男女双体の神 (海石榴市観音堂)
海石榴市観音付近
古代、海柘榴市観音堂のあたりは多くの道が交わる交通の要所で、『海石榴市(つばいち)』と呼ばれる市がたっていた。
たいそう賑やかな場所だったのだろう。
しかし今は民家と田んぼと畑があるばかりで、境内には小さなコンクリート造りのお堂が建っているだけである。
境内の入り口付近には万葉歌碑があり、2首の万葉歌が刻まれていた。
紫は ほのさすものぞ 海石榴市の 八十のちまたに 逢へる子や誰
(媒染剤の灰をいれると布がぱっと紫色に染まりまるように、私を見て顔を赤らめた海柘榴市の辻で出会った貴女。貴女の名前を教えていただけませんか。)
たらちねの 母が呼ぶ名を 申さねど 道行き人を 誰と知りてか
(母が呼ぶ私の名をお教えしたいけれども、通りすがりの人が誰かは分からないのでお教えできません。)
古代、海石榴市には歌垣という習慣があった。
歌垣とは歌をかけあいながら男女が交わるという、古代のフリーセックスの習慣のことである。
万葉歌には『八十のちまたに』とあるが、八衢神という神さまがいる。
八衢神は道祖神と習合されており、八衢神と道祖神は同一神だと考えてもいい。
昔から道の分岐点には道の守護神として道祖神が祀られる習慣があった。
道祖神は陰陽物を象ったり、手をつなぎあう男女双体の神像として作られた。
一般的に男の神様はサルタヒコ、女の神様はアメノウズメだと言われている。
道祖神は『別れ道』を司る神なので、男女の出会いや別れをも司る神だと考えられたのだろう。
なぜサルタヒコとアメノウズメが道祖神なのだろうか。
それは記紀神話の天孫降臨のシーンによるものだろう。
天孫ニニギの葦原中国降臨の際、天上の道が八衢に分かれている場所に立ち、高天原から葦原中国までを照らす神があった。
アメノウズメが名を尋ねると『私は国津神で猿田彦神と申します。ニニギを葦原中国まで道案内しようと思い参りました』と答えた。
サルタヒコは高天原から芦原中国までを照らす神とあるが、これにぴったりな神名を持つ神様がいる。
天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてる くにてる ひこ あめのほあかり くしたま にぎはやひ の みこと)、である。
天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊という神名は先代旧事本紀の記述で、記紀では単にニギハヤヒとなっている。
初代神武天皇はもともとは日向に住んでいたが、あまりに国の端なので東征の旅にでた。
その際、シオツチの翁が「東にはニギハヤヒがすでに天の磐船を操って天下っている。」と発言している。
ニギハヤヒは物部氏の祖神なので、神武以前、畿内には物部王朝があったとする説がある。
記紀には天照大神は女神であると明記されているが、天照大神は男神であるという伝承は各地に伝わってる。
天岩戸に籠もったアマテラスはアメノウズメのストリップに興味を持って外に出てきているが、女性のストリップを喜ぶのは男だ、よってアマテラスは男神だという説もある。
そこで、本当の天照大神とは天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊=ニギハヤヒではないかとも言われている。
話の続き。
こうしてニニギは猿田彦神に道案内されて葦原中国の日向の宮へと天下った。
その後、ニニギは天鈿女に『猿田彦神をもともと彼が住んでいた伊勢へと送り届け、猿田彦神の名前を伝えて仕え祭れ』と命じた。
ここから天鈿女は猿女君と呼ばれるようになった。
のちに猿田彦は伊勢の阿邪訶(あざか。現松阪市))の海で漁をしていた時、比良夫貝(ひらふがい)に手を挟まれて溺れ死んだ。(古事記)
私はこのサルタヒコ&アメノウズメの話は、仏教の神・大聖歓喜天の伝説に似ていると思う。、
インドのマラケラレツ王は大根と牛肉が大好物であった。
牛を食べつくすと死人の肉を食べるようになり、死人の肉を食べつくすと生きた人間を食べるようになった。
群臣や人民は王に反旗を翻した。
すると王は鬼王ビナヤキャとなって飛び去ってしまった。
その後国中に不幸なできごとが蔓延し、それらはビナヤキャの祟りであるとされた。
そこで十一面観音はビナヤキャの女神に姿を変え、ビナヤキャの前に現われた。
ビナヤキャはビナヤキャ女神に一目ぼれし、『自分のものになれ』と命令した。
