fc2ブログ













ミシャグジ様の謎⑪ 『咳の地蔵尊はミシャクジ様?』 

ミシャグジ様の謎⑩ 千の仏頭が現れた山   よりつづきます~
トップページはこちらです→
ミシャクジ様の謎① 昔の人は岩を落ちてきた星だと考えた? 

四天王寺 紫陽花

四天王寺 紫陽花

①四天王寺のミシャグジ神?

橘寺を参拝した私は、今度大阪の四天王寺を参拝してみたくなった。
橘寺も四天王寺も聖徳太子が創建したと伝わっている。

587年、廃仏派の物部守屋vs崇仏派の蘇我馬子の戦争があった。
聖徳太子は蘇我馬子側に参戦していた。
戦争は蘇我馬子が勝利し、聖徳太子が物部守屋の土地と奴婢をもちいて建立したのが四天王寺なのだ。

石鳥居の前に立つと、中心伽藍である五重塔や金堂が見える。
昭和9年(1934)の室戸台風で五重塔は倒壊、その後、昭和15年(1940)に債権されるも、昭和20年(1945)の大阪大空襲で境内のほとんどの建物は消失したという。

四天王寺 夕日 

四天王寺 夕景

現在の本堂や五重塔は1959年(昭和34年)に再建された鉄筋コンクリート造ということだが、外観は伝統的な様式を踏襲しているように見える。

六時堂を参拝し、聖霊院へ向かう途中で、小さなお堂が目に留まった。
「牛王尊」「石神堂」と墨書された板が掲げられている。

牛王尊

四天王寺 石神堂

石神堂は推古元年(593)創建とされ、建築資材である石や材木を運搬した牛が、伽藍が完成すると石になったと伝えられている。
堂内には牛王尊の巨石が安置されている。
後世、牛は草を食べるところから、「瘡を食べてくれる神」として信仰された。
瘡とは皮膚病のことで天然痘のことも瘡といわれた。

牛王尊とは厄神(特に天然痘をもたらす神と信仰された。)の牛頭天皇ではないかと思う。
そしてその牛王尊を祀るお堂が石神堂なのだろう。

なぜ石神堂なのかというと、牛王尊=石神ということではないだろううか。

私は橘寺にあった二面石を思い出していた。

二面石

橘寺 二面石

橘寺の本堂にはたくさんの杓子(しゃもじ)が奉納されていた。
そしてミシャグジ様という神に杓子を奉納する習慣があること、ミシャグジ様とは御石神様のことだと聞いたことがあった。
私はこの二面石が御石神様であり、そのため橘寺には杓子を奉納する習慣があるのではないかと考えた。

杓子を奉納するのは、御石神→ミシャグジ→御杓子 という語呂合わせだろう。

そして橘寺と同じく聖徳太子が創建したと伝わる四天王寺境内には石神堂がある。
牛王尊=石神とすれば、四天王寺にも杓子が奉納されているのではないか?

私は境内を歩き回って杓子を探してみたが、見つけることはできなかった。
(探したりないのかもしれない。)

しかしあきらめて帰りかけたとき、中の門あたりで
「咳(せき)の地蔵尊」と刻まれた石碑をみつけたので、一気にテンションがあがってしまった。

咳の地蔵尊は牛王尊=石神と関係のある地蔵尊ではないかと思う。
横浜市の社宮司社は、「咳の神」「おしゃもじさま」と呼ばれ、この社に奉納されている杓子を持って帰り、のどを撫でると咳の病が治ると信仰されているという。
名古屋市南区の石神社ではミシャグジという神様に杓子を奉納する習慣があるそうである。

石は「せき」と読むので、石神堂の石神(牛王尊の巨石)は咳の地蔵尊に変化したのではないだろうか。

四天王寺 咳の地蔵尊

四天王寺 咳の地蔵尊

②石上神宮は石神(ミシャグジ)?


さきほどものべたように、四天王寺は物部守屋の土地と奴婢を用いて聖徳太子が建立した寺とされる。
四天王寺がある辺りはもともとは物部氏の土地であったのだろう。
(もともと四天王寺は森ノ宮あたりにあったといわれるが)

奈良県天理市にある石上神宮は物部氏が祭祀する神社だった。
もしかして石上神宮の石上とは「石神」が転じたもので、ミシャグジとは物部氏の神様なのではないのだろうか。

石上神社 紅葉 
石上神宮

そういえば、肩野物部氏の本拠地だった大阪府交野市には巨大な岩を祀る神社、磐船神社・星田妙見宮があった。

物部氏は岩を信仰していた氏族なのだ。

磐船神社 天の磐船 

磐船神社 天の磐船

星田妙見宮 織女石

星田妙見宮 織女石(たなばたいし)


ミシャグジ様の謎⑤ 交野ヶ原の天の川伝説 
ミシャグジ様の謎① 昔の人は岩を落ちてきた星だと考えた? 

③洩矢神=ミシャグジ=物部守屋?

長野県諏訪地方では洩矢神(もりやしん、もれやしん)が厚く信仰され、ミシャグジ神と同一視されているそうである。

洩矢と守屋は発音が同じである。

そしてこの洩矢神の後裔が守矢氏で、代々諏訪大社の神長官を務めてきたそうである。
そしてこの守矢氏が守ってきた「七本の峯のたたえ」はミシャグジ神が降りる木だと言われているそうである。

諏訪大社上社の御神体は‘守屋’山とされているが、守屋山は物部守屋と同じ名前である。

さらに諏訪大社上社の南西6kmほどの場所には守屋神社があり、物部守屋を祀っている。
そして諏訪大社上社の御神体・守屋山に頂上にある磐座は守屋神社の奥宮ともされているとのことである。

守屋神社では諏訪大社との関係は否定されているそうだが、私には関係がありそうに思える。

つまり、私は次のように推測するのである。
①守屋山の頂上にある磐座に降臨する神=洩矢神=ミシャグジ神=物部守屋の霊
②守屋山を御神体とする諏訪大社上社=物部守屋を祀る神社
③代々諏訪大社の神長官を務めた守矢氏=洩矢神の後裔=物部守屋の後裔

四天王寺の境内には守屋祠もある。

守屋祠

さらに次のように推測する。

④四天王寺は守屋の霊を慰霊するための寺であり、守屋に対する信仰があった。
⑤①で説明したように、洩矢神=ミシャグジ神=物部守屋の霊だと考えられる。
⑥四天王寺にはかつてミシャグジ神に対する信仰があったが、なんらかの理由で咳の地蔵尊におきかえられた。


ミシャグジ様の謎 ⑫ 『疳の虫の神』 につづきます~



いつも応援ありがとうございます♪

写真ブログのはずだったのにほとんど歴史ブログになってしまった 心の旅 もよろしくおねがいします。

毎度、とんでも説におつきあいくださり、ありがとうございました!

※まとめサイトなどへ無断で転載することはおやめください。


 にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
にほんブログ村



関連記事
スポンサーサイト




[2019/10/23 17:55] ミシャグジ様の謎 | TB(0) | CM(0)

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://arhrnrhr.blog.fc2.com/tb.php/362-31f12a75