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事実よりも美しい物語が大事 by ねずさん


①青葉滋蔵尊

無知ゆえ知らなかったのだが、青葉滋蔵尊にまつわる有名な話があるらしい。
本や映画にもなっているそうである。

どんな話なのかはねずさんが「満州従軍看護婦実話」というタイトルで記事に詳しく書いておられる。

http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1184.html
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1185.html
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1186.html

簡単にまとめると次のような内容になる。

昭和20年、掘喜身子さんら看護婦34名は、長春第八病院に勤務することになった。
掘喜身子さんは婦長だった。
ソ連陸軍病院第二赤軍救護所から看護婦の応援を要請してきたので看護婦9名を送るがいつまでたっても帰ってこない。
そのうち1名が銃創を負って戻ってきて「私たちはソ連軍将校の慰みものにされている」と告げて息絶えた。
それを知った看護婦22名は「慰みものにされるくらいなら」と自決した。
長春第八病院に向かった9名の看護婦のうち1人はなくなったが、あとの8人は梅毒にかかっていた。
昭和23年、長春の在留邦人に帰国命令が出た。
掘喜身子さんはともに帰国するため梅毒にかかった8人をまっていた。
そのうち3人はやってきたが梅毒を恥じて自決した。5人はやってこなかった。
日本に戻った掘喜身子さんは23名の看護婦の遺骨を、菩提寺の墓所に預けた。
そして元の上官の平尾氏と二人で地蔵菩薩の建立費を積み立てる約束をした。
浪曲家「若梅鶯」こと松岡寛氏は週刊誌で22名の看護婦自決の記事をよみ、『あゝ従軍看護婦集団自殺』浪曲にして全国を公演してまわった。
松岡寛氏は公演先で身元が分からなくなっていた23名の情報を観客に求めた。
そのかいあって19名の身元が判明し、遺骨を家族のもとに返すことができた。
一方、掘喜身子さんは地蔵建立のため平尾氏に送金を続けていたが、平尾氏の妻が病でお金は使いこまれていた。
昭和27年、山下奉文将軍の元副官で、陸軍大尉だった吉田亀治さんは埼玉県大宮市に所有する土地に公園墓地「青葉園」を開園した。
松岡寛氏の講演を聞いた吉田亀治さんは掘喜身子さんに面会し、自決した23名のための「青葉慈蔵尊」を建立した。


②青葉地蔵尊の物語は事実か?

ところがこの話、事実ではないのでははないかという説がある。

その理由は次のようなものである。

●堀喜身子さんが自決した22人の遺族を探した形跡がない。
●複数回マスコミが報道しているが、堀喜身子さんはマスコミに遺族探しの依頼をしていない。
●19人の身元がわかったとされるが、身元が発表されていない。
●身元が分からないので靖国神社に合祀が認められていない。

ネットでぐぐるともっと詳細に検証した記事がたくさんでてくるので、興味があれば読んでみてほしい。

確かに身元が確認できないのであれば、浪曲のために創作された物語である可能性もある。

そしてこれを疑問に感じたある方がねずさんに次のような文書を送ったそうである。

「青葉慈蔵尊に関係する女性たちは、靖国神社に合祀されていないので真実かどうか疑わしい。
真実かどうか疑わしい物語は従軍慰安婦と同じなので、広めないほうがいいのではないか」と。

③ねずさんの反論

これに対する返事としてねずさんが次のような記事を書いておられた。

長いが「文章を切り取った」と言う人がでてきそうなのでwほぼ全文引用しておく。

(リンクの部分など一部は略した。読むのが面倒な方は、④にとんでもらってもok。)

歴史は「学ぶ」ためにある、というのがボクの一貫した姿勢です。

赤穂浪士が討ち入りの際に着ていたいのは、歌舞伎に出てくるだんだら模様の秀麗な着ものであったかなかったかなど、ボクにとってはどうでもいい話で、そういう検証は、したい人、そういうことが好きな人にしていただけばよい。

