ミシャグジ様の謎⑬ 「酌をたつ神?」
トップページはこちらです→ミシャクジ様の謎① 昔の人は岩を落ちてきた星だと考えた?

①本多忠朝の墓
四天王寺からとことこと歩いて数分、一心寺にやってきた。
紫色のジャカランダの花が満開で、境内に彩を添えていた。
一心寺は1185年に四天王寺の別当・慈円の要請を受けて法然が草庵を結んだのが始まりとされる。
一心寺は四天王寺と関係の深いお寺なのだ。
このあたりは大阪の陣の舞台となったところでもある。
一心寺の北向かいの安居神社は真田幸村終焉後とされる。
真田幸村は15,000の松平忠直隊を破って家康本陣に攻め込み、一時、家康に自害を考えさせるほどの勢いだった。
しかし幸村は安居神社で味方の傷ついた兵士を看病していた際に、敵に襲われてしまった。
「わしの首を手柄にされよ」
幸村はそう言い、敵に首を討ちとられたという。

安居神社
一心寺には大阪夏の陣・天王寺・岡山の戦いで討ち死にした本多忠朝の墓がある。

本多忠朝は大変な酒呑みで、それが原因で冬の陣では負けてしまい、家康にこっぴどく叱られたそうである。
そこで名誉挽回とばかりに夏の陣では頑張ったのだが、討ち死にし 死ぬ間際に「酒のために身をあやまる者を救おう」と遺言したといわれている。
そんなわけで本多忠朝の墓は「酒封じの神」として信仰され、禁酒祈願に訪れる人が大勢いるとのことである。
②本多忠朝はミシャグジ神?
本多忠朝の墓所に、たくさんのしゃもじが奉納されていた。
これは「ミシャグジ神」に対する信仰ではないか。
本多忠朝の墓は大きな石の五輪塔なので、石神として信仰され、そのためしゃもじを奉納する習慣が生じたのではないだろうか?
また四天王寺にはミシャグジの信仰があったと推測される。
というのは、四天王寺には石神堂と咳の地蔵尊があるからだ。

四天王寺 石神堂

四天王寺 咳の地蔵尊
咳の地蔵尊は石神堂の神と関係のある地蔵尊ではないかと思う。
横浜市の社宮司社は、「咳の神」「おしゃもじさま」と呼ばれ、この社に奉納されている杓子を持って帰り、のどを撫でると咳の病が治ると信仰されているという。
石は「せき」と読むので、石神堂の石神(牛王尊の巨石)は咳の地蔵尊に変化したのではないだろうか。
参照/ミシャグジ様の謎⑪ 『咳の地蔵尊はミシャクジ様?』
そして一心寺は四天王寺と関係が深い寺である。
1185年、法然が四天王寺別当・慈円の要請を受けて四天王寺の西門の近くに源空庵という草庵を結んだのが一心寺のルーツとされているのだ。
四天王寺にはミシャグジに対する信仰があったため、四天王寺と関係の深い一心寺でもミシャグジが信仰されるよういなったのかもしれない。
③ミシャグジ様は物部氏の神?
いやまて、本多氏と本田氏はもともと同族であったともいうし、もしかしたら本田忠朝の墓に杓子が奉納されているのは、本田善光と関係があるのかも?
本田善光は物部守屋が難波の堀江に流した仏像を持ち帰り、善光寺に祀ったとされる人物である。
※難波の堀江は、大阪の和光寺、奈良明日香村の難波池など諸説ある。

和光寺の阿弥陀池

向原寺近くにある難波池

善光寺
宮元 健次さんが、『善光寺の謎 (祥伝社黄金文庫)』という本の中で次のような意味のことを書いておられるそうである。
①善光寺内陣に守屋柱と呼ばれている柱がある。
②戒壇めぐりを行うことは、守屋柱を一周し、錠(独鈷)によって守屋柱に宿る守屋の霊を封じることである。
③善光寺は物部守屋を慰霊するための寺である。
(参照/善光寺 門前町 ライトアップ 『善光寺は物部守屋を慰霊する寺だった?』 )
もしかして本田善光とは物部氏であり、本多忠朝の先祖も物部氏だったりして?
すると、ミシャグジ様とは物部氏の神なのか、と想像が膨らむ。
そういえば物部氏が祭祀する神社には本殿がなく、磐(石)をご神体として直接拝するというスタイルが多かった。
参照/ミシャグジ様の謎⑦ 神殿を持たないのは物部氏の祭祀スタイル?

