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私流 トンデモ百人一首 13番 筑波嶺の・・・ 『龍田川だったらよかったのに・・・・』 


八坂神社 かるた始め3

八坂神社 かるた始め


小倉百人一首 13番
筑波嶺(つくばね)の 峰より落つる 男女川(みなのがは)恋ぞつもりて 淵となりぬる/ 陽成院
(筑波山の峰から流れ落ちてくる男女川(みなのがわ)が、どんどん水嵩を増して淵になるように、恋心が募って深い淵となってしまった。)



①歌垣の聖地・筑波山


古代の日本には歌垣と呼ばれるフリーセックスの習慣があり、高橋虫麻呂と言う人がそのようすを歌に詠んでいる。

筑波嶺に登りて嬥歌会(かがい)をする日に作る歌一首 并せて短歌
(筑波の山に登って嬥歌会する日に作った歌一首、あわせて短歌)


鷲の住む 筑波の山の 裳羽服津(もはきつ)の その津の上に 率(あども)ひて 娘子壮士(をとめをとこ)の行き集ひ
かがふ嬥歌(かがひ)に 人妻に 我も交はらむ 我が妻に 人も言問へ この山を うしはく神の 昔より いさめぬわざぞ
今日のみは めぐしもな見そ 事も咎むな
(鷲が住む 筑波の山の 裳羽服津の津のほとりに、誘い合って 若い男女が集まる 嬥歌で 人妻とエッチしよう。私の妻と誰でもエッチしていいぞ。この山を支配する神が、昔から 許していることだ。今日だけは見苦しいなどとみるな。なにがあっても咎めるな)

反歌

男神に 雲立ちのぼり 時雨ふり 濡れ通るとも 我帰らめや
(男神に雲立ち上り 時雨が振り 濡れ通っても 私は帰らないぞ。)


②歌垣は荒魂(男神)に和魂(女神)を和合させて御霊にする神事?

なにやらすごい歌だが(笑)、現代フリーセックスを行う者との違いは、これが神が許した行事、神事であったということだ。

仏教の神・歓喜天は男女が和合したおすがたをしておられ、次のような伝説がある。

鬼王ビナヤキャは祟りをもたらす神であった。
そこへ十一面観音の化身であるビナヤキャ女神があらわれ、鬼王ビナヤキャに「仏法守護を誓うならあなたのものになろう」と言った。
鬼王ビナヤキャは仏法守護を誓い、ビナヤキャ女神を抱いた。




動画お借りしました。動画主さん、ありがとうございます。

↑ 相手の足を踏みつけている方がビナヤキャ女神である。

この物語は、御霊・荒魂・和魂という概念をうまく表していると思う。

神はその現れ方で、御霊(神の本質)・荒魂(神の荒々しい側面)・和魂(神の和やかな側面)の3つに分けられるといわれる。
そして荒魂は男神を、和魂は女神を表すとする説があるのだ。
すると神の本質である御霊とは男女双体ということになると思う。

御霊・・・神の本質・・・・・・・歓喜天・・・・・・・男女双体
荒魂・・・神の荒々しい側面・・・鬼王ビナヤキャ・・・男神
和魂・・・神の和やかな側面・・・ビナヤキャ女神・・・女神

歌垣の習慣は、荒魂(男神)に和魂(女神)を和合させることで、御霊に転じさせる呪術であったのではないだろうか。

③筑波山はなぜ紫峰と呼ばれているのか?

筑波山は茨城県つくば市にある標高877mの山で、М字型をしている。
西を男体山(標高871m)、東の女体山(標高877m)といい、筑波山神社の境内地ということである。
一度訪れてみたいが、関西在住の私はまだ行ったことがない。

雅称を紫峰(しほう)というそうだが、これには思い当たるところがある。

Mt.Tsukuba

西側から望んだ筑波山
https://commons.wikimedia.org/wiki/File%3AMt.Tsukuba.jpg
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/87/Mt.Tsukuba.jpgよりお借りしました。
作者 RESPITE (photo by RESPITE) [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由で


関西で歌垣があった場所といえば、奈良県桜井市の海石榴市(つばいち)であるが、そこに歌碑が建てられていて、次のような歌が刻まれている。

紫は ほのさすものぞ 海石榴市の 八十のちまたに 逢へる子や誰/万葉集 詠み人知らず
(海石榴市の辻で逢った貴女は、何というお名前ですか。)