討ち入りをすれば、死罪は免れないという時代です。
そんな時代に、彼らがなぜ「討ち入り」という選択をしたのか。
後世に生きるわたしたちはそこから、数多くのことを学ぶことができる。

青葉慈蔵尊の物語に関して言えば、その方は、
http://sinzitusikan.iza.ne.jp/blog/entry/262052/
のサイトを見て、青葉慈蔵尊にまつわる女性たちは、靖国神社に合祀されていない。
だから「真実かどうか疑わしい」と考え、この物語は「従軍慰安婦と同じ」であり、だから「広めるのはどうかと思います」なのだそうです。

まず、「真実かどうか疑わしい」ということについて申し上げます。

私はその場に居合せたわけではありません。
ですからこの女性たち自決等を見てきたわけではありません。
ですから「真実であるかどうか」は、私にはわかりません。
けれど、もし私がこの目で見、体験したことであったとしても、そんなことを言っているのはねずきちだけだ、他の誰もそんなことは言っていないと言われれば、「疑わしい」ことなる。

「織田信長が桶狭間で今川義元の首を討った」という話は、日本人のいわば「常識」であり、誰もが知っている物語です。
あったこと、とされています。
けれど、それは本当のことなのでしょうか。
桶狭間で、義元は自ら腹を切って自害したということはないのでしょうか。

桶狭間事件は、勝って天下をとった織田側の歴史です。
つまり戦勝者の歴史です。
そういう歴史観がほんとうに事実を語っているのでしょうか。

雑兵が義元の首を斬ったというけれど、周囲を近衛兵の猛者に囲まれた義元が、たかがひとりふたりの雑兵に討たれるのでしょうか?
義元の周囲には、小姓もいるし、いまでいうならSPのような屈強な近衛兵たちがいたはずです。
いくさの負けを悟った義元が、殺されるのを快しとせず、自ら自害し、その遺体から雑兵が首を取ったとのではないですか?

もしその「可能性」があるのなら、「織田信長が桶狭間で今川義元の首を討った」というのは、作り話なのではないですか?

などなど、そのような話をいくらしても、それは学者さんや歴史オタクさんたちにとっては大事な話かもしれないけれど、悪いけれどボクにはまったく関心も興味もありません。

義元が「討たれた」のか、「自決した」のか、そんなことはどうでもよろしい。
このような議論をいくらしても、ボクは不毛だと思う。
もちろん、そういうことを、事実を積み上げて一生懸命冷静に検証する学問的努力は必要です。
けれど、自分が桶狭間に居合せたわけでもなく、記録の検証も原書を直接確認し、研究したわけでもない素人が、あったかなかったかなどを議論しても、それは不毛です。

後世の私たちにとって大切なことは、信長が勇気をもって寡兵で何倍もの敵を討ったということ、迅速な作戦行動の重要性、大将の油断のもたらす危険など、ボクたちが桶狭間事件から「学ぶ」ことはたくさんある。
その「学ぶ」ということが大事なのです。
ボクは、そう思っている。

青葉慈蔵尊の物語でいえば、命を捨ててまで仲間たちを守ろうとした大島看護婦の勇気、操を命より大切なものとして集団自決の道を選んだ22名の乙女たちの心、半分死んだようになっていた拉致被害者の乙女たちを必死で救おうとした掘婦長の誠実さ、「日本に帰れる」そのことが本当に嬉しかったからこそ、現地で死を選ばざるを得なかった彼女たちの愛国の情、帰国後、何年かかかっても、彼女たちの冥福のために人生を捧げた掘元婦長の優しさ、その行動を意気に感じて名を捨ててまで「自分でできることで」全力で支援しようとした浪曲師、事態を知ってお地蔵さんを建立してくれた青葉園の創立者の心、私たちがこの物語を通じて「学ぶ」ことはたくさんある。

歴史を学ぶというのは、そういうことなのではないかと思うのです。
検証作業は、学者や、そういうことが好きな人に任せればよい。
私たちにとって必要なことは、どこぞのサイトに否定の文書が掲載されていたという「理屈」ではなく、この物語を通じて何かを得ることなのではないかと思うのです。

