ミシャグジ様の謎⑰ イザナギ&イザナミは物部氏の神?
ミシャグジ様の謎 ⑯ 『糸切餅は何をデザインしたもの?』 よりつづきます~
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胡宮神社
①胡という漢字を調べてみるといろんなことがわかった。
多賀大社の別宮・胡宮神社の胡という漢字を漢和辞典で調べてみると、次のように書いてあった。
①獣のあご。垂れ下がった顎の肉。
②くび
③なんぞ。なに。いずくんぞ。
④いのちがながい。としより。おきな。
⑤とおい。はるか。
⑥えびす。北方の異民族の名。
⑦昔の中国で、外国から渡来したものをいう。
⑧祭器。
⑨でたらめのこと。
⑩ほこの首。ほこの先に曲がってわきに出たもの。
角川漢和中辞典(昭和51年 161版)より。
胡宮神社は多賀大社の別宮なので、神社の性格としては胡宮神社と多賀大社は共通するものを持っていると考えていいだろう。
そこで、多賀大社について次のように推測することが出来ると思う。
④いのちがながい。としより。おきな。 | 多賀大社は延命にご利益があると信仰されている。 |
⑥えびす。北方の異民族の名。 | えびすは戎・夷のほか胡とも記される。 大和朝廷にまつろわぬ民のことを、蝦夷、戎などといっていた。 戎に胡の字があてられることもあったのではないだろうか。 多賀大社は蝦夷の神を祀っているのではないかと思う。 つまり多賀大社の御祭神・イザナギ&イザナミは蝦夷の神ではないかということである。 |
⑦昔の中国で、外国から渡来したものをいう。 | 1274年と1281年の2度にわたり、蒙古(モンゴル帝国)が日本にせめて来た。 しかし神風が吹いて、蒙古は撤退した。 その後、人々は蒙古が撤退したのは神のご加護があったからだと考えて、多賀大社にお供え物をした。 その中に糸切餅があったという伝承がある。 日本にとって蒙古は外国からやってきた異民族である。 多賀大社=胡宮神社=胡の神を祀る神社=異民族の神をまつる神社なので、蒙古=多賀大社と考えられたのではないだろうか。 日本では古来より怨霊を神として祀る習慣があった。 たとえばスサノオはもともとは恐ろしい流行り病をもたらす疫神なのだが、厄病除けの神としても信仰されている。 つまり、疫神であるスサノオに「私を疫病にかからないようにしてください」と拝むわけだ。 これと同じように、異民族である蒙古がせめてきたとき、異民族の神・多賀大社の神様に「異民族である蒙古より我々を守ってください」と人々は祈ったのではないか。 |
②くび | 多賀大社には杓子(しゃもじ)をお供えする習慣がある。 なぜ多賀大社に杓子をお供えする習慣があるのだろうか? 多賀大社=胡宮神社=胡の神を祀る神社=首(ドクロ)の神を祀る神社 という発想から杓子が奉納されたのではないだろうか。 杓子は人間の頭部と首を連想させる形をしているではないか。 |
②神武以前、畿内には物部王朝があった?
今回は⑥の中でのべた「イザナギ・イザナミは蝦夷の神ではないか」についてもう少し詳しく説明しておきたい。
⑥えびす。北方の異民族の名。 えびすは戎・夷のほか胡とも記される。 大和朝廷にまつろわぬ民のことを、蝦夷、戎などといっていた。 戎に胡の字があてられることもあったのではないだろうか。 多賀大社は蝦夷の神を祀っているのではないかと思う。 つまり多賀大社の御祭神・イザナギ&イザナミは蝦夷の神ではないかということである。 |
記紀によれば、初代神武天皇が日向より東征して畿内入りするより早く天の磐船を操ってニギハヤヒが天下っていたと明記されている。
ニギハヤヒは物部氏の祖神とされている。
ここから初代神武天皇以前、畿内には物部王朝があったとする説がある。
③神殿を持たないのは物部氏の祭祀スタイル?
ニギハヤヒが天下ったとされる大阪府交野市の磐船神社のご神体は天の磐船といわれる巨大な磐座で神殿はない。
拝殿より直接ご神体である天の磐船を拝むという祭祀スタイルである。

磐船神社 ご神体 天の磐船
大阪府交野市枚方市付近はかつて肩野物部氏の本拠地であった場所だが、この付近には神殿がなく直接ご神体である岩や沼を拝む神社が多い。

星田妙見宮 織女石

瘡(くさがみ)神社 拝殿より後方の沼を拝する。鳥居の左右の脚の長さがちがっていたw 2018年の台風で折れたのかも?
また奈良県天理市の石上神宮も物部氏が祭祀する神社で、現在は神殿はあるが、もともとは神殿はなく
宝剣を埋めた庭をご神体としていたという。

石上神宮
④大神神社は物部氏が祭祀する神社?
さらに奈良県桜井市の大神神社も神殿がなく、拝殿より直接ご神体である三輪山を拝する。
大神神社の御祭神は大物主神だが、大物主神とニギハヤヒは同一神だとする説がある。
物部氏の祖神はニギハヤヒだが、先代旧事本紀では天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてるくにてるひこあまのほのあかりくしたまにぎはやひのみこと)と表記している。
そして大物主神は正式名称を倭大物主櫛甕魂命という。
櫛・玉(魂)が共通するので、二神は同一神ではないかというのだ。
大神神社は物部氏が祭祀する神社である可能性が高い。

