貴船は紀船? (貴船神社 貴船祭)
貴船川には既に夏の風物詩である川床が出され、その下を清流が轟音をたてて流れていた。
「ほいっと、ほいっと」という掛け声が轟音をかき消したかと思うと、御神輿を担いだ氏子さんたちが現れた。
お神輿は貴船川を遡って奥宮へと向かっていった。
奥宮は鬱蒼とした木立に囲まれて、昼間だというのに薄暗い。
神殿の傍らには船形石があり、子供たちがその周囲を「おせんどんどん」と言いながら回っていた。
お千度参りである。
船形石には次のような伝説がある。
「反正天皇の時代、黄色い船にのり、黄色い服を着た神が難波の津に降りたち、次のように言った。
『私は皇母玉依姫(神武天皇の母)である。私の船が止まるところに祠を作るように』 と。
船は蜑女崎(尼崎)、菟道川、鴨川を経て鞍馬川と貴船川の合流点に達し、貴船川を遡り、霊境吹井のある場所に鎮座した。
これが黄船の宮となったと伝わり、奥の院にある船形石はその船が人目を忌んで石に包まれたものである。 」
玉依姫という神は記紀神話にも登場する。
次のような物語である。
兄・海幸彦(ホデリ)の釣り針をなくした弟の山幸彦(ホオリ)は釣り針を探して龍宮城にやってきた。
ホオリは海神の娘・豊玉姫と恋に落ちて結婚した。
しかし3年後、なくした釣り針は赤鯛の喉にひっかかっているのが見つかり、ホオリは元の世界へと戻っていった。
ホオリの子を身籠った豊玉姫はホオリを追ってホオリのいる世界へとやってきた。
そして
『自分が出産する様子を決して見ないように』
とホオリに約束させるが、ホオリは我慢できなくなって覗き見てしまう。
産屋の中にいたのは、大きなワニであった。豊玉姫はワニであったのだ。
豊玉姫は自分の本当の姿を見られたことを恥じて海の世界に戻ってしまった。
そして代わりに妹の玉依姫を遣わし、御子(ウガヤフキアエズ)を養育させた。
玉依姫は甥のウガヤフキアエズを養育し、後にウガヤフキアエズの妻となり、イツセ、イナヒ、ミケヌ、カムヤマトイワレビコを産んだ。
このカムヤマトイワレビコが初代神武天皇である。
伝説では海神(スサノオ)の娘である玉依姫は黄色い船に乗って現れたとあるが、
黄色い船=黄船=貴船、という謎々になっているのだろう。
そして小説家の高田祟史さんによれば、貴船とは紀船で紀氏が祭祀する神社であるという。
貴船=黄船=紀船
と、謎々にはまだ奥があったのだ。
兵庫県尼崎市に長洲貴布禰神社があり、次のように言い伝わっている。
平安京遷都の際、調度の運搬を命ぜられた紀伊の紀氏が「任務が無事遂行できますように」と自身の守り神に祈願したところ、事がうまく運び、そのお礼に吉備真備に謀ってこの社を建てたと。
貴船神社は貴布禰神社と記すこともある。
また貴船神社の伝説によれば、玉依船が乗った船は蜑女崎(尼崎)→菟道川→鴨川→鞍馬川と貴船川の合流点→貴船川→霊境吹井と移動しているが、この中に蜑女崎(尼崎)がある。
紀氏は平安遷都後に長洲貴布禰神社を創祀したのだが、貴船神社の玉依姫の伝説は、反正天皇代の話とされているが、実際には平安遷都後で、尼崎に 長洲貴布禰神社があったところから、このような伝説が作られたのかもしれない。
とすれば、やはり高田祟史さんがおっしゃるように、貴船神社は紀氏が祭祀した神社なのだろう。
紀氏の本拠地は紀州で、豊富な森林資源を生かして優れた造船技術を持っていたらしい。
尼崎市の長洲貴布禰神社の言い伝えに「平安京遷都の際、調度の運搬を命ぜられた」とあるが、調度は船に乗せて河を下ったのだろう。
貴船神社は長年、下鴨神社の摂社とされてきた。
貴船神社はこれを不服として訴え続けてきたが、明治になって独立した神社と認められている。
下鴨神社は鴨氏の氏寺であるので、紀氏の氏寺である貴船神社は下鴨神社の摂社とされることが耐え難かったのではないだろうか。
貴船神社・・・京都市左京区鞍馬貴船町180
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