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太陽と月が結婚すると星が生まれる? 

薬師寺 日の出 
薬師寺 日の出(太陽)

薬師寺 月
薬師寺 月

薬師寺の金堂にブロンズの薬師三尊像が安置されている。(写真→
薬師三尊像とは中央に薬師如来、薬師如来の左手(向かって右)に日光菩薩、右手(向かって左)に月光菩薩を配置するものである。
今日はこの日光菩薩、月光菩薩にちなんで、太陽と月にまつわる中国の伝説についてお話したいと思う。

中国・道教の神に太陽星君(太陽公)・太陰星君(または嫦娥)がある。
太陽星君は太陽を神格化した神、太陰星君は月を神格化した神とされる。

太陰星君は西王母にもらった不老不死の薬を飲んで月まで飛んで行ったという伝説がある。
しかし太陽星君についての伝説はほとんど残されていない。

私は太陽星君、大陰星君のほか、伏義と女媧(図→)も太陽と月の神ではないかと思う。

☆はウィキペディアに掲載されている伏義&女媧の絵だが、人頭胴蛇の姿で表されている。
伏義が手に持っているのは曲尺、女媧が手に持っているのはコンパスである。
中国では天円地方といって、天は丸で地は四角だと考えられていた。
女媧が手に持っているコンパスは丸で天を、伏義が手に持っている曲尺は四角で地をあらわすと考えられている。
すると女媧は天の神、伏義は地の神なのかと思えるが、そうではない。
 陰陽では天は陽で地は陰、また男が陽で女が陰である。
なので伏義が天の神、女媧が地の神だと考えられる。(参照 → ☆3

手に持つ道具が自身の神格を表しているとは限らない。
女媧が手に持つコンパスは伏義、伏義が手に持つ曲尺は女媧をあらわし、手に持つことでその道具が表すものと交わっていることを表現しているのではないだろうか。
つまり女媧はコンパスを手に持つことで伏義と交わっていることを、伏義は曲尺を手に持つことで女媧と交わっていることを表しているのではないかということである。

☆の図をみると二神の周囲に星宿図のようなものが描かれ、上中央には菊の紋のようなものが、下中央にはクロワッサンのようなものが描かれている。
菊の紋のように見えるのは太陽、クロワッサンのように見えるものは月ではないだろうか。

☆2
↑ こちらの五盔墓4号墳の壁画に描かれた絵では、伏義が持ち上げている円の中には八咫烏が、女媧が持ち上げている円の中にはヒキガエルが描かれている。

日本でも信仰されている八咫烏は太陽の中に、陰気の動物であるヒキガエルまたはウサギは月に住むと考えられていた。
ここから、伏義は太陽の神、女媧は月の神でもあると考えられるのではないだろうか。
伏義&女媧は太陽星君&太陰星君はと同体と考えてもいいかもしれない。

いや、もっと広く伏義は陽の神、女媧は陰の神だというべきだろうか。

伏義と女媧には次のような伝説がある。

二人の兄妹が雷神を助けたところ、雷神がお守りをくれた。
このお守りを土に埋めると芽がでてみるみる内に大きくなって瓢箪の実がなった。
あるとき大洪水がおこって地上の人類はみな死んだが、兄妹は瓢箪の中に逃れていたので助かった。
そこで兄は瓢箪を意味する「伏羲」と名乗った。
その後、伏羲が妹の女媧にプロポーズしたところ、女媧は「私を捕まえることができたら結婚しましょう」といった。
女媧は木の周囲を回って逃げた。
伏羲はあとをおったがなかなか女媧を捕まえることができなかった。
そこで伏義はいったん止まり、逆に廻って妹を捕まえた。
こうして伏義と女媧は結婚した。
やがて女媧は出産したが、それは肉塊だった。
その肉塊を切り刻んだところ風が吹いて肉が飛び散って人間となった。


「伏羲はあとをおったがなかなか女媧を捕まえることができなかった。」という点が興味深い。
伏義は陽、女媧は陰の神だと考えらえるが、伏義は太陽神、女媧は月神であるとも考えられる。
伏義=太陽が女媧=月をなかなか捕まえられないのは当然である。

太陽が月を捕まえるというのは、太陽と月が重なること、日食のことだろう。
古代中国では紀元前4世紀の天文学者・石申が月と太陽の相対位置から日食を予測する方法を説いている。
日食とは太陽と月が重なっておきる現象であるということは古くから知られていたのだ。

伏義はいったん止まり、逆に廻って妹を捕まえたとある。
しかし太陽は止まることはないし、逆に廻ることはない。

私はこの表現は目の錯覚を表現したものだと思う。
太陽や月は東から西に進むが、日食の影は西から東に進むので、太陽が逆に廻ったように錯覚したのではないだろうか。

2012年の金環日食では、かなり暗くはなったが、夜のように真っ暗にはならなかった。
しかし皆既日食では日没後20分から30分くらいたった程度に暗くなり、明るい星であれば観測されるという。

日食 
日食

「やがて女媧は出産した」とあるが、女媧が生んだものとは、太陽と月が重なって起きる現象=日食がもたらすものことである。
日食の結果、闇が生じて星が見える。

「それは肉塊だった。 その肉塊を切り刻んだところ風が吹いて肉が飛び散って人間となった。」
とあるが夜空にきらめく無数の星は、切り刻んだものが飛び散ったかのように見える。

私は死んだ人の霊は星になると考えられていたのではないかと思う。
ベルセウス座流星群のピークがお盆と重なっているのは偶然ではないだろう。
たくさんの流星が流れる様子をみて、先祖の霊が帰ってくると、古の人々は考えたのではないだろうか。

つまり「肉塊を切り刻んだところ風が吹いて肉が飛び散って人間となった。」というのは、人間は人間でも死んだ人間の霊=星のことなのではないだろうか。

そこでもう一度伏義と女媧の絵を見てみよう。(図→
伏義(太陽)と女媧(月)が蛇身の下半身を絡ませ合い、その周囲にはたくさんの星が描かれている。
これは日食のようすを描いた絵だと思う。

伏義=太陽星君・・・陽の神(天・太陽・八咫烏・男性等)
女媧=太陰星君・・・陰の神(大地・月・ヒキガエル・ウサギ・女性等)

伏義・・・・・・・・男神・・・・・・・太陽
女媧・・・・・・・・女神・・・・・・・月
伏義&女媧・・・男女双体・・・星

薬師寺・・・ 奈良県奈良市西ノ京町457

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[2014/05/28 21:00] 奈良 | トラックバック(-) | コメント(-)