磐船神社 ご神体 天の磐船

星田妙見宮 織女石
また、物部氏が祭祀する石上神宮の石上は石神と音が同じである。

石上神宮
④ミシャグジ様は疳の虫にご利益がある?
私は谷町筋近くにある自性院に行った時のことを思い出した。
自性院は権大僧都俊栄が開いたと伝わっているそうだが、戦災で全焼し、資料などすべて焼失してしまったため、詳しいことはわからないそうである。
そしてネット記事によれば、疳の虫封じにご利益があると信仰されているそうである。
自性院のある場所は四天王寺からそんなに離れていない。
そこで私は「四天王寺の牛王尊=石神および咳の地蔵尊に関係さまを自性院ではお祭りしているのかもしれない」と考えた。

自性院
そして、ネットにミシャクジさまにはどうやら疳の虫封じの信仰があったと考えられる書き込みがあった。
石神とは御石神(ミシャクジ)様のことだと思う。
このミシャクジ様について、次のような書き込みを見つけたのだった。
26:本当にあった怖い名無し:2006/10/29(日) 17:12:06 ID:y9X8lt7V0
ttp://talto.sakura.ne.jp/cgi/diary/hidiary.cgi?move_month=200511&pagemsg=all
諏訪大社。
諏訪湖の近くにある神社なのですが
上社と下社があり、それぞれ前宮と本宮があります。
つまり計4つの建物があるわけですね。
今回は時間の関係で上社しか行けなかったのですが
それだけでも十分でした。
神社で祭られている神様が予想とは全く異なり
嬉しい期待はずれだったのですよ。
実は諏訪大社の神様はミシャクジ様であることが判明。
ミシャクジ様ですよー。
日本に現存する古代神のひとりですよー。
縄文時代から伝わるアニミズム信仰の原点ですよー。
もう嬉しすぎて寝込んでしまいそうですよ。あはー。
ミシャクジ様は漢字で書くと御石神様。
ここからも元々は石の精霊であることが伺えますね。
後に疳の虫とつながりがあるとも言われ
ミシャクジ様の近くにはさみの絵を描いた紙を
お供えするという風習もあるそうですよ。
昔は疳の虫を切る儀式をハリガネムシで代用したと
聞いたこともありますね。
この期におよんでまたハリガネムシかい(笑)
https://hobby7.5ch.net/test/read.cgi/occult/1162037686/より引用
●長野県にある諏訪大社の神様がミジャクジ様である。
●ミジャクジ様は疳の虫と関係があるとされ、ミジャクジの近くにはさみの絵を描いた髪をお供えする風習があった。
●疳の虫を切る儀式をハリガネムシで代用した。
ミジャクジ様には杓子(しゃもじ)を奉納する習慣があるが、杓子をひっくり返すとお燗(かん)の徳利のような形になる。
それで、燗の神→疳の虫の神となったのかもしれない。
自性院でそう私は考えたのだった。
参照/ミシャグジ様の謎 ⑫ 『疳の虫の神』
多賀大社前 多賀屋さんの看板は杓子の形をしている。
⑤「燗を断つ」「酌を断つ」
本多忠朝の墓が酒断ちの神として信仰されているのは、「燗をたつ」を意味しているのかもしれない。
また、酒をつぐことを「酌をする」という。
御石神(みしゃくじ)の「しゃく」を語呂合わせで酌にかけたのかもしれない。
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