紫色に布を染めるためには、椿の灰を媒染剤とした。
紫とは道で出会った女、灰汁は男のことで、男と目があったとたん、女がぱっと美しく瞳を輝かせた、というような意味だろうか。

こんな歌もある。

紫草(むらさき)の にほへる妹を 憎くあらば  人妻ゆゑに 我恋ひめやも. /大海人皇子
( 紫草の紫色のように美しいあなたのことを憎いと思っているとしたら、どうして私はあなたのことがこんなに恋しいのでしょうか。あなたは人妻だというのに)


この2首を鑑賞すると、恋する女が美しく瞳を輝かせるようすを『紫』といっているように思える。

筑波山は男体山と女体山からなる。
このような山の形を、古の人々は男女双体であると考えたのだろう。
女体山は男体山に恋をして瞳を輝かせている。そこから紫峰と呼ばれたのではないだろうか。

④つりどのの皇女は光孝天皇の第3皇女

この歌には「つりどのの皇女につかはしける」と詞書がついている。
「つりどのの皇女」とは「綏子内親王(?-925)」のことである。
綏子内親王は光孝天皇(830-887)の第3皇女である。

⑤退位させられた天皇

和歌は歴史と重ね合わせて鑑賞するべきというのが私流。
簡単にこのころの歴史についてみてみることにしよう。

陽成天皇(869-949)は生まれたばかりで皇太子となり、876年、9歳で清和天皇の譲位を受けて即位した。
幼い陽成天皇の摂政には高子の兄・藤原基経がついた。

883年、陽成天皇の乳兄弟の源益が殴り殺されるという事件がおき、記録にはないものの陽成天皇が犯人ではないかと考えられている。(犯人ではないとする説もある。)
884年、陽成天皇は藤原基経にせまられて退位した。基経は55歳の光孝天皇を擁立する。
光孝天皇は自身の皇位を一代限りのものとして、すべての皇子・皇女を臣籍降下させた。
このとき、光孝天皇の皇女・綏子内親王(つりどのの皇女)も臣籍降下した。

887年、光孝は病を患い、基経と光孝は次期天皇とするため、光孝の子・源定省を皇籍に復帰・立太子させた。
光孝天皇はその日のうちに崩御され、定省親王(宇多天皇)が即位した。
宇多天皇は、光孝天皇が寵愛していた内侍・藤原淑子の猶子であったので、皇太子に選ばれたのではないかといわれている。
このとき、光孝天皇の皇女・綏子内親王(つりどのの皇女)も皇族に復帰した。

宇多天皇は897年に皇子の醍醐天皇に譲位する。
こうして、皇統は光孝―宇多―醍醐とひきつがれていき、文徳―清和―陽成の系統に戻ることはなかった。

大鏡には陽成院が宇多のことを「今の天皇はかつて私の臣下ではないか」と言ったとある。

 
(54)仁明天皇
 
(55)文徳天皇
 
(56)清和天皇
 
(57)陽成天皇
 
(源)清蔭陽成源氏へ〕
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
惟喬親王
 
 
貞純親王
 
(源)経基清和源氏へ〕
 
 
 
 
 
(58)光孝天皇
 
(59)宇多天皇
 
(60)醍醐天皇
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
人康親王
 
藤原基経
 
 
真寂法親王
(斉世親王)
 
 
 
 
 
敦実親王
 
(源)雅信宇多源氏へ〕
 
 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%BD%E6%88%90%E5%A4%A9%E7%9A%87より引用

⑦陽成天皇の父親は在原業平だった?

陽成天皇は清和天皇の皇子で母親は藤原高子である。
藤原高子は清和天皇の女御となる以前、在原業平と駆け落ちしたとの説話が伊勢物語などにみえ、このため陽成天皇の父親は清和天皇ではなく在原業平であるとする説もある。
これについては前回の私流 トンデモ百人一首 ⑰ちはやぶる・・・ 『陽成天皇の父親は在原業平だった?』  でもお話しした。

陽成天皇は殴殺事件をおこして退位させられているが、通常ならば叔父の藤原基経は殴殺事件など握りつぶしたのではないかと思う。
甥が皇位についているというのは、基経にとって有利だと思うからだ。
それなのに退位させ、、文徳―清和―陽成の皇統を断ったのは、陽成天皇が業平の子だったからではないかと思ったりする。
基経は業平と駆け落ちをした藤原高子とも大変仲が悪かった。
これも高子が清和天皇の皇子と偽って業平の子供を生んだためではないかと思われる。