ですから、この物語を否定する人がいるというのなら、それはそれで良い。
その人には、そういう捉え方しかできなかったのだな、とボクは思うだけです。
もっと、はるかに大切なことを、その人は感じ取ることができなかった、かわいそうな人だとボクは思うだけです。

次に、青葉慈蔵尊の物語が「従軍慰安婦と同じ」という指摘についてです。

「疑わしい」から「従軍慰安婦と同じ」というのは、同じ日本人同朋にたいする侮辱であると思います。怒りさえおぼえる。

従軍慰安婦の話は、ハナからねつ造そのものであり、目的は日本政府からカネをふんだくるところにある。
日本兵の給料が月に15円~25円だった時代に、月に1000円も2000円も荒稼ぎして、その成功体験が忘れられず、どこぞの国では、いまでも床屋にさえもマッサージ嬢と称する売春婦が出入りしている。
歳をとって、いまさら売春もできないとなったら、過去の売春は日本軍に強要されたものだとデタラメを言って賠償金を取ろうとする。
そこに見え隠れするのは、醜悪な金の亡者の利己だけです。
学ぶべきことなど何もない。

終戦直後の満州や朝鮮半島において、何が起こったのか。
そこで我々の同朋が、どのような目に遭わされたのか。
それだけではない。
日本に対する侮日工作の過程の中で、何が起こったのか。

~略~

青葉慈蔵尊に祀られた乙女だちだけではないのです。
まだ幼い子供までが強姦され、殺害された。女に生まれると、こんなことまでされるのかと思うほど想像を絶する酷い目に遭わされた。日本人であるというだけで、人間であるということ自体を否定された。

そういう事例が、数限りなく外地で繰り返された。
青葉慈蔵尊の物語は、そのなかのひとつの典型です。

夢と希望をもって大陸に渡った満州開拓団の人々が酷い目に遭わされた。
集団自決した看護婦たちの思い、あるいは、梅毒に罹患して生き残りながら、やっと日本に帰れるとわかったその日に命を絶った乙女たちの思い。
それでも「私たちは満州の地に魂魄として残り、いつの日か、日本の同朋が再びこの地を訪れるとき、ご案内したい」と命を絶った。

その悔しさ、悲しさ、辛さ。
そういうことが、日本人としてけっして忘れてはいけないことだとするならば、この物語は、日本人として未来永劫、語り継がなきゃならない物語だと、ボクは思う。

「仮に」と申し上げました。青葉慈蔵尊にまつわる乙女たちの物語が、単に浪曲のための創作であったとしても、その物語は、終戦直後の国家を喪失したとき、すなわち「ゼロ時」の出来事として、国を考えるときの重要なメッセージが含まれている物語として、伝えていかなければいけない話である、と思うのです。

従軍慰安婦のような、単に欲ボケの利権屋のねつ造物語と、国を大切にすることの重要性や、その他多くのことを教えてくれる物語と、一緒にされては困る。
それこそ、勉強不足というものです。

三つ目に、真実かどうか疑わしいから「広めるのはどうかと思う」という議論です。

ま逆です。
この物語は、広めなければならない。
ボクはそう思っています。

この物語の論拠となっているのは、掘元婦長の話だけです。

伝えられている事件が、あまりにも悲惨で酷い物語であるだけに、これを否定する論が出てくるのは当然のことと思いますし、そうした論調があることも十分承知しています。
それでも伝えなければいけない。
物語として、ボクはこのお話をご紹介しています。

いまとは比較にならないくらい貞操観念の強かった時代です。
大陸で強姦されたの性的おもちゃにされたの、梅毒に罹患したの、自殺したのとなれば、彼女たちだけなく、そのご家族の苦しみは想像を絶する。

もし、ご自分の愛娘が、この当事者であったのなら、ご遺族としてはどうするでしょう。
真岡郵便局事件のように、関係者全員が、ソ連兵に強姦される前に自決した、というのなら、合同法要もありかもしれない。

