⑤「ふる」の意味『ふる』を古語辞典でひくと『降る』のほかに『触る』『旧る』『振る』という項目がある。
「触る」・・・①触る ②かかわりあう ③箸がつく ④男女が交わる
「旧る」・・・古くなる。昔と今とすっかり変わる
「振る」・・・①揺れ動く。②波や風が立つ。③震わす。④遷宮させる。⑤(男女関係などで)きらい捨てる ⑥割りあてる。
さて、『わが御代にふる』の『ふる』とはどの意味なのだろうか。
『旧る』で、『昔と今とすっかり変わる』という意味だろうか。
すると、『私の御代に世の中がすっかりかわる様子を見ることができるだろう』という意味になるだろうか。
小野小町の邸宅跡と伝わる髄心院 石楠花⑥物部神道
私は『ふる』から物部神道を思い出す。
物部神道の本山・物部神社には「布留社(ふるのやしろ)』と呼ばれる振魂(ふるたま)神法が伝わっているのだ。
物部氏の祖神・ニギハヤヒは天から十種神宝(とくさのかむだから)と天璽瑞宝十種(あまつしるしみずたからとくさ)を授かったとされる。
十種神宝とは、奥津鏡(おきつかがみ)、辺津鏡(へつかがみ)、八握剣(やつかのつるぎ)、生玉(いくたま)、死反玉(まかるかへしのたま)、足玉(たるたま)、道反玉(ちかえしのたま)、蛇比礼(おのちのひれ)、蜂比礼(はちのひれ)、品々物比礼(くさぐさのもののひれ)のことをいう。
天璽瑞宝十種は、この十種神宝を用いて行う鎮魂の神法のことである。
「一ニ三四五六七八九十 不瑠部由良由良不瑠部(ひふみよいむなやこたり、ふるべふるべゆらゆらふるべ)」と唱え、死者を生き返らせる秘法であるという。
『ふるべ』は瑞宝を振り動かすこと、『ゆらゆら』は玉の鳴り響く音とされる。
『わがみよにふる』の『ふる』は物部神道の『ふる』と関係があるのではないだろうか。
すると『わがみよにふるながめせしまに』とは『私の御代に(死者を生き返らせるために)十種の神宝を振り動かす光景を見ることだろう。』というような意味なのかもしれない。
⑧惟喬親王は生き返る?ここで前回の記事を思い出してほしい。
私流トンデモ百人一首 8番 わが庵は『喜撰法師は紀仙法師で惟喬親王のことだった?』 この記事の中で、私は喜撰法師は紀仙法師で紀氏の地の濃い惟喬親王のことではないか、と書いた。
私は小野小町の正体も小野宮=惟喬親王のことだと考えている。
つまり、喜撰法師(紀仙法師)=小野小町=惟喬親王(小野宮)と推理しているわけである。
高田祟史さんの指摘によれば、喜撰法師の歌は次のように変化する。
わが庵は 都のたつ
み しかぞすむ
↓
わが庵は 都のたつ
み 鹿ぞすむ
↓
わが庵は 都のたつ
み ろくぞすむ ※鹿は音読みでは「ロク」
↓
わた庵は 都のたつ
弥勒ぞすむ
弥勒菩薩とは56億7000万年後に現れるとされる菩薩で、即身仏になるべく入定した人の目的は、56億7000万年後の弥勒菩薩の聖業に参加するためだったと聞いたことがある。
昔の人々は魂が復活するためには、魂の容れ物である肉体が必要であると考えていたのではないだろうか。
そして喜撰洞は喜撰法師=紀仙法師=惟喬親王が入定した場所だと私は考えた。
紀氏の人々は惟喬親王がいつか生き返る、復活すると考えていたことだろう。
やはり惟喬親王と考えられる小野小町が「わが御代にふる」と歌を詠んでいるのは、「私はいつか復活してこの世の中をおさめる天皇になる」という意味だったりして?
小倉百人一首の8番喜撰法師と9番小野小町の歌はセットになっていると思う。
⑧
天(雨)の下小野小町が雨乞いの際に詠んだといわれる歌がある。
ことわりや 日の本ならば 照りもせめ さりとては 又天が下とは
(道理であるなあ、この国を日本と呼ぶならば、日が照りもするだろう、しかしそうは言っても、又、天(雨)の下とも言うではないか。だから、雨を降らせてください。)
この歌の中で小町は天と雨をかけている。
花のいろは うつりにけりな いたづらに わがみよにふる ながめせしまに こちらの歌には「ながめせしまに」とあるが、これは「眺めせしまに」と「長雨せしまに」というふたつの意味をかけているとされる。
もしかして「長雨」の「雨」は「天」の掛詞になっているのではないだろうか?
そしてgoo辞書を調べてみると、次のように記されている。
くだ・る【下る/降る】
http://dictionary.goo.ne.jp/jn/61845/meaning/m0u/より引用
初めて知ったが、降るは「くだる」とも読むのだ。
「わがみよにふるながめせしまに」は「わが御代に降る長雨せしまに」→「わが御代に下る長天せしまに」と変化するということだ。
そうすることによって「下る長天」で、「長い天下」という言葉を導いているように思える。
はねずの梅は長雨で色が褪せて栄華の象徴である桜となった。
私が天皇となって長い天下をおさめるときがきた。
昔と今はすっかり変わる。(死んだ私が生き返る?)
そんな眺めを私は見るのである。こんなに男らしい堂々とした歌を詠めるのは、惟喬親王以外いない。
髄心院の歌碑に描かれた小野小町像