カシオペア・北斗七星・北極星の呪術⑮日振島・鳴門の渦潮・三上山に仕掛けられた壮大な呪術
カシオペア・北斗七星・北極星の呪術⑭ 走田神社 『お千度詣りの渦巻きは北極星のパワーを表す?』 よりつづく~

由岐神社 割拝殿

鞍馬七福神 福寿星神祠 (福禄寿 寿老人)
①鞍馬寺に仕掛けられたカシオペア・北斗七星・北極星の呪術
私たちは、すでに鞍馬寺境内にある由岐神社と鞍馬七福神、いのちの像がそれぞれ、カシオペア・北斗七星・北極星を表しているらしいことを見てきた。

由岐神社の祭礼である鞍馬の火祭ではチョッペンの儀が行われる。
チョッペンの儀とは二人の青年があおむけになって足をⅤ字形に開脚するというもので、二人の青年によって行われるのでW字形に見える。
それはあたかもW字形をしたカシオペア座を表しているかのように見える。
↓ すばらしい動画があったのでお借りしました。動画主さん、ありがとうございます!

これに対し、鞍馬七福神は北斗七星の配置にはなっていない。
しかし、星田妙見宮で祀られている北斗七星の神々も北斗七星の形になっていない。
どうやら北斗七星は変形した形で祀られる習慣があったようだ。

星田妙見宮 境内図 (文・禄・巨・貧・破・武・廉とあるのが北斗七星の神だが北斗七星の形に配置されていない。)
そして由岐神社と鞍馬七福神をつなぐ位置にあるいのちの像は、須弥山に三重の輪がついたような形をしており
宇宙を回転させるパワーを持つ北極星(すべての星は北極星を中心にして回る。それはあたかも北極星に宇宙を回転させるパワーがあるかのようである。)をイメージしたもののように思われる。

②由岐明神は藤原純友?
940年10月12日、朱雀天皇は世の中が平安になることを祈って宮中で祀っていた由岐神社を鞍馬に遷宮した。
平将門の乱は940年3月25日に鎮圧されていたが、藤原純友の乱が鎮圧されたのは941年のことである。
そして藤原純友が本拠地としていた日振島はwの形をしており、由岐神社の祭礼・鞍馬の火祭で行われるチョッペンの儀に似ている。
由岐明神とは藤原純友のことではないだろうか。
朱雀天皇は藤原純友を由岐明神として祀ることで、藤原純友の乱を鎮圧しようと考えたのではないかと思うのだ。
カシオペア座のWは向かって左のⅤが向かって右のⅤよりも幅が広くなっている。
一方、日振島のWは向かって右のⅤが向かって左のⅤよりも幅が広い。
だが、星が天球に貼りついているものとして、神様が天球の上から眺めるとカシオペア座は日振島と同じように向かって右側のⅤが広い形に見えるはずである。

③鳴門の渦潮は北極星を表す?
日振島がカシオペアならば、鳴門の渦潮は北極星を表しているのではないか?

鳴門の渦潮はほとんど右回りであるという。(私が見にいったときは左巻きの渦潮もたくさん発生していたが)
すべての星は北極星を中心にして左回りに回っているが、②で述べたように、天球の上から星座を眺めると右回りになる。
日振島がカシオペア座を左右逆転したような形になっているのだから、宇宙を回転させるパワーを持つ北極星も右回りでなければいけないが
鳴門の渦潮はほとんど右回りということで、整合性がとれている。

④三上山は北斗七星になぞらえられている?
日振島がカシオペア座、鳴門の渦潮が北極星とすれば、北斗七星になぞらえられたのはどこか。
私は、琵琶湖のほとりにある三上山が北斗七星になぞらえられているのではないかと思う。