けれど、仲間のうちの何人かが、ソ連兵に拉致され、性的おもちゃにされた揚句、梅毒に罹患し、死んだとなれば、そのことについて住所、氏名を公表し、ご自分がご遺族として世間の前に晒されるという選択を、果たして望まれるでしょうか。

もちろん中には、靖国合祀となれば、氏名住所本籍の公表を受け入れようというご遺族もおいでになるかもしません。
けれど、ご遺族の何人かが「それは困る」と申し出れば、おそらく事態の悲惨さから、事件そのものについて、合祀さえもお断りする。
もし、ボクが彼女たちの誰かの親なら、拒否します。
なぜなら娘の恥を、世間に晒してなどしてほしくないからです。
靖国合祀などされなくても、関係者や「わかってくださる人」が、お地蔵さんを建ててくださったのなら、それだけで十分です。
毎年欠かさず、そこにお参りする。
鶴を持っていく。綺麗な花を手向けてくる。冥福を祈る。次に生まれてくるときには、絶対に絶対に幸多かれと祈る。
それが普通の日本人の感覚なのではないかと、ボクは思います。

それを、逆手にとって、靖国合祀されなかった、住所氏名本籍の公開がなかった、だから事実ではない、と声高に主張する人の方の心が、ボクには、逆に理解できません。
それが論理的帰結というのなら、その論は、あまりに人間を知らなすぎる。人の心を知らなすぎる。日本人としての心を失っている。そのようにボクは思います。

論理というのは、単にどこぞにこう書いてあるとか、どこかの学者がこう言っているというのが論理ではありません。

事実の積み上げが論理です。
そして青葉慈蔵尊の物語でいえば、その物語が事実であったかなかったかということよりも、もっと大切なメッセージがそこに込められている。
その「メッセージがこめられている」という事実を除外しては、それは論理にはならないとボクは思う。

百歩譲って、そのブログのように、この悲劇が単に浪曲の創作話にすぎなかったとしても(ボクはそうは思っていませんが)、この青葉慈蔵尊に関する物語は、語り継ぐべき内容と持った物語であるとボクは思います。

なぜなら、ゼロ時、すなわち国家というものがなくなったとき、私たちの同朋がどのような目に遭わされてしまうのか。
けっして能天気なお花畑ではすまない現実がそこにあるからです。

唯物史観などというもっともらしい言葉がついているようですが、証拠というものは客観的なものです。

けれどそれをつなぎ合わせて、どういう事実をそこに見出すかは「解釈」の問題であり、その「解釈」には、解釈する人の知識や人生観や主観がはいります。
だから対立や論争が起こる。

ボクは学者ではありませんし、歴史家でもありません。
そこいらにいるただのオヤジです。
そしてこのブログも、ねずきちの「ひとりごと」です。

そこに書かれた「物語」が史実であるかどうかなどということは、ボクにとっては問題ではない。
前にも書きましたが、満州でひどい目にあった乙女たちがいた。
そう知ったならば、仲間たちと一緒に一輪の花を手向けに行く。
そして日本をまもる、この国を大切する、金輪際、二度と同じ目に遭わされる乙女が出ないよう、強い日本を造る。
そのために、自分でできることをする。
それが「たいせつなこと」なのだと思います。

「従軍慰安婦と同じ」?

デタラメと一緒にすんじゃねえ、バカヤロー!!
てめえの娘が同じ目に遭わされ見ろ!
絶対に許せねえだろーがっ!!
何、屁理屈垂れてんんだっ!
娘さんたちのご遺族の身にもなってみろっってんだっ!
大事なことは、んなことが二度と起んねえようにすることだろうがっ!
日本人を舐めるなっ!!

年甲斐もなく言葉はきたないですが、これがそこらのオヤジであるボクの本音です。

ついでに申し上げると、ボクは理屈たれの朱子学が性に合わず、知行合一を説く陽明学派です(笑)

https://nezu3344.com/blog-entry-1232.htmlより引用

④事実でなくてもいい。学ぶことがあるかどうかが大切?

