「一揆は一人でも反対があったらやらない」は超民主主義という妄想
①ねずさんは姓・氏・名前、百姓の意味を混同している。
前回、上の動画でのねずさんの発言について、次のような間違いを指摘した。
姓・氏・名前の違い、庶民の名前 ※書き直しました。
●「百姓とは百のかばね。」
姓には3つの意味がある。
⑴天皇から与えられた身分をあらわす称号(朝臣など)
⑵奈良時代以降、臣籍降下する際などに天皇から与えられた氏(姓と氏は本来別のものであるが混同された)
⑶氏(姓と氏は本来別のものであるが混同された)
百姓は大化の改新以降に「貴族、官人、公民、雑色人」をさす言葉だった。
百姓の百は「多くの」という意味だろう。
百姓の「姓」は本来の「称号」という意味⑴ではなく姓と混同された氏の意味⑶で用いられているように思える。
⑴称号としての姓には史のような職業集団的なものもあるが、氏族の階級を表すもののほうが多い。
⑵臣籍降下する際などに天皇から与えられた氏(姓)は、親戚降下するものや一族に与えられたものであって、職業集団に対して与えられたものではない。
●「(姓には)もうひとつ意味がある。
女偏に生まれるとかく。一人の女性から生まれた仲間。村は全員親戚。
斉藤さん、鈴木さんのようにみんな姓をもっている。」
斉藤・鈴木は名字であって、姓(称号、天皇から与えられた姓)ではない
明治以前、名字は自由になのることが出来た。
奈良時代以降は功績があったものや、臣籍降下したものに対して天皇が姓(本来の意味での氏)を与えることがあった程度。
すべての民衆が天皇より姓をもらったりはしていない。
部曲廃止後は自由に名前をつけていたかもしれないが、庶民は公に名前を名のることは禁止されていた。
●たくさんある姓の中のひとつをもらったから百姓であり天皇のおおみたからである。
古代の称号としての姓は8個程度しかない。
奈良時代以降、天皇が功績があったものに与えたもの(藤原)や、天皇が臣籍降下するものに対してあたえたもの(橘・在原・源・平)も姓と呼ばれているが、そんなに多くはない。
庶民の名前は天皇からもらったもからのではない。
●百姓は「天皇のおおみたから」と言う意味。」
日本書記に「百姓」と書いて「おおみたから」とよませている例があるとのことである。
日本書記は漢文体で書かれているが、歌謡や訓注などで万葉仮名が使われているのかもしれない。
しかし、ここでいう「百姓」とは、「貴族、官人、公民、雑色人(品部及び雑戸)」をさしている。
農民のことを百姓と言うようになるのは、江戸時代のことである。
したがって、江戸時代に一揆をおこした農民たちが、自分たちのことを「百姓=おおみたから」だと考えていた可能性は低い。
伏見稲荷大社 お田植祭 6月10日
②「言葉があること」は「実際が言葉どおり」であることは違う。
1:34 ぐらいのところで、このように書いた紙が示されている。
一揆 揆を一にする。=気持ちをひとつにする もともとは、平安末期の僧兵たちの強訴の際に行動の趣旨を書いた紙を全員で回覧したことにはじまる。 全員で決めた以上、決定も結果も一同全員の責任。 受益者全員による合議、満場一致による決議 |
これはねずさんがしょっちゅうやらかしている手口である。
「言葉があること」と「実際が言葉どおり」であったことは異なるのに、
「言葉があること」を「実際が言葉どおり」であったことと断定してしまうのだ。
たとえば、「平和」という言葉があることと、「世の中が平和である」ことはイコールではない。
これと同じで、一揆という言葉が「気持ちをひとつにする」という意味であることと、「一揆は満場一致の結果行われた」ということはイコールで結びつけることはできない。
「一揆は満場一致の結果行われた」というのであれば、その例をいくつか示さなければいけない。
それをされていないということは、事例がないということだととられても仕方がない。
③超民主主義という妄想
●満場一致 一人でも反対があったらやらない(超民主主義)
民主主義とは「人民が主権を持ち行使する政治」のことをいう。
すると、一揆は政治なのか、一揆衆は主権をもっているのか、という問題になってくる。
政治について、ウィキペディアは次のように記している。
広辞苑では「人間集団における秩序の形成と解体をめぐって、人が他者に対して、また他者と共に行う営み。権力・政策・支配・自治にかかわる現象。」としている。 大辞泉では「1. 主権者が、領土・人民を治めること。2. ある社会の対立や利害を調整して社会全体を統合するとともに、社会の意思決定を行い、これを実現する作用。」としている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BF%E6%B2%BB より引用
⑴人間集団における秩序の形成と解体をめぐって、人が他者に対して、また他者と共に行う営み。(広辞苑)
⑵権力・政策・支配・自治にかかわる現象。(広辞苑)
⑶主権者が、領土・人民を治めること。(大辞泉)
⑷ ある社会の対立や利害を調整して社会全体を統合するとともに、社会の意思決定を行い、これを実現する作用。(大辞泉)
⑴⑵⑷の意味では、一揆は政治であるともいえそうだが、⑶の意味では一揆を政治であるというのは難しそうに思われる。
農民は主権者とはいえないからである。
江戸時代は幕府があり、その下に藩があり、藩主が藩の民を治めていたのである。
仮に一揆衆の運営は民主主義でやっていたといえるとしても、藩や日本の政治が民主主義であったなどとはいえないが
そもそも立場のちがう多くの人の考えを一致させるということが本当に可能なのか?
私には妄想のようにしか思えない。

