陰陽 黒と白⑦ 足島大神はタラシ王朝の王で、生島大神はオキナガタラシヒメ(神功皇后)? よりつづく~
①「土用の丑」とは何か?陰陽五行説では世の中全てのものは、木火土金水の5つの組み合わせで成り立つと考える。
季節では、春=木、夏=火、秋=金、冬=水と考えられていた。
季節は4つなので、木火土金水のうち土が余る。。
土は季節の交代をスムーズにするものと考えられ、各季節の最後の18~19日間を『土用』として均等に割り振られた。
本来、土用は夏だけではなく、すべての季節にあるのである。
陰陽五行説には『相生説』と『相克説』がある。
『相生説』とは、五行が対立することなく、木火土金水の順で、五元素が順送りに相手を生じていくという説である。
『木生火』・・・・・・木は摩擦により火気を生ずる。
『火生土』・・・・・・火は燃焼して灰(土)を生ずる。
『土生金』・・・・・・土は金属を埋蔵している。
『金生水』・・・・・・金属は表面に水気を生ずる。
『水生木』・・・・・・水は植物(木)を育てる。
『相剋説』は五行同士が相互に反発し、木火土金水の順で、五元素が順送りに相手を剋していくとする説をいう。
『木剋土』・・・・・・木は土中の栄養を奪う。
『土剋水』・・・・・・土は水の流れをせきとめる。
『水剋火』・・・・・・水は火を消す。
『火剋金』・・・・・・金属は火に溶ける。
『金剋木』・・・・・・金(斧など)は木を切り倒す。
『土用の丑』の習慣については、諸説あるが『水剋火』、すなわち夏の火性を冬の水性で緩和しようとするのが『土用の丑』の習慣だと考えてまず間違いないと思う。
②冬の食べ物を食べることは、夏の火性を冬の水性で緩和すること?『土用の丑』には鰻を食べる習慣がある。
ところが、丑年生まれと寅年生まれは鰻を食べてはいけないなどと言われる。
その理由は丑寅年生まれの守り本尊は虚空蔵菩薩で、その虚空蔵菩薩の神使が鰻だからというのだ。
えーーーっ、ちょっとまってくださいよ!私だって鰻食べたいよ!(寅年生まれ)
本題にもどる。
夏の『土用の丑』に鰻を食べる習慣があるが、本来、鰻の旬は冬である。
そのため経営不振に陥った鰻屋に、平賀源内が『本日、土用の丑』と書いた紙を店先に貼るようにアドバイスしたというエピソードは有名だ。
その結果、鰻は飛ぶように売れたという。
冬の食べ物である鰻を夏に食べるということは、夏の火性を冬の水性で緩和することだといえる。
平賀源内のキャッチコピーは当時の人々に陰陽五行説の『水剋火(水=冬は火=夏を消す)』を思い起こさせる効果があったということだと思う。
③ 御手洗祭はみたらし星の祭?土用の丑の行事として、下鴨神社の『御手洗祭』がある。
土用の丑のころ、下鴨神社を参拝してみると、神前には『素麺』とともに『みたらし団子』が供えられていた。
また境内の出店でも『みたらし団子』が売られていた。
どうやらこの『みたらし団子』と『御手洗(みたらし)祭』には関係があるらしい。
下鴨神社のみたらし団子について、次のようないわれがある。
後醍醐天皇が、下鴨神社の境内の御手洗池で水をすくうと、泡が1つ浮き上がった。
その後、しばらくして4つの泡が浮き上がってきた。
みたらし団子はこの水玉を模したもので、 一番上の団子は人間の頭を、他の四つは体を現しているといわれる。しかし、私は上記のみたらし団子のいわれよりも、オリオン座の三ツ星がかつての日本では『みたらし星』と呼ばれていたことが気になる。
オリオン座の三つ星は三つ星の傍に小さい星があって、本当は三つ星ではなく四つ星である。
みたらし団子の伝説の、あとで浮き上がってきた四つの泡はみたらし星をあらわしているのではないだろうか。
そしてこれが肝心なのだが、オリオン座は冬の星座で、陰陽五行説では水性になる。
冬の星座であるオリオン座の三つ星を模したみたらし団子を食べることで、夏の火性を緩和しようとするのが『みたらし祭』の意味なのではないだろうか。
素麺は天の川ではないだろうか。天の川というと夏のイメージがあるが、冬にも天の川はみることができる。
④住吉明神はみたらし星の神?大阪の住吉大社は現在では海の神として信仰されているがもともとは『みたらし星』の神だったのではないかとする説がある。
みたらし星(オリオン座の三ツ星)は、真東からのぼって真西に沈むので航海の指標とされていた。
海の神とはみたらし星の二次的な神格なのではないかと思う。
住吉大社住吉大社の境内には同じ大きさ、同じ作りの社が四つあり、そのいずれもが本宮とされている。
奥から、
底筒男命 (そこつつのをのみこと)を祀る第一本宮、
中筒男命 (なかつつのをのみこと)を祀る第二本宮、
表筒男命 (うわつつのをのみこと)を祀る第三本宮、
第三本宮の東が神功皇后=息長足姫命 (おきながたらしひめのみこと)を祀る第四本宮
となっている。
その社の配置がみたらし星の配置に似ているというのだ。
