【ねずさんの主張】※( ) 内は筆者yu asadaによる補足
⑴隋という軍事国家ができたのでがっちりした統一国家を作る必要が生じた。冠位十二階はそのため生まれた。
(明確に立場をはっきりさせる必要があった。)
⑵7世紀と19世紀に(日本では)大きな危機があるときに天皇を中心としてまとまるということが行われた。
(日本の国の柱)
⑶聖徳太子は隋に対して対等であることを示した。
(「日出る処の天子、書を、日没する処の天子に致す。恙なきや。」と書を送った。)
⑷あんた(隋)が皇帝だったらうち(日本)は天皇だ。
⑸10年ほど前より、その聖徳太子が存在していなかったという説がでてきた。
⑹対等な外交をする日本に対して隋は一言も文句をいえず軍をだせなかった。
この事実を出すと彼ら(中国?韓国?)の歴史観はひっくり返る。だから突然聖徳太子なんていなかったんだと言い出した。
⑺たかもりよしのり〈(?)先生は次のように指摘している。
聖徳太子の法隆寺に釈迦三尊像の光背に碑文が埋め込まれている。聖徳太子に似せて作ったと書いてある。
釈迦と同じぐらい偉い立場においた。実在していなかったらありえない。
⑻聖徳太子はやたら背が高く、同じ人間と思えないというが、小野篁・阿倍仲麻呂は背が高かった。
⑼12月に冠位十二階を定め、1月に十七条憲法を発布している。すごい演出。
⑽日本はどこまでもシラス国だから、それぞれが納得してやった。
⑾最近の教科書は聖徳太子とは書いていない。書いてあっても厩戸皇子。
⑿ひどい教科書になると十七条憲法はなかったと書いてある。
⒀日本というすばらしい国にいて安全安心して暮らすことができる。
それなのによその国がボロカスに言うようなつまらんことをするのか。
⒁聖徳太子は日本の中世におけるルネッサンス運動。
(一般的に聖徳太子の時代は古代とされるがねずさんは中世と考えている。)
⒂天皇によって統一された倭国をもう一度復活させようとしたのが聖徳太子。それを完成させたのが天智天皇。
そう考えるといろんなことの辻褄があってくる。
①ねずさんの話を分類わけする。
ねずさんの話をざっくり分類わけしてみよう。
1.ねずさんオリジナルの歴史観
⑴隋という軍事国家ができたのでがっちりした統一国家を作る必要が生じた。冠位十二階はそのため生まれた。
(明確に立場をはっきりさせる必要があった。)
⑵7世紀と19世紀に(日本では)大きな危機があるときに天皇を中心としてまとまるということが行われた。
(日本の国の柱)
⑶聖徳太子は隋に対して対等であることを示した。
(「日出る処の天子、書を、日没する処の天子に致す。恙なきや。」と書を送った。)
⑷あんた(隋)が皇帝だったらうち(日本)は天皇だ。
⑼12月に冠位十二階を定め、1月に十七条憲法を発布している。すごい演出。
⑽日本はどこまでもシラス国だから、それぞれが納得してやった。
⒁聖徳太子は日本の中世におけるルネッサンス運動。
(一般的に聖徳太子の時代は古代とされるがねずさんは中世と考えている。)
⒂天皇によって統一された倭国をもう一度復活させようとしたのが聖徳太子。それを完成させたのが天智天皇。
そう考えるといろんなことの辻褄があってくる。
2.「聖徳太子はいなかった説」についての説明。
⑸10年ほど前より、その聖徳太子が存在していなかったという説がでてきた。
⑾最近の教科書は聖徳太子とは書いていない。書いてあっても厩戸皇子。
⑿ひどい教科書になると十七条憲法はなかったと書いてある。
3.『聖徳太子はいなかった説」の反論
⑹対等な外交をする日本に対して隋は一言も文句をいえず軍をだせなかった。
この事実を出すと彼ら(韓国)の歴史観はひっくり返る。だから突然聖徳太子なんていなかったんだと言い出した。
⑺たかもりよしのり〈(?)先生は次のように指摘している。
聖徳太子の法隆寺に釈迦三尊像の光背に碑文が埋め込まれている。聖徳太子に似せて作ったと書いてある。
釈迦と同じぐらい偉い立場においた。実在していなかったらありえない。