大神神社 拝殿

大神神社 ご神体の三輪山
⑤本殿を作らないのは、天皇家に従わないという意思表示だった?
そして、星田妙見宮と大神神社にはほとんど同じ伝説が残されている。
何度本殿(宮殿)をつくっても潰れてしまうので、人々は神は本殿(宮殿)を欲していないと考えた。
この伝説について「大物主神は宮殿を作ってもらえなかった。」という人がいるが、私は違うと思う。
大物主神と大国主神は同一神と考えられている。
とういうのは、こんな伝説があるからだ。
大国主神は少名彦名神とともに国作りを行っていたが、国作りの途中で少名彦名神は常世の国へいってしまった。
大国主神はこれからどうやって国作りをすればいいのかと途方にくれていたが、そこへ海の向こうから光り輝く神があらわれた。
大国主が神に名前を問うと、「私はあなたの幸魂、奇魂。私を祀れば国造りは完成するだろう」と言った。
そこで大国主が祀ったのが大神神社である。
大国主といえば国譲りの神話で知られる。
天照大神に派遣されたタケミカヅチが大国主神に「国を譲れ」とせまった。
大国主は「二人の息子に聞いてくれ」と言った。
そこでタケミカヅチが大国主神の息子の事代主神に「国を譲れ」と迫ったところ、事代主神は「承知した」と答えて
逆手を打ち、海を青芝垣に変え、船を踏み傾けて姿を消した。(入水したのだろう。)
次にタケミカヅチは大国主神のもうひとりの息子タケミナカタと相撲をとった。
タケミナカタはタケミカヅチに手をつぶされて諏訪湖まで逃げたが逃げ切れず「国は天孫にさしあげる」と約束した。
大国主神は「二人の息子がそういうならば国は天孫にさしあげる。そのかわり天津神の御子が住むのと同じくらい大きな宮殿を作ってほしい。そうすれば私はその宮殿に籠って外に出ることはないだろう。」
この大国主の言葉に従って作られたのが出雲大社で、出雲大社の社殿が大きいのは大国主の願いを聞き入れた、ということだろう。
一方、大物主神を祀る大神神社には本殿がない。
日本書紀に次のような記述がある。
ニギハヤヒを神と奉じていたナガスネヒコは、日向より東征して畿内入りした神武と対峙し、次のように発言した。
「昔ニギハヤヒという天孫が天下り、私は妹のトミヤスヒメをニギハヤヒと結婚させた。
二人の間にはウマシマジノミコトという御子も生まれた。
あなたは天孫だというが、天孫がふたりもいるのか。
あなたは天孫だと偽って土地を奪おうとしているのではないか。」
神武は天つ神の子である証拠の天の羽羽矢と歩靱(かちゆき)を見せた。
それでもナガスネヒコは考えを改めなかったので、神武に服したニギハヤヒによってナガスネヒコは殺された。
(日本書紀)
ナガスネヒコは神と奉じていたニギハヤヒに殺されたとあるが、これは信用できない。
日本書紀は舎人親王らが編纂し元正天皇に奉納したものであり、天皇家に都合よく改竄されている可能性が高いからだ。
④に書いたように、大物主神=倭大物主櫛甕魂命は物部氏の祖神・ニギハヤヒ=天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊と同一神であったのだろう。
実際のニギハヤヒ=大物主神は誇り高い人物であり、簡単に国を明け渡すような人物ではなかったのではないだろうか。
「私は宮殿などいらない。私は宮殿にこもったりはしない。もちろん国を天孫に譲ったりもしない!」
大物主はそんな風に考えているににちがいない、と人々は考え、大神神社に関しては出雲大社のように本殿をつくるということをしなかったのではないか。
私はそう考える。
⑥多賀大社は石神を祀っているので杓子を奉納する習慣が生じた?
イザナギとイザナミを祀る多賀大社には本殿はあるが、寿命石と呼ばれる石もがある。
東大寺再建を命じられた重源が多賀大社に東大寺再建を果たすまでの延命祈願をし、東大寺再建後に座り込んでなくなった石だと言われている。

多賀大社 寿命石
寿命石は多賀大社の神の石だといえる。
多賀大社は石神であり、御石神→ミシャクジン→ミジャグジとなり、杓子が奉納されるようになったのではないだろうか。
⑦石神は物部氏の神?&物部王朝に婿入りした神武
神々の系譜は次のように続いている。
イザナギ&イザナミ(同複の兄妹)
↓
天照大神&スサノオ(同複の姉弟)
↓
ニニギ&コノハナノサクヤヒメ(葦原中国のオオヤマツミの娘)
↓
山幸彦&豊玉姫(海神の娘)
↓
彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊&玉依姫(海神の娘、豊玉姫の妹)
↓
神武天皇&ヒメタタライスズヒメ(日本書紀では大物主の娘)
このうち同複の兄妹または同複の姉弟で結婚しているイザナギ&イザナミ、天照大神&スサノオは物部氏の神だと考えられるのではないだろうか。
ニニギは高天原から葦原中国に天下って葦原中国のオオヤマツミの娘・コノハナノサクヤヒメと結婚している。
山幸彦は竜宮にいき、海神の娘、豊玉姫と結婚している。
彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊も竜宮にすむ海神の娘・玉依姫と結婚している。
ニニギ・山幸彦・彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊は婿入りしたということである。
神武天皇は日向から畿内にやってきて、畿内の大和にある大神神社の御祭神・大物主の娘・姫多々良五十鈴と結婚しているので、やはり婿入りしたということになる。
しかも、大物主神=ニギハヤヒと考えられるので、神武は物部王朝に婿入りすることによって天皇になったと考えられる。
ミシャグジ様の謎⑱ 『ミシャグジ様は聖徳太子?それとも物部守屋?』 につづきます~
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