ねずさんは検証には興味がないということを繰り返し書いている。

(以下、ピンクの文字はすべてhttps://nezu3344.com/blog-entry-1232.htmlより引用)

●赤穂浪士が討ち入りの際に着ていたいのは、歌舞伎に出てくるだんだら模様の秀麗な着ものであったかなかったかなど、ボクにとってはどうでもいい話で、そういう検証は、したい人、そういうことが好きな人にしていただけばよい。

●「織田信長が桶狭間で今川義元の首を討った」という話は、日本人のいわば「常識」であり、誰もが知っている物語です。
あったこと、とされています。
けれど、それは本当のことなのでしょうか。
桶狭間で、義元は自ら腹を切って自害したということはないのでしょうか。

桶狭間事件は、勝って天下をとった織田側の歴史です。
つまり戦勝者の歴史です。
そういう歴史観がほんとうに事実を語っているのでしょうか。

雑兵が義元の首を斬ったというけれど、周囲を近衛兵の猛者に囲まれた義元が、たかがひとりふたりの雑兵に討たれるのでしょうか?
義元の周囲には、小姓もいるし、いまでいうならSPのような屈強な近衛兵たちがいたはずです。
いくさの負けを悟った義元が、殺されるのを快しとせず、自ら自害し、その遺体から雑兵が首を取ったとのではないですか?

もしその「可能性」があるのなら、「織田信長が桶狭間で今川義元の首を討った」というのは、作り話なのではないですか?

などなど、そのような話をいくらしても、それは学者さんや歴史オタクさんたちにとっては大事な話かもしれないけれど、悪いけれどボクにはまったく関心も興味もありません。

義元が「討たれた」のか、「自決した」のか、そんなことはどうでもよろしい。
このような議論をいくらしても、ボクは不毛だと思う。

●もちろん、そういうことを、事実を積み上げて一生懸命冷静に検証する学問的努力は必要です。
けれど、自分が桶狭間に居合せたわけでもなく、記録の検証も原書を直接確認し、研究したわけでもない素人が、あったかなかったかなどを議論しても、それは不毛です。

そして学ぶべきことがあるかどうかが大切として次のような例をあげています。

●討ち入りをすれば、死罪は免れないという時代です。
そんな時代に、彼らがなぜ「討ち入り」という選択をしたのか。
後世に生きるわたしたちはそこから、数多くのことを学ぶことができる。

●後世の私たちにとって大切なことは、信長が勇気をもって寡兵で何倍もの敵を討ったということ、迅速な作戦行動の重要性、大将の油断のもたらす危険など、ボクたちが桶狭間事件から「学ぶ」ことはたくさんある。
その「学ぶ」ということが大事なのです。

●青葉慈蔵尊の物語でいえば、命を捨ててまで仲間たちを守ろうとした大島看護婦の勇気、操を命より大切なものとして集団自決の道を選んだ22名の乙女たちの心、半分死んだようになっていた拉致被害者の乙女たちを必死で救おうとした掘婦長の誠実さ、「日本に帰れる」そのことが本当に嬉しかったからこそ、現地で死を選ばざるを得なかった彼女たちの愛国の情、帰国後、何年かかかっても、彼女たちの冥福のために人生を捧げた掘元婦長の優しさ、その行動を意気に感じて名を捨ててまで「自分でできることで」全力で支援しようとした浪曲師、事態を知ってお地蔵さんを建立してくれた青葉園の創立者の心、私たちがこの物語を通じて「学ぶ」ことはたくさんある。

歴史を学ぶというのは、そういうことなのではないかと思うのです。
検証作業は、学者や、そういうことが好きな人に任せればよい。
私たちにとって必要なことは、どこぞのサイトに否定の文書が掲載されていたという「理屈」ではなく、この物語を通じて何かを得ることなのではないかと思うのです。