鏡作神社 おんだ祭
④魏志倭人伝にねずさんが言うようなことは書いていない。
●魏志倭人伝にもこのこと(日本社会が超民主主義であったこと)はのっている。一揆ではないが、民衆が毎月神社に集まって酒を呑み、いろんなことを決めていくと書いてある。
魏志倭人伝全訳というサイトで酒を検索してみると、次の2つの文章がでてくる。
⑴(会稽の)水人(倭人)が死ねば、棺(かんおけ)を用いるが槨(かく)(外棺=そとばこ)はなく、土を盛って塚を造る。
死去から十日あまりは喪に服し、その間は肉を食べず、喪主は大声で泣き、他の人々は歌い舞ったり酒を飲んだりする。
埋葬が終われば、家人は皆が水中に入って禊(みそぎ)をする。中国で言っている練沐(練り絹を着ての沐浴)のようである。
⑵そこでは卜占を行う祭祈堂は座席の順序や男女や親子など立ち居を区別することなく、一同に会している。人々の性質は酒好きである。人々は大人(高貴な者)への敬意を表すにはもっぱら手を合わせている(合掌のこと)。それでもって、中国の跪拝(ひざまずいて礼をすること)にあたるようである。
http://www.himiko.kingchin.jp/336_1_zenbunWayaku.html より引用
「集まって酒を呑む」という意味にはとれそうだが、「いろんなことを決めていく」というような意味のことは書いていない。
「身分に上下関係があり、下の身分の人は上の身分の人に合掌して礼をしている」と書いてある。
⑤天子さまの百姓(おおみたから)に奴婢、蝦夷は含まれていない。
●天下の百姓である。天子さまのおおみたからである。大官地頭何するものぞ。
これについてはすでに述べたが、百姓が農民の意味となるのは江戸時代である。
もともとの百姓(日本書記では「おおみたから」とよんでいる。)とは、貴族、官人、公民、雑色人をさす言葉だった。
なお、皇族、奴婢などの賎民(奴隷)、蝦夷(東北にすむ民)などは百姓から除外されていた。
古代の奴婢は人口の10%から20%いたとされる。
10人のうち1人2人は百姓ではなかったのだ。
また東北に住む民も百姓には入っていなかった。
奴婢の子孫、蝦夷の子孫は百姓にはあたらないということになる。

鏡作神社 おんだ祭
⑥天草四郎はカリスマとして持ち上げられただけでは?
●島原の乱は一人のリーダーがいてとことん戦うということになれば武力を用いざるをえなくなる。
通常の百姓一揆は全然意味合いがちがう。
「一人のリーダー」というのは総大将の天草四郎のことを言っているのだろうか?
島原の乱は重税に苦しむ領民(大規模経営者を含む)、浪人、キリシタンらの不満など様々な立場・身分の人々が結束しておきた一揆である。
島原の領民は、過酷な税に苦しんでおり、旧有馬氏の家臣たち(武士身分から百姓身分に転じていた)をリーダーとして組織化していた。
また、肥後天草でも小西行長・加藤忠広の改易により大量に発生していた浪人たちが組織化していた。
彼らは湯島(談合島)において会談を行い、カリスマ性のある人気キリシタンである16歳の天草四郎を総大将として乱をおこすことを決めたのだ。
実際に乱を計画・指揮していたのは浪人や庄屋たちで、天草四郎は担ぎ上げられていたにすぎないとみるのが妥当だと思う。
原城に籠城した老若男女37,000人は全員が死亡し、内通者・山田右衛門作ひとりのみ生き残ったといわれるが、
キリシタンではないのに強制的に一揆に参加させられた百姓などが一揆から脱走した記録なども残っているそうである。
普通に考えて、こういうことはありがちなことである。
強制的に一揆に参加させることを超民主主義といえるのか?

名馬場の里 プロジェクションマッピング 天草教会群
※他の一揆についてはこれから調べる。
写真ブログのはずだったのにほとんど歴史ブログになってしまった 心の旅 もよろしくおねがいします。
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