⑮みたらし祭は三足祭?住吉大社の第四本宮は14代仲哀天皇の皇后・神功皇后=息長足姫命 (おきながたらしひめのみこと)をお祀りしている。
もしかして、第一本宮、第二本宮、第三本宮に祀られている底筒男命・中筒男命 ・表筒男命とは、12代景行天皇(おお
たらしひこおしろわけのすめらみこと)、13代成務天皇(わか
たらしひこのみこと)、仲哀天皇(
たらしなかつひこのすめらみこと)のことなのではないだろうか?(どの天皇がどの神に対応するのかはわからないが)
景行天皇・成務天皇・仲哀天皇は和風諡号に「たらし」とあるところから、「タラシ王朝」などともよばれる。
そういえば御手洗祭は、御手洗というが、水に足をつけて身を浄めるではないか。
足を水につけるのは、足と書いて『たらし』とよみ、『みたらし星』と音が通じるからではないだろうか。。
御手洗祭と書くが、本当は御足祭または三足祭なのではないだろうか。
実際、下鴨神社の御手洗祭では手ではなく足を御手洗池につけることで禊をするのだ。
また、京都の御室戸寺はもとは御室戸寺と称していたのを、光仁、花山、白河三帝の離宮になったために【御】の字を【三】に替えたと伝わる。
御手洗祭が三足祭だったのではないかと考えるのは、そのためである。
⑦底筒男命・中筒男命 ・表筒男命は禊の神私は底筒男命・中筒男命 ・表筒男命はみたらし星の神で、タラシ王朝の神だと思うが
底筒男命・中筒男命 ・表筒男命とは黄泉の国から戻ったイザナギが禊をしたときに生まれた神である。
底筒男命・中筒男命 ・表筒男命は禊の神でもあるのだ。
そして下鴨神社のみたらし祭は、参拝者が境内の御手洗池に足をつけて禊をするという行事である。
下鴨神社で禊の行事「みたらし祭」が行われているのは、下鴨神社の神が底筒男命・中筒男命 ・表筒男命、もしくはタラシ王朝の天皇と関係がある神だからということはないだろうか。
⑧三本脚の八咫烏はタラシ王朝の三人の天皇をあらわしている?下鴨神社の御祭神・賀茂健角身命の神使は三本脚の八咫烏だとされる。
八咫烏は日向からやってきた神武天皇を熊野から大和に道案内した烏である。
神武の先祖に天照大神の孫・ニニギがいる。
ニニギは天照大神に命じられて葦原中国に天下ったが、このとき猿田彦という神に道案内されている。
ニニギ(天照大神の孫)・・・・・猿田彦に道案内される
神武(天照大神の5代目の孫)・・・八咫烏に道案内される。
ふたつの話はとてもよく似ている。ニニギの話は神武の話を神代に置き換えて創作されたものではないかと思ったりもする。
ニニギを道案内した猿田彦は「高天原から葦原中国までを照らす神」と記されている。
これにぴったりな神名を持つ神がいる。
天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてる くにてる ひこ あめのほあかり くしたま にぎはやひ の みこと)である。
天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊というのは先代旧事本紀による記述で、記紀では単にニギハヤヒとなっている。
ニギハヤヒは物部氏の祖神で、神武が東征して畿内入りするより早く、畿内に天下っていたとされる。
そのため、神武以前、畿内には物部王朝があったとする説があって、私はこれを支持している。
そして、猿田彦は「高天原から葦原中国までを照らす神」と記述があるが
高天原とは天、芦原中国とは国なので、天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊と同一神ではないかと思う。
そしてすでにのべたように、どちらも天孫を道案内しているので、猿田彦と八咫烏は同一神であるように思える。
ということは、八咫烏は物部氏の神だということになる。
八咫烏を神使とする賀茂健角身命を祀る下鴨神社は賀茂氏の神社だが、賀茂氏と物部氏は関係があるのではないだろうか。
八咫烏が三本脚なのは、三人のタラシ王朝の天皇、12代景行天皇(おお
たらしひこおしろわけのすめらみこと)、13代成務天皇(わか
たらしひこのみこと)、仲哀天皇(
たらしなかつひこのすめらみこと)の象徴だからだったりして?
つまり、賀茂健角身命=景行・成務・仲哀=八咫烏=底筒男命・中筒男命 ・表筒男命 (禊の神)、ということで、
下鴨神社で御手洗祭を行っているのは、賀茂健角身命=景行・成務・仲哀=八咫烏=底筒男命・中筒男命 ・表筒男命の慰霊という目的があるのかもしれない。
陰陽 黒と白⑨ 白鳥は生霊、黒鳥(八咫烏)は死霊? へつづく~
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[2018/09/05 13:34]
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