⑻聖徳太子はやたら背が高く、同じ人間と思えないというが、小野篁・阿倍仲麻呂は背が高かった。
⒀日本というすばらしい国にいて安全安心して暮らすことができる。
それなのによその国がボロカスに言うようなつまらんことをするのか
②ねずさんは「聖徳太子はいなかった説」について十分に説明していない。
いうまでもないことだが、ある説についての反論を述べる場合、まずその説がどんな説で、どんな根拠があって説かれた説なのかを説明しなければならない。
ねずさんはそれを十分に説明していない。
もしかして、「聖徳太子はいなかった説」の根拠をご存じないのだろうか、と思ってしまうほどだ。
ねずさんが批判する「聖徳太子はいなかった説」については、下の2本の動画にわかりやすくまとめられている。
上の動画の内容をまとめる。
㈠紙幣になった聖徳太子に肖像画は後世の偽作 700年前の敦煌の壁画に聖徳太子像にそっくりなものがある。
中国人が描いた唐の時代のもの。
㈡聖徳太子廟は直系50mの円墳。太子・母・后の3人が葬られているが、
聖徳太子伝暦には「太子は死後墓に2つの棺を設けよと指示したとある。
四天王寺の記録には「太子の墓を探しているがどこにあるかわからない」とある。
聖徳太子廟は後世の捏造ではないか。
㈢604年に十七条憲法が制定されたという記述は、720年の日本書記に初めてでてくる。
600年代の隋書倭国伝に冠位十二階は書かれているが十七条憲法はかかれていない。
㈣十七条憲法に国司という言葉がでてくるが、この言葉は聖徳太子の時代にはなかった。
国司は701年の大宝律令から始まる官職である。
よって十七条憲法は大宝律令をもとに後世につくられたと考えられる。
㈤当時成立したばかりの律令制国家を権威づけるために聖徳太子のようなカリスマが必要であったため、
日本書記編纂・大宝律令制定にもかかわった藤原不比等がでっちあげたのではないか
㈥聖徳太子の子孫は蘇我氏に滅ぼされていたので藤原氏にとって利用しやすかった。
㈦隋書倭国伝607年に「王は600人の妻を持つ」とあるが、当時の天皇は推古天皇で女帝。
『聖徳太子はいなかった説」を批判するというのなら、当然、上の7項目について批判する必用がある。
特に⑶⑷が大事だ。
しかしねずさんはこれらを批判を行っていない。
また動画の説明に
そもそもその根拠が「絵の中で異常に背が高いのだから、これはウソだ」程度のモノであり、
https://www.youtube.com/watch?v=C82a9VoEEBU&feature=emb_logo より引用
と書いてある。
やはり、聖徳太子はいなかった説について、十分に調べておられないのだろう。

聖徳太子廟
③隋書に登場する多利思比孤は聖徳太子だといえるか?
ねずさんの発言で、気になった細かい点について指摘をしておく。
⑶聖徳太子は隋に対して対等であることを示した。
(「日出る処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙なきや。」と書を送った。)
この書を出したのは、「姓は阿毎、字は多利思北孤、号は阿輩雞彌」という人物であり、厩戸王とも聖徳太子とも書いていない。
ねずさんは、なぜ聖徳太子だといえるのかの説明をしなければならないだろう。

四天王寺 聖徳太子像
④聖徳太子の時代、天皇の称号はなかった。
⑷あんた(隋)が皇帝だったらうち(倭国)は天皇だ。
とあるが、この表現は厳密に言うと間違いである。
当時の日本は倭国と称していた。日本と称するのは701年前後とされている。
そして倭国では天皇という言葉は用いられておらず、国内では大王(おおきみ)、天王と称されていた。
対外的には「倭王」「倭国王」「大倭王」等と称された。
天皇と称されたのは第40代天武天皇が最初といわれる。
大聖将軍寺 神妙椋樹 弓で射られそうになった聖徳太子が椋の木に隠れたという伝説にもとづくもの。
④「聖徳太子はいなかった説」は韓国人によるものなのか?
