陰陽 黒と白 ⑲白髪が黒髪になった娘と白山信仰

勝尾寺
①白い神が黒い神に転じる。
大阪府箕面市の勝尾寺には次のような伝説があった。
1677年、旗本菅沼隠越中守の娘が勝尾寺の三宝荒神さまに祈願したところ、白髪が黒髪になった。
この伝説は、白い神が黒い神に転じたということを比喩的に語ったものではないかと私は考えた。

勝尾寺 三宝荒神
②菅沼隠と菅沼集落
そして、旗本菅沼隠越中守とは
旗本・・・江戸時代の武士の身分のひとつ
越中・・・現在の富山県
守・・・・国司
である。
菅沼隠が何をあらわしているのか、わからない。
この人は越中(富山県)の国司をつとめていた人だが、富山県五箇村に世界遺産に登録されている菅沼集落がある。
合掌造りの家が数多く残っていることで有名な集落である。
菅沼とはこの菅沼集落をさしているのかもしれない。

五箇山 菅沼集落
③勝尾寺には白山信仰があった?
そして勝尾寺には白山信仰があったと考えられる。
というのは、次のような創建説話が伝えられているからだ。
727年、双子の兄弟、善仲と善算(年藤原致房の子)がここに草庵を築き、765年開成(かいじょう/光仁天皇の皇子・桓武天皇の異母兄)が善仲、善算に弟子入りした。
777年、開成は大般若経600巻の書写をやり遂げ、この場所に弥勒寺を創建した。
780年、妙観が十一面千手観世音菩薩立像を刻み、本尊として安置した。
880年、行巡が清和天皇の病気平癒の祈祷を行って効験があったため、「王に勝った寺」の意で「勝王寺」 の寺号を帝より賜った。
しかし、「王に勝った寺」とはあまりに畏れ多いとして、「王」を「尾」として勝尾寺と号した。
ここに開成皇子なる人物が登場するが、静岡県磐田市の白山神社の創建説話に登場する海上皇子(戒成皇子/桓武天皇の第四皇子)愛知県新城市の白山神社の創建説話に登場する後醍醐天皇の第3皇子・開成皇子と関係があるのではないかと前田速男さんが 指摘されている。
勝尾寺 | 大阪府箕面市 | 開成 | 光仁天皇の皇子 桓武天皇の異母兄 | 旗本菅沼隠越中守の娘が勝尾寺の三宝荒神さまに祈願したところ、 白髪が黒髪になった |
白山神社 | 静岡県磐田市 | 海上皇子(戒成皇子) | 桓武天皇の第四皇子 | 裸足で大地を踏んだので鬼神の怒りにふれ、 病になった |
白山神社 | 愛知県新城市 | 開成皇子 | 後醍醐天皇の第3皇子 | 裸足で大地を踏んだので鬼神の怒りにふれ、 病になった |
静岡県磐田市・白山神社の海人皇子と、愛知県新城市・白山神社の開成皇子はどちらも「裸足で大地を踏んだので鬼神の怒りにふれ、病になった」と伝えられている。
愛知県新城市・白山神社の開成皇子は何の病になったのかわからないが、静岡県磐田市・白山神社の海人皇子についてはハンセン病になったとされる。
そして②で述べた五箇山は白山信仰の強い地域で、菅沼集落からほど近い上梨には白山宮がある。

五箇山 上梨 白山宮
③ハンセン病にかかった伝説のある皇子のことを、開成・海上・戒成と呼んでいる?
3人の父親は異なるが、ハンセン病にかかった伝説のある皇子のことを、開成・海上・戒成と呼んでいるように思われる。
また、奈良豆比古神社地元の語り部さんによれば、・良豆比古神社・翁舞の翁は志貴皇子だというが
志貴皇子の子にも海上王または海上女王がいる。
静岡県磐田市 | 白山神社 | 海上皇子(戒成皇子) | 桓武天皇の第四皇子 | 裸足で大地を踏んだので病になった。 |
愛知県新城市 | 白山神社 | 開成皇子 | 後醍醐天皇の第3皇子 | 裸足で大地を踏んだのでハンセン病になった。 |
北摂 | 神峯山寺 本山寺 安岡寺 勝尾寺 など | 開成皇子 | 光仁天皇の皇子 桓武天皇の異母兄 | |
海上王(本朝皇胤紹運録) または海上女王(続日本紀) | 志貴皇子の子 | 志貴皇子または志貴皇子の子の春日王がハンセン病になった。 (奈良豆比古神社伝説) |
光仁天皇は志貴皇子の子で、桓武天皇は光仁天皇の子である。
従って、志貴皇子~光仁天皇~桓武天皇と三代にわたり、海上または戒成または開成という名の子があったということになる。

