ミシャグジ様の謎⑩ 千の仏頭が現れた山
ミシャクジ様の謎⑨ 30kmも運ばれた丈六の仏像 よりつづきます~
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①聖徳太子は怨霊だったby梅原猛氏
2019年1月12日梅原猛さんの訃報を告げるニュースが流れた。
彼は哲学者だが、どちらかというと歴史に関する著作が有名である。
特に彼の著書「隠された十字架―法隆寺論」は聖人として今なお厚く信仰されている聖徳太子を怨霊であったと説いて人々に衝撃を与えた。
私も彼の本をわくわくしながら読んだ読者のひとりだった。
私は彼の説のすべてを支持するわけではないが、歴史を考える彼の手法には多いに学ばせてもらった。
そんな梅原猛さんに心からお礼の言葉を述べて、別れの言葉に変えさせていただきたいと思う。
梅原猛さんの訃報を聞いた後、「隠された十字架」の舞台、法隆寺を訪れた。
法隆寺の南大門をくぐり、松並木がつづく参道を歩いていくと、中門と五重塔が見えてくる。

この門はかなり変わった門である。
どこが変わっているのかというと、四間のため中央に柱があるのだ。

上は喜光寺の門を撮影したものだが、通常の門はこの喜光寺の門のように奇数間のため中央に柱がくることはない。
梅原猛氏は門に柱を建てれば閂で、法隆寺は聖徳太子の怨霊封じ込めの寺ではないかと説かれた。

法隆寺 夢殿
法隆寺 夢殿は開扉すると大地震がおこると言い伝えられており、長年扉が開かれたことがなかった。
1908年フェノロサが夢殿の扉をあけたところ、聖徳太子等身大の像と伝わる救世観音が発見されたのだが
布でグルグル巻きにされたフランケンシュタインのような状態であった。
また、光背が頭に直接釘で打ち付けられていた。(一般的には足元にたてた棒に光背をつける。)
このほかにも多くの事例をあげ、梅原さんはこの救世観音は聖徳太子の怨霊封じ込めの像ではないかと説かれたのだった。
法隆寺 救世観音
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:GUZE_Kannon_Horyuji.JPG
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/e/e8/GUZE_Kannon_Horyuji
怨霊とは政治的陰謀によって不幸な死を迎えた人のことで、古には疫病の流行や天災は怨霊の仕業で引き起こされると考えられていた。
聖徳太子がなぜ怨霊になったのかというと、彼の子孫は蘇我入鹿に攻められて、山背大兄王(聖徳太子の子)以下全員、斑鳩寺(法隆寺)で首をくくって亡くなったからだと梅原猛氏はいう。
聖徳太子は立派な人物として今でも厚く信仰されているが、現在の日本人に彼の血は一滴も流れていないのである。
井沢元彦さんは梅原さんの説を受けて、先祖の霊はその子孫が祭祀または供養するべきとされているのに、聖徳太子には祭祀供養する子孫がいなくなった。
そのため怨霊になったと考えられたのではないかとおっしゃっている。

法隆寺
②仏頭山
飛鳥にある橘寺は聖徳太子生誕の地で、聖徳太子創建の寺と伝わっている。
橘寺の山号は仏頭山という。

お寺の後ろに写っている山が仏頭山である。
③千の仏頭が現れた伝説。
橘寺にはこんな伝説が伝えられている。
あるとき聖徳太子が3日間にわたり勝鬘経(しょうまんきょう)の講義を行うと、
蓮の花が庭に降り積もり、仏頭山に千の仏頭が現れ光り輝いた。
推古天皇はこれにたいそう驚かれて、この地に寺を建てるようにと聖徳太子に命じた。
そこで聖徳太子が橘の宮を寺と改めた。
仏頭といえば思い出すのが前回お話しした、興福寺所蔵で、もと山田寺にあったとされる仏頭である。
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Buddha_Head_Yamadadera.JPG
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/08/Buddha_Head_Yamadadera.JPG よりお借りしました。
作者 匿名Unknown author [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由で
仏頭とはみほとけの頭部のことである。
体から切り離された頭部というのは気持ち悪い。
しかも、その仏頭の数は千も仏頭山に現れたというのだからそれは不気味な光景であったことだろう。

法隆寺
④千の仏頭は聖徳太子の子孫の霊のドクロ?
①でお話ししたように、聖徳太子の子孫は、蘇我入鹿に責められて山背大兄王以下、全員斑鳩寺(法隆寺)首をくくって自害している。
千の仏頭とは、首をくくって自害した聖徳太子の子孫の霊のドクロなのではないだろうか。
聖徳太子の子と孫は大勢いたが千人は大すぎる。誇張して千の仏頭としたのではないだろうか。

⑤二面石はミシャグジ様?
本堂の奥の聖徳太子像を拝み、本堂を出ようとしたとき、壁にたくさんのしゃもじがつりさげられているのに気が付いた。
なぜ橘寺にしゃもじが奉納されているのだろうか?
たしか、ミシャグジ様という神様がいて、杓子(しゃもじのことを杓子ともいう)を奉納する習慣があると聞いたことがあるが、橘寺にもミシャグジ信仰があったのだろうか?
そんなことを考えながら本堂を出ると、右手に奇妙な形をした石像があった。
二面石というそうで、表裏に善悪ふたつの顔を刻んだものであるという。
そういえば、ミシャグジ様とは、御石神様のことである、と聞いた記憶があった。
二面石は石像であるので、御石神様といえるかもしれない。
この二面石が境内にあるところから、橘寺には杓子(しゃもじ)を奉納する習慣があるのだろうか?

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