●青葉慈蔵尊に祀られた乙女だちだけではないのです。
まだ幼い子供までが強姦され、殺害された。女に生まれると、こんなことまでされるのかと思うほど想像を絶する酷い目に遭わされた。日本人であるというだけで、人間であるということ自体を否定された。

そういう事例が、数限りなく外地で繰り返された。
青葉慈蔵尊の物語は、そのなかのひとつの典型です。

夢と希望をもって大陸に渡った満州開拓団の人々が酷い目に遭わされた。
集団自決した看護婦たちの思い、あるいは、梅毒に罹患して生き残りながら、やっと日本に帰れるとわかったその日に命を絶った乙女たちの思い。
それでも「私たちは満州の地に魂魄として残り、いつの日か、日本の同朋が再びこの地を訪れるとき、ご案内したい」と命を絶った。

その悔しさ、悲しさ、辛さ。
そういうことが、日本人としてけっして忘れてはいけないことだとするならば、この物語は、日本人として未来永劫、語り継がなきゃならない物語だと、ボクは思う。

●そこに書かれた「物語」が史実であるかどうかなどということは、ボクにとっては問題ではない。
前にも書きましたが、満州でひどい目にあった乙女たちがいた。
そう知ったならば、仲間たちと一緒に一輪の花を手向けに行く。
そして日本をまもる、この国を大切する、金輪際、二度と同じ目に遭わされる乙女が出ないよう、強い日本を造る。
そのために、自分でできることをする。
それが「たいせつなこと」なのだと思います。

上の内容をよむと、ねずさんは史実かどうかについては興味がなく、その物語に学ぶべき点があるかどうかが大切だと考えておられることがわかる。

⑤ねずさん、青葉滋蔵尊の話が真実かどうかわからないと認める。

私はその場に居合せたわけではありません。
ですからこの女性たち自決等を見てきたわけではありません。
ですから「真実であるかどうか」は、私にはわかりません。

ねずさんははっきり「真実であるかどうか」わからない、といっている。

そして、そのあとにこう続けている。


●けれど、もし私がこの目で見、体験したことであったとしても、そんなことを言っているのはねずきちだけだ、他の誰もそんなことは言っていないと言われれば、「疑わしい」ことなる。

「事実でも疑わしい」とされることは確かにある。
だからどうだといいたいのか。それについては記されていないが
「事実でも疑わしいとされることはあるのだから、よくわからないものを事実としてもいい」とでもいいたいのだろうか。

⑥真実かどうかわからないのに「実話」と書いていいのか?


●「疑わしい」から「従軍慰安婦と同じ」というのは、同じ日本人同朋にたいする侮辱であると思います。怒りさえおぼえる。

従軍慰安婦の話が捏造とされたのは事実が確認できなかったからだ。
これは当然の事で、事実が確認できないものを事実であると判断する世の中では、嘘がまかりとおってしまう。
そして、青葉地蔵の話が事実かどうか確認できないのに実話としてしまうと、韓国の従軍慰安婦の話と同じで捏造だといわれても仕方がないとなる。
どちらも事実が確認できないのに、韓国の従軍慰安婦の話は捏造とし、日本の青葉滋蔵尊の話は実話だとする態度をとれば、「日本人は嘘つき」とののしられても仕方がないと思う。

青葉地蔵の話は学ぶべき点があるかもしれないが、そういう話はいくらでも創作できる。
それゆえ、小説などとよばれるものが世の中にあるのだ。
なので、いくら学ぶべき点があろうと、事実が確認できないものを事実として語ってはいけない。

「事実かどうか確認できないが、こんな話がある」と但し書きをしてから書くのならよいが、
ねずさんはこれを「満州従軍看護婦実話」として紹介している。

⑦従軍慰安婦が捏造であることを感情的に訴えても、質問の答えにはなっていない。

●従軍慰安婦の話は、ハナからねつ造そのものであり、目的は日本政府からカネをふんだくるところにある。
日本兵の給料が月に15円~25円だった時代に、月に1000円も2000円も荒稼ぎして、その成功体験が忘れられず、どこぞの国では、いまでも床屋にさえもマッサージ嬢と称する売春婦が出入りしている。
歳をとって、いまさら売春もできないとなったら、過去の売春は日本軍に強要されたものだとデタラメを言って賠償金を取ろうとする。
そこに見え隠れするのは、醜悪な金の亡者の利己だけです。
学ぶべきことなど何もない。


