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隻眼のみほとけ・阿修羅 (興福寺)

興福寺 
興福寺 夕景

興福寺/奈良県奈良市登大路町48


興福寺の国宝館に有名な八部衆の像が安置されている。

興福寺の八部衆のうち、5体には動物のイメージがある。(写真はこちら→

五部浄像(ごぶじょうぞう)は像の冠をかぶっている。
沙羯羅像(さからぞう)は頭に蛇を巻いている。
乾闥婆像(けんだつばぞう)は獅子の冠をかぶっている。
迦楼羅像(かるらぞう)は頭が鳥で体が人間である。
畢婆迦羅像(ひばからぞう)はニシキヘビを神格化した神である。
緊那羅像(きんならぞう)は一本の角と三つの目を持っている。角が生えているのは動物だといえるかもしれない。
鳩槃荼像(くばんだぞう)は夜叉であり、特別、動物のイメージはないように思われる。

興福寺の八部衆の中でもっとも有名な阿修羅には動物のイメージはあるだろうか。
私は阿修羅の細長い、筋肉のついていない腕は昆虫的だと思う。(写真はこちら→
蜘蛛に似ていると思うがどうだろうか。(蜘蛛の写真→

現在の阿修羅は合掌しているが、もともとは合掌していなかったという。
阿修羅の合掌する腕の肘から下を下にむければますます蜘蛛に似ている。
蜘蛛の脚は8本で、阿修羅の腕は6本で2本足りないが、脚をたすと蜘蛛と同じ8本になる。

また阿修羅像の左目は、いったん白でキャッチライトを入れたあと、墨で塗りつぶされている。
(写真はこちら→

古事記・日本書紀・風土記などでは、朝廷にまつろわぬ民のことを土蜘蛛と呼んでいる。
身体的特徴として『背が低くて手足が長い』と記されている。
阿修羅像の像高は台座の部分を含めて153.4cmと小柄で、脚の長さはそうでもないが、腕が長いことは確かである。

阿修羅をはじめとする八部衆像はもともとは西金堂に安置されていた。
西金堂は734年に光明皇后が亡母・橘三千代のために建立したものだが、現存していない。

西金堂が建立された734年、聖武天皇と光明皇后の間に生まれた阿部内親王は16歳であり、阿修羅像は阿部内親王16歳の姿をうつした像ではないか、という説がある。

阿部内親王は女性として初めて皇太子に立てられた人物で、749年に即位して孝謙天皇となった。
758年には淳仁天皇に譲位したが、764年に重祚(再び天皇になること)し、称徳天皇となっている。

淳仁天皇から皇位を取り上げると宣言して重祚したり、藤原仲麻呂の乱を平定したりとなかなかの女傑だったようである。

『東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)』には、称徳天皇は蝦夷の安倍一族の出身であると記されている。

当時、日本の東国には蝦夷と呼ばれるまつろわぬ民が住んでおり、朝廷はたびたび蝦夷征伐の軍を送っていたが、あるとき、朝廷軍は蝦夷軍に大敗し、それによって蝦夷の安倍氏の血を引く彼女が次期天皇になると取り決められたと
東日流外三郡誌には記されている。

安倍は阿部と記されることもあり、阿部内親王という名前が気になってくる。


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05-12(Mon)21:12|奈良 |コメント(-) |トラックバック(-)

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