・秦氏など | |
道師 | 不明 | 不明 |
臣 | 地方豪族 | |
連 | 地方豪族 | |
稲置 | ? |
護王神社 亥子祭(宮中行事を再現したもの)
②姓と氏の混同、名前
①で、姓とは朝臣・宿禰などの称号であることを見た。
たとえば大三輪氏の称号である姓は朝臣、大三輪氏などの氏は、男系祖先を同じくする同族とされる家の集団のことである。
しかし平安時代の頃から、氏と姓は同じものだという認識が広まっていく。
例えば源氏の場合、臣籍降下して天皇より「源氏」姓を賜ったなどといわれることがある。
ここでいう「姓」とは称号の「姓(かばね)」ではないと思う。
源氏が登場した平安時代にはすでに八色の姓は本来の意味を失っていたからだ。
そして姓=氏という認識が生じていたと思われるので、源は本来ならば氏なのだが姓といわれているのだと思う。
さらに、天皇から賜った名前を姓、自ら名乗った名前が名字という認識も生まれた。
例えば足利尊氏の足利は名字、源は姓(氏)ということで、彼は源尊氏といわれることもある。
だいたい次のように考えればいいのかなと思う。
もともとの氏・姓・名字の意味
氏 | 親族集団 | 地名・職業に由来したもの 天皇から賜った(藤原・橘・源・平など)ものなどある |
姓 | 身分をあらわす称号 | 朝臣など 奈良時代以降本来の意味を失い、氏と同義と考えられるようになる。 |
名字 | 家の名前 | 自由に名のることができる。 |
奈良時代以降変化した氏・姓・名字の意味
氏 | 親族集団 | 地名・職業に由来したもの |
姓 | 天皇から賜った氏 | 天皇から賜った(藤原・橘・源・平など)氏 |
名字 | 家の名前 | 自由に名のることができる。 |
② 古代の氏姓制度と庶民の名前
もともとは、共通の祖先をもつ人々の集団を氏と呼んでいた。
しかし大化の改新の後、血縁関係のない私有民も「氏」の構成要員となった。
氏の構成要員は次のとおり。
氏上・・・・・「氏」のトップに立つ人
氏人・・・・・氏人以外の氏の血縁関係のある構成員
部曲(かきべ)・・・・・・豪族に隷属する部(べ)・部民(べのたみ)と呼ばれる半自由民の労働集団。家を持ったり、結婚することはできた。
奴・奴婢・・・・・・奴隷(財産として売買、譲渡されることもあった。)
古代の庶民は部曲(かきべ/豪族の私有民)であり、そして有力氏族の氏に部をつけた「○○部」という名前で呼ばれていた。(大伴部、藤原部など)
しかし天武朝以降、部曲は廃止されて、公民となった。
名字(苗字)は近代まで誰でも自由に名乗る事が出来た。
しかし庶民は公的に名字を名乗ることができず、江戸時代には幕府は武家公家以外名字を名乗ることを禁止する法令を出している。
1871年 姓尸(セイシ)不称令が出され、以後日本人は公的に本姓を名乗ることはなくなった。
1872年「通称実名を一つに定むる事」(太政官布告第149號)により公的な名は一つと定められ、戸籍上の氏名は簡単に変更することができなくなった。
1875年に平民苗字必称義務令がでて、国民はみな公的に名字を持つことになった。このとき自分で名字を創作して名乗ることもあった。
④百姓の意味の変遷
品部・雑戸は、朝廷に直属する部民で、宮廷で用いるさまざまなものの生産などを行っていた。
皇族、奴婢などの賎民(奴隷)、蝦夷(東北にすむ民)などは百姓から除外されていた。
農民のことを百姓と言うようになるのは江戸時代のことである。
⑤ねずさんは姓と氏を混同している?
以上のことを押さえたうえでねずさんの話を聞いてみよう。
●「百姓とは百のかばね。」
私たちはすでに姓には3つの意味があることを見た。
⑴天皇から与えられた身分をあらわす称号(朝臣など)
⑵奈良時代以降、臣籍降下する際などに天皇から与えられた氏(姓と氏は本来別のものであるが混同された)
⑶氏(姓と氏は本来別のものであるが混同された)
百姓は大化の改新以降に貴族、官人、公民、雑色人をさす言葉だった。
百は「多くの」という意味だろう。
「姓」は本来の「称号」という意味ではなく姓と混同された氏の意味⑶で用いられているように思える。
氏であれば、100はゆうにあるだろう。
⑥その他いろいろまちがってないか?
●「姓とは職業集団。」
①でみたように、姓には史のような職業集団的なものもあるが、どちらかといえば氏族の階級を表すもののように思える。
●「(姓には)もうひとつ意味がある。
女偏に生まれるとかく。一人の女性から生まれた仲間。村は全員親戚。
斉藤さん、鈴木さんのようにみんな姓をもっている。」
小さな村にいくと、同じ苗字の表札ばかりというのは珍しくはない。
しかし正確にいえば斉藤・鈴木は名字であって、姓(称号、天皇から与えられた姓)ではない。
民衆が姓(かばね)をもらったのではなく、古代、有力氏族が臣・連などの称号である姓をもらったのである。
奈良時代以降は功績があったものや、臣籍降下したものに対して天皇が姓(本来の意味での氏)を与えることがあった程度で、
すべての民衆が天皇より姓をもらったりはしていない。
有力氏族に隷属する庶民である部曲たちは、氏の名前〇〇に部をつけて〇〇部と呼ばれていた。
部曲廃止後は自由に名前をつけていたかもしれないが、庶民は公に名前を名のることは禁止されていた。
●たくさんある姓の中のひとつをもらったから百姓であり天皇のおおみたからである。
古代の称号としての姓は8個程度しかない。
奈良時代以降、天皇が功績があったものに与えたもの(藤原)や、天皇が臣籍降下するものに対してあたえたもの(橘・在原・源・平)も姓と呼ばれているが、そんなに多くはない。
庶民の名前は天皇からもらったもからのではない。
●百姓は「天皇のおおみたから」と言う意味。」
これば日本書記に「百姓」と書いて「おおみたから」とよませている例があるとのことである。
日本書記は漢文体で書かれているが、歌謡や訓注などで万葉仮名が使われているのかもしれない。
「漢字の一字一字を、その字義にかかわらずに日本語の一音節の表記のために用いるというのが万葉仮名の最大の特徴である。万葉集を一種の頂点とするのでこう呼ばれる。『古事記』や『日本書紀』の歌謡や訓注などの表記も『万葉集』と同様である。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%9B%B8%E7%B4%80#より引用
飛鳥 勧請綱
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