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鳥浜貝塚から出てきたのは縄だが、縄は布の衣服があったことに結びつくか?

前回に続き、ねずさんの記事をとりあげる。

「縄文人と弥生人は同じ人」http://nezu3344.com/blog-entry-2250.html

このブログ記事は、長い文章で、多くの内容についてふれている。
中でも「えっ?」と思うのは「nhkが弥生人の頭蓋骨を偽造した」説であるが、これは長浜浩明氏の説だそうで
ねずさんは長浜氏の著書「日本人ルーツの謎を解く」を勧めておられる。
図書館の蔵書検索をしたらこの本があったので予約をした。
まずはこの本を読んでから、私の意見をまとめたいと思う。

今日はこの記事の中の考古学の発見・縄文人は布製の衣類を着ていた説について見てみることにする。

私は考古学の知識に乏しいので、今回ネットで調べてわかったこと、記されていたことなどをまとめる。


①「9500年前の上野原遺跡や、5500年前の三内丸山遺跡などの縄文時代の遺跡など、いまや多数の縄文時代の遺跡から、当時、すでにきわめて高い文明文化が日本に存在していたことが、確認されている。」について。


調べてみたところ、上野原遺跡は縄文時代早期から近世にかけての複合遺跡とある。
縄文時代の始まりは、16,000±100年前とされているので、9500年前、というのは妥当な数字に思える。
三内丸山遺跡は縄文時代中期から中期末葉の大規模集落跡である。やはり5500年前というのは妥当なところだと思う。

②「鳥浜貝塚から、間違いなく布製の衣類を着ていたことが、確認されている。」について。

鳥浜貝塚は、福井県三方上中郡若狭町にある、縄文時代創期から前期にかけて(今から約12,000〜5,000年前)の集落遺跡である。

鳥浜貝塚から投棄物として発見されているのは、貝殻、動物骨、木や種子、葉、土器、石器、骨角器、木製品、漆製品、繊維製品などである。
この繊維線品とは6種類の大麻製の縄で、現存する日本最古の繊維製品である。約1万年前のものだそうである。
このあたり、ねずさんは「間違いなく布製の衣類を着ていたことが確認されている」と言っているが、衣類や布片がでてきたわけではないのである。

【追記】
http://aomori-jomon.jp/essay/?p=10027
↑ こちらの記事によれば、リョウメンシダの葉柄・中軸、ツヅラフジのツル、ヤマブドウの樹皮などでできていると書いてあった。

鳥浜貝塚から出土した縄文時代前期の三つ組みの縄 の写真も掲載されている。


日本最古の衣類の出土物としては、弥生時代の登呂遺跡などから発見された麻制の布片がある。
布があったのであれば、これを加工して、衣服を作ったであろうことは十分に想像できる。

ねずさんは「縄を編むという技術があるので布を作っていたことはまちがいがない。」と言っている。
しかし、縄を編むのと布を織るのは、かなり異なる。



上は縄のつくり方を動画にしたものである。


縄をあむためには、道具は必要なく、手でより合わせるだけで作ることができる。

上の動画は稲わらを用いた縄の作り方で、鳥浜貝塚のものは大麻製の縄ということだが、作り方としては似たようなものであったのではないかと想像する。
麻の茎をさくと長い繊維が採れるので、これを適当な太さにさき、乾燥させて手でより合わせて縄を作ったのではないだろうか。




ちなみに、上の動画は芋麻から糸をつむぐ方法を説明したものである。。
鳥谷遺跡から出土したのは糸ではなく縄ということなので、稲わらでつくった縄のようなざっくりとしたものだったのではないだろうか。
出土物が確認できれば、追記をいれる。


手芸の編み物にはかぎ針編み、棒針編みがあり、いずれも簡単な道具を用いる。
指編みという手法もあるが、かなりざっくりした仕上がりになる。

繊維を布にするには、縦糸と横糸を交錯させる。



これも上記のように簡単な道具を用いる。

編み物や織物の為の道具が簡単な構造のものだからといって、衣類があったとまで結論づけられるだろうか?
簡単とはいえ、何もないところから、かぎ針・棒針・織機のようなものを発明するのは大変な想像力が必要だと思われる。
手で縄を編むのと、編み物や機織で布を作るのはかなりちがうように私には思われる。

現在でも稲わらを用いて藁草履を編んだりすることがある。
藁草履を編むのには道具は必要ないようである。



これを応用して衣服をつくることはできなくるだろうか。
できなくはなさそうである。
そういえば、私も麻ひもを編んで、籠を作ったことがある。
麻ひもを束ねて放射状に広げたときに紐が奇数本になるほうにする。
そして、別の麻ひもで山谷山谷と渦巻き状に編んでいくのである。

しかし、衣服に用いるのであれば、縄よりも細い紐が適していそうだし、やはり簡単な道具があったほうが編みやすそうに覆える。

布片のようなものは腐りやすく後に残りにくいかもしれないが、道具ならばでてくる可能性はあると思う。
もしかしたら、今後発掘調査によってそういったものがでてこないとは限らないが、現時点では、編み物や織物の衣類を身にまとっていた証拠はないというしかないように思える。

ねずさんは「ケガをするのでパンツかふんどしは身に着けていたはずである。毛皮のパンツなどはいていたらキンキンタムシになる」とおっしゃっているが、
それらは編み物や織物による衣類があったことの説明にはなっていない。
ケガをしようと、インキンタムシになろうと、そういう技術がなければ仕方がないし、昔の人は大事なところをしょっちゅうケガしたり、インキンタムシになったりしていたかもしれない。





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