さらに陽成天皇の乳母は紀全子、宮人にも紀氏の女性がおり、陽成天皇は紀氏と関係が深かった。

私は陽成天皇の父親は在原業平ではないかと考えているが、業平は紀名虎の娘を妻にしており、紀静子を母親に持つ惟喬親王の寵臣であった。
陽成天皇と紀氏のつながりの深さは、陽成天皇と在原業平が親子だからではないだろうか。

百人一首かるた

⑧「みなの川」「こひぞつもりて」「淵となりける」

「みなの川」「こひぞつもりて」「淵となりける」について、『千人万首』は次のように記している。

◇みなの川 『宗祇抄』によれば、「桜川へおつる」川。桜川は霞ヶ浦に注ぐ川。後世、男女二峰を有する山に因んで「男女の川」とも書かれる。「みな」は「蜷」(泥中に棲むタニシなど小巻貝の類)と同音なので、そこから次句の「こひぢ」(泥濘)と同音を持つ「こひ」を導く序となる。

◇こひぞつもりて 恋心が積もって。「こひ」は「泥(こひぢ)」を連想させるため、「泥濘が積み重なって」の意を兼ねる。

◇淵となりける 「淵」は水が淀んで深くなっているところ。「瀬」(流れが早くて浅いところ)の対意語。「泥水が積もり積もって深い淀みとなった」「恋が積もり積もって、淵のように深く淀む思いになった」の両義

http://www.asahi-net.or.jp/~SG2H-YMST/yamatouta/sennin/youzei.html より引用

泥水が積もれば深い淵ではなく、浅瀬になるのではないか、と思ってしまうが、
泥水が積もって土手になれば水が流れず淵になると言うことを言っているのかもしれない。

⑨龍田川の歌を詠めばよかったのに・・・・

龍田河 もみぢみだれて 流るめり 渡らば錦 なかや絶えなむ(平城上皇・・・在原業平の祖父)

この歌を詠んだ平城天皇は薬子の乱をおこしたが嵯峨天皇に負け、そのせいで業平の父の阿保親王は流罪となった。
そして帰京後、自分の子供(在原行平・在原業平ら)の臣籍降下を願い出て許された。(こうすることによって反逆の意思がないことを示そうとしたのだろう。)

上の歌は、龍田川を皇統に喩え、「私が「薬子の変」をおこしたため、私の子孫は皇位継承することができないだろう」という意味で詠んだものではないかと思う。


ちはやぶる 神代もきかず 龍田川 からくれなゐに 水くくるとは(在原業平)

「貞明親王(のちの陽成天皇)は実は清和天皇の子ではなく、私(在原業平)と藤原高子の子なのだ。
祖父・平城上皇が薬子の変を起こしてちぎれてしまった皇位継承の血筋が、貞明親王(のちの陽成天皇)が皇太子になったことによって括られた。こんなことは神代にもなかったことだ」

陽成院の歌は上の2首を受けたものだと思う。


筑波嶺の峰よりおつる みなの川 恋ぞつもりて 淵となりける(陽成院)

筑波山の男体山は陽成天皇、女体山は綏子内親王(つりどのの皇女)に喩えたのだろう。
筑波山は古来より歌垣で有名なところである。
陽成天皇はこの歌を綏子内親王(つりどのの内親王)に送ったというのだから、
ストレートにいえば陽成天皇が綏子内親王に「ねえ、君。エッチしようよ~」という意味ではないだろうか。
ただ、陽成天皇が単に綏子内親王とエッチしたかったというだけの歌ではないと思う。
陽成天皇は綏子内親王の子供がほしかったのだ。
陽成天皇は子供が好きだったの?なんて考えてはいけない。
綏子内親王のような身分の高い女性との間にできた子なら、皇太子になれる可能性がある。
陽成天皇は自分の子どもを天皇とし、自分の血を皇統に残したかったのだ。

在原業平が自分の子供を天皇として、自分の血を皇統に残そうとしたように。
恋が積もってできた淵は、自分の子供を守ってくれる淵というわけだろう。

しかし、残念!
平城上皇、在原業平が皇位継承の血筋に喩えたのは龍田川だった。筑波山からながれるみなの川ではない。
そして皇位継承の血筋は流れなくてはいけなかった。淵だと水がながれない。

陽成院と綏子内親王(つりどのの内親王)の間に子供が生まれることはなく、先に述べたように皇統が戻ることはなかった。

龍田川 紅葉

龍田川



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