⑹対等な外交をする日本に対して隋は一言も文句をいえず軍をだせなかった。
この事実を出すと彼ら(中国や韓国?)の歴史観はひっくり返る。だから突然聖徳太子なんていなかったんだと言い出した。
隋の煬帝がこの文書に怒ったことが隋書には記されている。
しかし軍を出さなかったというのはねずさんのいうとおりである。
「この事実を出すと彼らの歴史観はひっくり返る」とねずさんはいう。
彼らとは誰のことをいっているのか。
⒀日本というすばらしい国にいて安全安心して暮らすことができる。
それなのによその国がボロカスに言うようなつまらんことをするのか
といっていることから察するに、彼らとはよその国の人、中国人、韓国人のことを意味しているのだと思う。
どうやらねずさんは「聖徳太子はいなかった説」は中国人や韓国人がとなえた説だと考えているようだが
具体的にその中国人や韓国人とは誰のことなのか。
上の2本の動画にも何人かの研究者の顔と名前がでてくるが、彼らは中国人や韓国人なのか?
また、彼らを中国人や韓国人と断じる根拠は?
さらにいえば、研究者の国籍は学問には関係がない。
上にあげた㈠~㈦の項目についての意見をのべればいいだけである。
辻褄があっており、多くのことが説明できるほうが正しいと認められるはずだからだ。
間人 間人皇后 聖徳太子像
⑤聖人化された実在の人物に似せた像はつくれる。
⑺たかもりよしのり〈(?)先生は次のように指摘している。
聖徳太子の法隆寺に釈迦三尊像の光背に碑文が埋め込まれている。聖徳太子に似せて作ったと書いてある。
釈迦と同じぐらい偉い立場においた。実在していなかったらありえない
ねずさんは「実在していなかったらありえない」というが、そんなことはない。

上の写真中央は京都の妖怪ストリートに置かれているぬらりひょんの像である。
ぬらりひょんとは妖怪で、実在していないが、ご覧のとおり、想像で像をつくることは可能である。
「そういう意味ではない。存在しない人を釈迦と同じくらい偉い立場におくことはありえないという意味だ」といわれるだろうか。
しかし存在しない人を偉い立場におくことはありえる。
架空の人物であっても人は憧れたり、尊敬したり、好意を持つことがある。
たとえばアニメのキャラなどがそうである。
そしてそのアニメのキャラのポスターやフィギュアを部屋に飾り、毎日声をかけたり、祈ったりしだすと信仰になる。
本来、アニメのキャラは実在せず、それ自体には何の力がないのだが
人々に愛されることによって、アニメのキャラは人々の心のよりどころとなり、信仰対象となることができるのである。
そして「実在していなかったらありえない」という発言から、やはりねずさんは勘違いしているように思えるのだが、厩戸王という人物は実在したと考えられている。
否定されているのは、厩戸王が憲法十七条などの事績を残したという点である。
つまり、厩戸王は聖人化されて聖徳太子になったという説なのだが、実在しないアニメのキャラでも十分信仰対象になるのだから、聖人化された実在する人物を釈迦と同じくらい偉い立場に置くことは当然ありえることである。
法隆寺とにかく、きちんと聖徳太子はいなかった説について正しく認識したうえで、再度批判を試みたほうがいいだろう。
そもそもその根拠が「絵の中で異常に背が高いのだから、これはウソだ」程度のモノであり、
https://www.youtube.com/watch?v=C82a9VoEEBU&feature=emb_logo より引用と書いている、そのこと自体が間違いなのだから。
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