ミシャグジ様の謎⑥ 沼をご神体とする神社
トップページはこちらです→ミシャクジ様の謎① 昔の人は岩を落ちてきた星だと考えた?

片埜神社
①アテルイの首塚
おや、片埜神社(大阪府枚方市)の境内に鬼の面が。
このあたりは豊臣秀吉が築城した大坂城の鬼門(東北)にあたる。
そのため片埜神社は大阪城の鬼門除けの神社として信仰されたという。
それで、ここに鬼の面が置いてあるのだろう。

②アテルイの首塚
しかし私はこの鬼の面を見ると、片埜神社の隣の牧野公園にあるアテルイの首塚(地元では蝦夷塚と呼ばれている。)や牧野公園の東北3丁(327m)離れた場所(枚方市宇山東町6-1)にあったというアテルイの胴塚をイメージしてしまう。
アテルイの首塚がある牧野公園はかつては片埜神社の境内であったといわれる。
アテルイは吾妻鏡などに登場する悪路王と同一視されているが、悪路王は伝説の中では鬼とされていることがある。
アテルイ(?~802年)は大墓公阿弖利爲(たものきみあてりい)などとも記され、奈良時代末期から平安時代初期ごろ、東北地方に住んでいた蝦夷の首長だった。
このころ、東北にはまつろわぬ民(朝廷に従わない人々)が結構いたようで、蝦夷と呼ばれていた。
802年、征夷代将軍・坂上田村麻呂は東北のまつろわぬ民を攻撃し、苦戦の末、勝利を納めた。
坂上田村麻呂は蝦夷の首長であるアテルイとモレを京へ連れ帰った。
坂上田村麻呂は朝廷にアテルイとモレの助命を嘆願したが、聞き入れられず、ふたりは河内国杜山で処刑された。

牧野公園 アテルイの首塚
アテルイ・モレが処刑された場所は「杜山」のほか、「植山」「椙山」と記した史料もある。
しかしいずれも河内国には存在しない。
枚方市宇山は江戸時代初期には上山という地名だった。
そこで植山は上山で、現在の枚方市宇山にある塚がアテルイの墓ではないかとする説がある。
昭和63年に枚方市教育委員会が牧野公園の東北にある塚(アテルイの胴塚と考えられていた。)を発掘調査した結果、6世紀後半の円墳と判明した。(宇山1号墳)
アテルイの墓とするには時期がずれている。
現在はその上にマンションが建てられていて、現存しない。
宇山1号墳の東には宇山2号墳があったそうだが、こちらも現存しない。
牧野公園東の坂道(府道17号枚方高槻線)は、「祟り坂」と呼ばれ、ここで転ぶとケガは一生治らないと言い伝えられているそうである。
この話を聞いた限りでは、牧野公園のアテルイの首塚は発掘調査されていないようであるが?
アテルイが処刑された場所が現在の牧野公園かどうかわからない。
しかし、宇山1号墳(2号墳は詳しい情報がつかめていないため、わからない)は6世紀後半の円墳なので、アテルイの胴塚ではないだろう。
③宇山1号墳は肩野物部氏の墓?
このあたりは古には肩野物部氏の本拠地だった。
宇山1号墳は肩野物部氏の首領クラスが眠る墓ではないだろうか。
初代神武天皇がやってくるより早く、このあたりにニギハヤヒという神が天下っていたということは
こちらの記事に書いた。→ ミシャクジ様の謎① 昔の人は岩を落ちてきた星だと考えた?
ニギハヤヒは物部氏の祖神とされている。
ニギハヤヒを神と奉じるナガスネヒコという者があり、神武にこういった。
「私の妹は天孫ニギハヤヒの妻となり、ウマシマジノミコトという御子も生まれた。
あなたは天孫だというが、天孫は二人もいるのか。あなたは天孫だと偽って土地を奪おうとしているのではないか。」
神武はナガスネヒコに天孫の証である天の天羽々矢(あまのははや)と歩靱(かちゆき)を見せたが、それでもナガスネヒコは納得しなかった。
ナガスネヒコは神武に服したニギハヤヒに殺された。
と日本書紀には記されている。
その後、ニギハヤヒの子孫である物部氏は蝦夷とともに東へのがれたともいわれる。
ニギハヤヒの兄・アビヒコは安倍氏の祖だといわれるが、阿倍氏は蝦夷である。
このように物部氏は蝦夷と関係が深そうに思われる。
アテルイの首塚が地元で蝦夷塚と呼ばれているのは、アテルイが蝦夷であるというだけでなく、物部氏が蝦夷と関係が深いところからそう呼ばれているのかもしれない。
④朝原神社と瘡神社は道祖神?
片埜神社から東へ歩いていくと片埜神社の境外社の朝原神社がある。猿田彦神を祀っている。

朝原神社
朝原神社の隣は枚方東消防署阪出張所で、その隣が同じく片埜神社の境外社の瘡(くさがみ)神社である。

瘡神社 鳥居の左右の脚の長さがちがっていたw 2018年の台風で折れたのかも?
瘡神社は次のような伝説を伝えている。
菅原道真が無実の罪で流罪となり大宰府へ向かう途中、この地で道真の馬が倒れた。
道真は馬を地元の人に託して大宰府へ向かった。
地元の人は手厚く介抱したが、馬は死んでしまった。
馬が埋葬された場所には馬の好物である草がたくさんお供えされ、「草神様」と呼ばれるようになった。
この「草神」が「瘡(くさ)神」に転じて「瘡神社」となり、皮膚病にご利益があると信仰された。
私たちは、磐船神社・星田妙見宮など神殿のない神社を見てきた。
磐船神社・星田妙見宮は大阪府交野市にあるが、片埜神社のある枚方市は交野市と隣接している。
そして交野市・枚方市のあたりは古には交野ケ原と呼ばれていた。

磐船神社 ご神体 天の磐船

星田妙見宮 織女石
片埜神社の境外社・瘡神社にも神殿がない。
写真の建物は「お籠り堂」で、かつてここに籠って皮膚病祈願が行われていたが、現在は拝殿となっている。
ご神体は岩ではない。拝殿の奥にある沼がご神体となっている。
沼や池には弁財天が祀られることが多い。
女神は水神なのだ。
瘡神社の現在の祭神は火酢芹命だが、もともとは異なる神を祀っていたという。
もともとここに祀られていた神は、女神のアメノウズメではないだろうか。
日本では道祖神は猿田彦神とアメノウズメの男女双体の神とされている。
朝原神社と瘡神社で、道祖神をあらわしているのかもしれない。
参照/ミジャクジ様の謎③ 『ニギハヤヒは太陽神?それとも星の神?』

川治温泉の道祖神(向かって左)
ミシャグジ様の謎⑦ 神殿を持たないのは物部氏の祭祀スタイル? につづきます~
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