烏丸半島より三上山を望む。
三上山には俵藤太のムカデ退治伝説が残り、「ムカデ山」とも呼ばれている。

瀬田の唐橋 説明板より
俵藤太のムカデ退治伝説とは次のようなものである。
瀬田の唐橋に大蛇が横たわっており、人々は恐れて橋を渡ることができなかった。
しかし俵藤太は大蛇を踏みつけて橋を渡った。
その夜、美しい娘が藤太のもとへ訪ねてきた。
娘は琵琶湖の龍神で、藤太が踏みつけた大蛇はこの娘が姿を変えていたのだった。
娘は藤太に「三上山のムカデに苦しめられているので助けてください」と言った。
そこで藤太が三上山に行くと、山を7巻き半する大ムカデが現れた。
藤太は八幡神に祈って矢を射、それが大ムカデに命中した。
藤太はムカデ退治のお礼にと、龍神の娘から米の尽きない俵をもらった。
またのちに藤太は朝廷より平将門の乱平定を命じられましたが、龍神のおかげで将門の弱点を見破り、討ち取ることができた。。
俵藤太というのは、彼が龍神から米のつきない俵をもらったところからつけられた愛称で、本名は藤原秀郷という。
上の伝説にもあるとおり、平将門の乱を平定した人物として知られる。
すると、三上山を七巻半する大ムカデとは平将門の霊のように思える。
そして加門七海さんが、関東の平将門関連 史跡を線で結ぶと北斗七星の形になると指摘されている。
平将門は北斗七星の神だと考えられる。
三上山は北斗七星を思わせる形をしていないが、①で述べたように、どうも北斗七星は変形されることが多いようで、星田妙見宮境内の北斗七星の神々の配置も北斗七星の形をしていない。
北斗七星は北極星の周囲をまわる。
そのため、北極星の周囲を北斗七星がとりまくという形に変形されたのではないかと思ったりする。

上は星田妙見宮にあった玄武(北方守護の聖獣)を描いた旗である。
上部に描かれた7つ星は北斗七星だと思うが、変形した形で描かれている。
とすれば、亀は北極星を、蛇は北斗七星をあらわしているのではないだろうか。
俵藤太の伝説では山を七巻半しているのは蛇ではなく百足である。
もともと三上山を七巻半していたのは美しい娘に化けていた蛇であったが、のちにムカデに三上山を乗っ取られたということなのかもしれない。
あるいは、ムカデは蛇の変形バージョンであるとも考えられる。
坑道のことを隠語で百足穴などという。
鉱山でない山は蛇が巻きついた山、鉱山はムカデが巻き付いた山というふうに表現しているのかもしれない。
ただし、古の三上山が鉱山であったかどうかはわからない。
ともかく、蛇もムカデも北斗七星をあらわしているのだと思う。
カシオペア=日振島
北斗七星=三上山
北極星=鳴門の渦潮


日本には何とも壮大な呪術が仕掛けられていたのである。
なんのために?
それはもちろん藤原純友(カシオペア座)の乱、平将門(北斗七星)の乱を鎮圧するためだろうが
もしかしたら、それらの乱がおこるよりはるか以前より呪術がかけられていた可能性もある。
というのは、鳴門の渦潮はイザナギとイザナミが国生みをした場所であるとも考えられるからである。
記紀神話によるとイザナギとイザナミは天の浮橋に降り立ち、矛を海に差し入れてこおろこおろとかきまぜ矛を引き上げた際、滴った潮が固まってオノゴロ島ができたとある。
古の人々は鳴門の渦潮はイザナギとイザナミが矛でかきまぜてできた渦だと考えていたのではないか。
そして鳴門の渦潮は多くは右巻きだが、赤ちゃんは産道を右回りに回って(まれに左回りもある)生まれてくる。
鳴門の渦潮はイザナミの女陰にも喩えられているように思えるのだ。
イザナギ・イザナミの神話は奈良時代に編纂された古事記・日本書紀に描かれているので、その時代から呪術として仕掛けられていたものが、平安時代に藤原純友=カシオペア座、平将門=北斗七星におきかえられた可能性もあるだろう。
カシオペア・北斗七星・北極星の呪術⑮ 日光にもあったカシオペアと北斗七星、北極星 へつづく~
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