上の文章は「従軍慰安婦が捏造であること」につい感情的に述べたもので、
「青葉地蔵の女性たちは真実かどうか疑わしい」「真実かどうかわからない話を広めるのは従軍慰安婦と同じ」という質問に答えたものではない。

しかし、こういう感情に訴える文章は論理的に坦々と事実を述べただけの文章より人の心に響くのだろう。
そういった点で、ねずさんの文章はうまいとはいえる。

⑧どんどん論理が破綻していく・・・・・

彼は感情的に訴えるのはうまいが、論理的に考えることは苦手なようである。
そして後半になってますます、論理が破綻した文章になっていく。

●この物語の論拠となっているのは、掘元婦長の話だけです。

伝えられている事件が、あまりにも悲惨で酷い物語であるだけに、これを否定する論が出てくるのは当然のことと思いますし、そうした論調があることも十分承知しています。

否定する論がでてくるのは、「あまりにも悲惨で酷い物語」だからではない。
事実かかどうかわからないのに「実話」として記事を書いていることが批判されているのだ。


●それでも伝えなければいけない。
物語として、ボクはこのお話をご紹介しています。

えっ?物語として?タイトルは「満州従軍看護婦実話」となっているが?

もし、ご自分の愛娘が、この当事者であったのなら、ご遺族としてはどうするでしょう。
真岡郵便局事件のように、関係者全員が、ソ連兵に強姦される前に自決した、というのなら、合同法要もありかもしれない。

けれど、仲間のうちの何人かが、ソ連兵に拉致され、性的おもちゃにされた揚句、梅毒に罹患し、死んだとなれば、そのことについて住所、氏名を公表し、ご自分がご遺族として世間の前に晒されるという選択を、果たして望まれるでしょうか。

~略~
それを、逆手にとって、靖国合祀されなかった、住所氏名本籍の公開がなかった、だから事実ではない、と声高に主張する人の方の心が、ボクには、逆に理解できません。
それが論理的帰結というのなら、その論は、あまりに人間を知らなすぎる。人の心を知らなすぎる。日本人としての心を失っている。そのようにボクは思います。


前半のような事情があった可能性はある。
しかし「可能性があること」と「事実であること」はイコールではない。
ところが後半「それを、逆手にとって・・・」と言うに至っては、「可能性があること」と「事実であること」をイコールで結びつけているようにしか思えない。

●論理というのは、単にどこぞにこう書いてあるとか、どこかの学者がこう言っているというのが論理ではありません。

事実の積み上げが論理です。
そして青葉慈蔵尊の物語でいえば、その物語が事実であったかなかったかということよりも、もっと大切なメッセージがそこに込められている。
その「メッセージがこめられている」という事実を除外しては、それは論理にはならないとボクは思う。

メッセージというのは小説にもこめられています。
小説は都合のいいように物語を創作できるので、事実よりもメッセージ性の高いもの、人の心を感動させるものを創作することもできる。
よって「メッセージがこめられている」ことを事実とするのはまちがいである。


●唯物史観などというもっともらしい言葉がついているようですが、証拠というものは客観的なものです。

けれどそれをつなぎ合わせて、どういう事実をそこに見出すかは「解釈」の問題であり、その「解釈」には、解釈する人の知識や人生観や主観がはいります。
だから対立や論争が起こる。

歴史の解釈に主観がはいることは確かだ。
だからといって、事実が確認できないもの(検証作業をおこなっていないもの)を実話と称していいということはない。

(私は文献至上主義ではない。文献には偽り、古代表現などもあるからだ。
文献のほか、発掘物、時系列など複数のものから総合的に判断するべきだと思う。
しかしねずさんは事実と決めつけ検証作業すら興味がないといってやっていない。)












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