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陰陽 黒と白⑫ 小野小町は白い神 

祇園祭 黒主山 御神体

祇園祭 黒主山 ご神体(大友黒主)

陰陽 黒と白⑪大友家持、白い神から黒い神に転じる?  よりつづきます~

①大友黒主は黒い神、小野小町は白い神。

「六歌仙の一、大友黒主は大伴家持ではないか」
「大伴家持主は白い神から黒い神に転じて大友黒主となったのではないか」
前回私はそう書いた。
陰陽 黒と白⑪大友家持、白い神から黒い神に転じる? 

そして六歌仙の中には白い神もいる。
小野小町だ。

小野小町像 
髄心院 小野小町像

②百引く1は白

なぜ小野小町は白い神だといえるのか。

それは、紀貫之が書いたと言われる伊勢物語にこんな話があるからだ。

昔、色気づいた女が三人の子に「思いやりのある男にお会いしたい」と話した。
三男は「よい男が現れるでしょう」と夢判断をし、在五中将(在原業平)に頼み込んだ。
在五中将は女をかわいそうに思ってやってきて寝た。
しかしその後、在五中将は女のもとへやってこなくなり、女は男の家に行って中を伺った。
男は女をちらっとみて歌を詠んだ。
ももとせに ひととせ足らぬ つくも髪 我を恋ふらし おもかげに見ゆ
(百年に1年たりない九十九歳の白髪の女が、私を恋い慕っているのが 面影に見える。)

その後、男がでかけようとしたので、女は家に戻って横になった。
在五中将が女の家の前で中を伺うと、女は次のように歌を詠んだ。

さむしろに 衣かたしき こよひもや こひしき人に あはでのみねむ
(狭いむしろに衣を一枚だけ敷き、今宵も恋しい人に会えずに寝るのだろうか。)

在五中将は女がかわいそうになり、その夜は女と寝た。

伊勢物語には単に「色気づいた女」とあるが、伊勢物語の注釈書『知顕集』には次のように記されている。
「このをんなは、をののこまちなり。小野小町とふ、こまちには子ありともきかぬに、三人ありといへり。いかなる人の子をうみけるぞや、おぼつかなし。」
(この女は小野小町である。小野小町に子供があったとは聞いたことがないが、三人の子がいるとしている。どんな人の子を産んだのかはっきりしない。)

業平が詠んだ歌に注目してほしい。

ももとせに ひととせ足らぬ つくも髪 我を恋ふらし おもかげに見ゆ
(百年に1年たりない九十九歳の白髪の女が、私を恋い慕っているのが 面影に見える。)

つくも髪は九十九髪と記し、白髪のことである。
そのココロは、「100-1=99」であり、「百引く一は白」だからである。うまい、座布団2枚!



白峯神宮 小町踊

白峯神宮 小町踊り

③小野小町は男だった?

私は小野小町とは男だと考えている。

こちら ↓ のシリーズにその理由を詳しく書いたのだが、簡単にまとめておこう。
http://arhrnrhr.blog.fc2.com/blog-category-15.html

①古今和歌集には男が女の身になって詠んだ歌がたくさんある。

②六歌仙とは古今和歌集仮名序で名前を挙げられた6人の歌人のことを言うが、古今和歌集仮名序は紀貫之が書いたと言われている。
この紀貫之は「土佐日記」で「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり」と自分は男であるが、女であると偽って日記を書くような一筋縄ではいかない人物だった。

③古今和歌集仮名序には次のようにある。
「小野小町は いにしへの衣通姫の流なり あはれなるやうにて強からず いはばよき女の悩めるところあるに似たり
強からぬは 女の歌なればなるべし」
やけに小町が女であることを強調しすぎてはいないだろうか。

④小野小町は穴がない体だったという伝説がある。
穴がない体とは男であるということではないのか。

⑤六歌仙とは歌のうまい歌人というのは現代人の誤解だと思う。
高田祟史さんは六歌仙は全員藤原氏と敵対していた人物であると指摘し「六歌仙は怨霊である」とおっしゃっている。

⑥六歌仙のうち、遍照・在原業平は惟喬親王の歌会のメンバーである。
また惟喬親王の歌会には紀有常(惟喬親王の叔父)も参加しているが、六歌仙の一・喜撰法師は紀有常だとする説がある。

惟喬親王は文徳天皇の第一皇子母親は紀有常の妹の紀静子だった。
文徳天皇より立太子が望まれていたが、世継ぎ争いに敗れ、藤原良房の娘・明子を母親にもつ惟仁親王(のちの清和天皇)が立太子している。

遍照・在原業平・紀有常らは歌会と称して惟喬親王を担ぎ上げてのクーデターを計画していたのではないかといわれている。

⑦惟喬親王は小野宮という広大な邸宅に住み、自身も小野宮と呼ばれていた。
小野小町とは小野宮=惟喬親王のことではないのか?

⑧三国町は一般には三国氏出身の女性だと考えられているが、『古今和歌集目録』は三国町を紀名虎の娘で仁明天皇の更衣(紀種子・・・紀静子の姉)としている。
また三条町は惟喬親王の母親・紀静子のことである。どうやら紀氏の女性を「町」と呼んでいるようである。
惟喬親王は三国町の甥であり、三条町の息子なので、三国町・三条町とは一代世代が若くなる。
そのため惟喬親王が女の身になって詠んだ歌の作者を小野小町としたのではないか。

⑨小野小町の歌「花のいろは うつりにけりな いたづらに わがみよにふる ながめせしまに」は
「花の色は 移りにけりな いたづらに わが御代に下(ふ)る 長雨せしまに」ではないか。
「御代」とは「天皇の治世」で「わが御代」とは「私が天皇となって治める世の中」となる。
「長雨」は「長天」にかかり、「下長天」で漢字を入れ替えると「長天下(長い天下)」となる。
「わが御代が長い天下となるだろう」と堂々と歌い上げることができる人物として、惟喬親王はふさわしい。

髄心院 薬医門 桜2

小野小町の邸宅跡とつたわる髄心院

惟喬親王には兼覧王という男子と三条町(叔母と同じ名前だが?)がいたらしいが、兼覧王は仁明天皇の第六皇子・国康親王の子ともされ、出自がはっきりしない。
ただ紀貫之は兼覧王に面会して感激したということが古今和歌集に記されている。
いうまでもなく紀貫之は紀氏の出身であり、紀氏の血をひく惟喬親王のことは敬愛していたことと思われる。
なので彼が、兼覧王の面会に感激したというのは、兼覧王が惟喬親王の子だからではないかと思ったりもする。

惟喬親王像 

惟喬親王像 木地師の里


また、小町が惟喬親王だとすれば、業平が惟喬親王と寝たというのは、男色である。
しかし日本において男色はふつうのこと、というより衆道と呼ばれるたしなみであった。
戦国武将の男色は有名だが、平安時代の藤原頼長の日記「台記」には頼長が稚児・舞人・武士・貴族たちとの男色が記されている。

大友家持=大友黒主は、はじめは白い神だったが、のちに黒い神に転じたと思われる。
ところが、小野小町には黒のイメージはなく、ずっと白い神であったようである。
両者の違いはどこにあるのか。

次回はそれを考えてみようと思う。


髄心院 小野小町

ライトペインティングのジミー西村さんと織物会社が共同制作したタペストリー(髄心院)


陰陽 黒と白 ⑬『惟喬親王、入定して紀仙法師となる?』 へつづく~
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陰陽 黒と白① 獏は白黒モノトーン  


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[2018/10/06 22:27] 陰陽 黒と白 | トラックバック(-) | コメント(-)