私流 トンデモ百人一首 20番 わびぬれば・・・ 『業平の二の舞を踏んだ元良親王』
わびぬれば 今はた同じ 難波なる みをつくしても 逢はむとぞ思ふ/元良親王
(こんなに思い悩んでしまった今はもうどうなってもいい。難波の海の澪標の言葉どおり、身を尽くして(身を滅ぼして)もあなたに逢いたいと思う。)

あべのハルカスより港大橋・大阪府咲州庁舎(向かって左の高層ビル)を望む
①みおつくし
大阪府咲洲庁舎展望台にのぼると大阪の町だけでなく、東に神戸、明石海峡大橋、淡路島、西には堺泉北工業地帯、関空までも望むことができる。

港大橋(大阪市港区↔住之江区)とあべのハルカス(大阪市阿倍野区 向かって右の高層ビル)
眼下に広がる大阪市。その市章は「澪標(みおつくし)」である。

https://commons.wikimedia.org/wiki/File%3AEmblem_of_Osaka%2C_Osaka.svg
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/2e/Emblem_of_Osaka%2C_Osaka.svg よりお借りしました。
作者 waketasu1977 (大阪市章1894年4月制定) [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由で

大阪ドーム〈大阪市西区)
古の大阪港は水深が浅く座礁する危険性のある個所がたくさんあったそうである。
織田正吉さんによれば、澪標とは「澪つ串」の意味であるという。
藻とは水尾で、水深の深い場所を表す水路標識を澪標というのだと。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BE%AA%E6%A8%99#/media/File:Miotsukushi_in_Osaka.JPG
↑ 澪標の写真

長居スタジアム(大阪市東住吉区)
②みをつくしても 逢はんとぞ思ふ
この澪標を詠んだ有名な歌が百人一首にある。
わびぬれば 今はた同じ 難波なる みをつくしても 逢はむとぞ思ふ/元良親王
(こんなに思い悩んでしまった今はもうどうなってもいい。難波の海の澪標の言葉どおり、身を尽くして(身を滅ぼして)もあなたに逢いたいと思う。)
名神高速道路の吹田サービスエリアの中元良親王の歌碑があるとのことなので、今度見にいってみたい。

梅田スカイビル〈大阪市北区)
③不倫の恋を詠んだ歌
この歌、実は不倫の恋の歌なのである。
「後撰集」の詞書には「事いできて後に、京極御息所につかはしける」とある。
「事いできて後に」とは「不倫がばれた後」という意味、「京極御息所」とは宇多天皇の寵妃で藤原時平の娘の藤原褒子(ふじわらのほうし)のことである。
最近、不倫がばれると「一線を超えていない」とかなんとか言い逃れしようとする人が多くて、粋じゃないな~と残念になる。
元良親王のように批判を恐れず、人妻に対する情熱を熱く語る人がひとりぐらいいてもいいのに、と思ってしまう~。

太陽の塔とosaka wheel(大阪市吹田市)
④元良親王は京極御息所を愛していたわけではなかった?
ただ、元良親王は30人以上の女性との恋愛歌を詠んでいて、京極御息所ひとりだけを愛したというわけではなさそうである。
また、本当に京極御息所を愛していたのかについても疑問だ。
元良親王はある目的をかなえるために京極御息所を利用したのではないか、と私は考えている。

みなと堺グリーン広場/手前 と 大阪ガス泉北 第2工場/奥(大阪府堺市)
⑤在原業平と藤原高子の駆け落ちの真相
元良親王はなかなかの色好みであったようだが、他に平安時代の色好みと言えば在原業平だ。
在原業平と元良親王はよく似ている。
というのは在原業平は清和天皇に入内する予定だった藤原高子と駆け落ちをしているのである。
しかし業平は高子のことが好きで好きで仕方なかったということではなかったようだ。
というのは古今集詞書に次のようにあるのだ。
五条の后
これは「五条の后(仁明天皇の后、藤原順子)の宮の西側の建物に住んでいる人(藤原高子のことだと考えられています。)に、業平は本気ではなかったのだが通っていたが」という意味である。

大平和祈念塔 (大阪府富田林市)
業平と高子が駆け落ちをしているところから、高子が産んだ貞明親王(のちの陽成天皇)は、清和天皇の子ではなく、業平の子ではないかとする説がある。
そして百人一首の絵札の、弓矢を背負う業平の姿は陽成天皇を守る姿であるという話を聞いたこともある。

業平は自分の血をひく子供を高子に生ませ、自分の血を引く子が清和天皇の皇子として育てられ、自分の血をひく子が皇位につくことを目的として、高子と関係を持ったのだと思う。
また、そうして生まれたのが陽成天皇ではないだろうか。
参照/私流 トンデモ百人一首 ⑰ちはやぶる・・・ 『陽成天皇の父親は在原業平だった?』

二上山(向かって左)と葛城山(向かって右)
⑥ばれた業平の計画
おそらく業平の策略は高子の兄で摂政だった高子藤原基経にばれたのだろう。
陽成天皇は9歳で即位したが、源益を殴殺したとして17歳で退位させられている。
そして基経は陽成天皇の大叔父にあたる光孝天皇を即位させた。

関西国際空港(大阪府泉佐野市・大阪府泉南郡田尻町・泉南市にまたがる)
⑦元良親王は在原業平の孫だった?
元良親王はこの陽成天皇の皇子で、宇多天皇は光孝天皇の皇子である。
元良親王は業平の計画がばれなければ、自分が天皇になれたかもしれないのにと、宇多天皇を憎く思ったかもしれない。
私の考えが正しければ、陽成天皇は在原業平の子であり、元良親王は在原業平の孫である。
そして元良親王は本当の祖父・業平と同じことをしようとしたのではないかと思うのだ。

明石海峡大橋 手前は神戸空港
⑧元良親王と京極御息所の不倫の真相
元良親王は宇多天皇の寵妃・藤原褒子に自分の子を宇多天皇の皇子として産ませ、その子を皇位につけることで、皇位継承の血筋に自分の血を残そうとしたのではないだろうか。
しかし、藤原褒子が産んだ子が皇位につくことはなく、宇多天皇と藤原 胤子の間に生まれた醍醐天皇が即位した。
元良親王の野望は叶わなかったのだ。

舞洲(向かって右) 夢洲(向かって左)
もう一度元良親王の歌を鑑賞してみよう。
わびぬれば 今はた同じ 難波なる みをつくしても 逢はむとぞ思ふ/元良親王
(こんなに思い悩んでしまった今はもうどうなってもいい。難波の海の澪標の言葉どおり、身を尽くして(身を滅ぼして)もあなたにお会いしたいと思います。)
思い悩んでいたのは、褒子に対する恋にではなく、なんとか自分の血をひく子を宇多天皇の皇子として褒子に産ませたい、という計画についてではないだろうか。

天保山大観覧車
ところが、褒子との密会がばれてしまい、「もうどうなってもいい」とやけのやんぱちになってしまったのだろう。
処分されようがどうされようがかまうものか。とにかく褒子に自分の子を産ませてやるぜ!
みたいな意味で、歌を詠んだのかもしれない。

夢舞大橋

通天閣〈大阪市浪速区) と あべのハルカス〈大阪市阿倍野区)
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