奈良豆比古神社 翁舞
④実際にハンセン病にかかったわけではない、と思う。
日本書紀にトガノの鹿という話が記されている。
雄鹿が「全身に霜が降る夢を見た」というと、雌鹿は「霜だと思ったのは塩で、あなたは殺されて全身に塩を振られているのです。」と答えた。
翌朝、雌鹿の占いのとおり雄島は漁師に撃たれて死んだ。(トガノの鹿)
鹿の夏毛には白い斑点がある。
その白い斑点が霜や塩に喩えられたのだろう。
謀反の罪で殺された人には塩が振られることがあり、鹿とは謀反人の比喩だとする説がある。
そしてハンセン病患者の症状はさまざまだが、白い斑点ができるものがある。
つまり、次のような発想で謀反人と鹿やハンセン病患者は結び付けられたのではないかと思う。
謀反人→死体に塩を振る→鹿の白斑を思わせる→ハンセン病患者を思わせる。
開成皇子や海上皇子は謀反人であったため、ハンセン病になったなどという伝説が生じたのではないだろうか。

東大寺大仏殿 鹿
⑤ジンベエザメと海上皇子
また日本書紀は次のような話もある。
612年、百済から渡来したものの中に体に白斑を持つ者がおり、海中の島に置き去りにしようとした。
白斑の男はこう言って抵抗した。
「白斑が悪いというのなら、私と同じように白斑のある牛馬は飼えないではないか。
私は築山を作るのが得意で、この国のお役にたつことができます。私を海中の島に捨てるのは日本のためになりません。」
そこでこの男に須弥山の形と呉風の橋を御所の庭に築かせた。
この話から、海上皇子という名前の由来を推理することができる。
海上皇子はハンセン病を患って白斑を持っていたと考えられ(実際にハンセン病であったのではなく死体に塩が振られていたのをハンセン病に喩えた)海中の島に捨てられたと考えられたため、海上皇子と命名されたのではないだろうか。

白斑を持つ大きな魚にジンベエザメがおり、別名をエビスザメという。
エビスザメと呼ばれるのは、ジンベエザメが現れるとき、カツオやイワシが大漁になるからだ。
ジンベエザメもイワシ・カツオもプランクトンを主食にしているため、上記のような現象がおきる。
エビスザメのエビスは蛭子神または事代主とされ、海の神・大漁をもたらす神である。
また水死体のこともエビスといい、水死体があがると大漁になるなどといわれる。
蛭子神は3歳になっても歩けない身体障害児だったため、両親のイザナギ・イザナミは彼を葦舟に乗せて流した。
蛭子神は竜宮に流れ着き海神に育てられたと言われるが、竜宮とは死の世界のことだろう。
また事代主は天照大神が派遣したタケミカヅチにか「国を譲れ」と迫られ、海を青柴垣に変え、船を踏み傾けて姿を消したとされる。(入水したのだろう。)
えびす神も事代主も水死しているのである。そのため水死体をえびすというのだろう。
えびすザメとも呼ばれるジンベエザメは、死んだ蛭子神または事代主神の化身であると考えられたのではないだろうか。
また海上皇子は蛭子神や事代主と同一神であり、ジンベエザメは海上皇子の化身でもあると考えられたのだと思う。
勝尾寺は鰹(カツオ)寺であり、開成皇子=海上皇子=ジンベエザメが大量のカツオをひきつれてやってくるところから命名されたのかもしれない。
⑥白い山から黒い山へ、そして黒い山から白い山へ。
我々は、どうやら勝尾寺には白山信仰があったらしいことを考察した。
それではなぜ白山信仰はハンセン病と結びつけられたのだろうか。
それは白山の冠雪と関係があるのではないかと私は思う。
五箇山の菅沼集落からさらに登っていくと相倉集落にでる。
この相倉集落の高台から白山連峰がみえる。
下の写真は3月ごろに撮影した相倉集落である。

青い山に白い雪をかぶった白山は鹿やジンベエザメの斑点を連想させる姿をしていないだろうか。
④に書いた「トガノの鹿」では、雄鹿は全身に霜が振る夢を見たのだったが、摂津国風土記にも似たような話があり、こちらのほうは雄鹿は全身に雪が降ってススキが生える夢を見たとある。
ススキは矢、雪は塩で、雄鹿は矢で射られて殺され、塩づけにされることを暗示する夢であると、雌鹿に占われている。
雪も霜と同様、謀反人を塩づけにするための塩をあらわしているのだ。
白山は地上に現れた巨大なジンベエザメである、そしてそれは海上皇子の化身である。
そんな風に人々は考えたのではないだろうか。
↓ こちらはやはり相倉集落を5月ごろに撮影したものである。
雪深い土地で5月でも雪が残っているが、遠くに見える白山の雪は、3月の写真に比べるとかなり溶けている。

夏になると白山の雪はほとんどとけて青い山になるのだろう。
青は黒といってもいいと思う。
こうして白い山は黒い山へと変わっていく。そしてまた黒い山から白い山へ。
その様子はまさしく、陰(黒)が極まると陽(白)に転じ、陽(白)が極まると陰(黒)に転じるという陰陽の考え方をあらわしているかのようである。

https://commons.wikimedia.org/wiki/File%3AYin_yang.svg
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/17/Yin_yang.svg よりお借りしました。
作者 Gregory Maxwell [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由で
勝尾寺に伝わる白髪が黒髪になった旗本菅沼隠越中守の娘とは、白山そのものなのではないだろうか。
陰陽 黒と白⑳最終回 『まとめ と 神の性別を変える呪術』 へつづく~
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