女神は『仏法を守護することを誓うならおまえのものになろう』と言い、ビナヤキャは仏法守護を誓った。
相手の足を踏みつけているほうが、十一面観音の化身ビナヤキャ女紳である。(図→☆)
また、中国には伏羲と女媧という男女双体の神様もいる。
人頭蛇体で、伏羲の右手と女媧の左手が繋がってる。(図→☆)
私は道祖神と大聖歓喜天、伏羲&女媧は習合されているのではないかと思う。
ニニギは猿田彦神に道案内されて葦原中国へ天下ったのち、天鈿女に『猿田彦神をもともと彼が住んでいた伊勢へと送り、彼の名前を伝えて仕え祭れ』と命じている。
『彼の名前を伝えて仕え祭れ』というのは、ニニギは天鈿女に『猿田彦と結婚せよ』と命じたということだろう。
次にニニギは天鈿女に『猿田彦神に仕え祭れ』と命じているが『仕える』というのは『性的に奉仕する』ということだと思う。
天鈿女は天照大神が天岩戸に隠れたときにはストリップをして神々を笑わせている。
また猿田彦神に出会ったときにも胸を開き、帯をずらして誘惑している。
アメノウズメはセックスの女神なのである。
そして『祭る』というのは『神として崇める』ということだが、かつて怨霊と神は同義語であったといわれる。
怨霊とは政治的陰謀によって不幸な死を迎えた人のことで、天災や疫病の流行は怨霊の仕業でひきおこされると考えられていた。
そこで怨霊が祟らないように神として祀ったのである。
怨霊を慰霊したものを御霊という。
ということは、ニギハヤヒ=猿田彦は怨霊だったということである。
神武以前に物部王朝があったのだとしたら、物部氏の祖神であるニギハヤヒは怨霊だといえるだろう。
物部王国は神武によって滅ぼされたと考えられるからだ。
サルタヒコは伊勢の阿邪訶(あざか。現松阪市)の海で漁をしていた時、比良夫貝に手を挟まれて溺れ死んでいる。
貝は女性器を比喩したものだろう。
つまり、サルタヒコはアメノウズメの女性器に手を挟まれて抜けなくなり、愛欲に溺れて死んだのだ。
サルタヒコとアメノウズメは手を繋ぎあっているのではなく、アメノウズメによってサルタヒコの手がおさえつけられ、身動きできなくなった状態を表しているのだと思う。
大聖歓喜天は女神が男神の足を踏みつけているが、中国の伏羲&女媧や、日本の道祖神は女神が男神の手を握って押さえつけているのだろう。
日本の道祖神の中には、大聖歓喜天のようにアメノウズメがサルタヒコの足を踏みつけているものや、和合した姿のものもある。
足を踏みつけるとか、手を押さえつけるというのが、男女和合を表すサインであるということは言うまでもない。
そしてサルタヒコは伊勢でなくなっているが、伊勢には天照大神を祀る伊勢神宮がある。
サルタヒコの故郷とは伊勢神宮であり、サルタヒコが本当の天照大神だということなのだろう。
いや、サルタヒコとアメノウズメの男女双体の神が天照大神だと言ったほうがいいだろうか。
それで天照大神は女神として登場したり、男神として登場したりするのではないだろうか。
天皇家は天照大神の子孫だとされているが、本当の天照大神は猿田彦=ニギハヤヒと天鈿女の男女双体の神なので、物部氏は天照大神の子孫だということになるだろう。
天皇家の始祖は物部王朝の入り婿になることで、政権を手中にしたのではないだろうか。
そうであれば天皇家が天照大神の子孫だと称しても嘘ではない。
記紀神話には入り婿になる話がやたら多い。
神武の先祖であるニニギも、山幸彦も入り婿になっている。
前回の記事「紀氏の祖神・ソサノオ」 で、スサノオの八俣の大蛇退治伝説について紹介した。
八俣の大蛇を退治したスサノオはクシナダヒメと結婚して根之堅洲国へ行くが、根之堅洲国とは死後の国のことである。
結婚した二人がなぜ死後の国へ行ったのか。
それは、男神=荒霊、女神=和霊で、男女が和合するということは、荒霊を鎮める呪術であったからだと私は述べたが、今日の記事でそのことがご理解いただけたことと思う。
コンクリート造りの海石榴市観音堂の格子扉から中を覗くと、聖観音と十一面観音の二体の石像がお祭りされていた。
聖観音はビナヤキャまたはサルタヒコ、十一面観音はビナヤキャ女神(ビナヤキャ女神は十一面観音の化身)またはアメノウズメを表しているのではないだろうか。
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