上の狂歌は、次のような意味だとされる。
布袋和尚が
牛に乗り唐子(子供)が牽いている絵
↓
牛の角文字は「
い」
↓
寺子屋で「
いろは」を子供たちがならっている
しかし、私はそういう意味ではないと思う。
これでは最後の「いろはにほてい」の意味がわからない。
布袋和尚 牛に乗りて 唐子のひきて 行くというのが興味深い。
牛=丑=12月、唐子=童子=丑寅(艮/八卦では童子は丑寅の符)で、平安時代大寒の日に宮中の諸門に置かれた牛と童子の像を立春(二十四節気の元旦)の前日(節分/二十四節気の大晦日)に撤去するのとまったく同じである。
また、北野天満宮の
瑞饋祭に登場する牛車も二人の童子によって惹かれており、上に記した平安時代の節分行事と同じ意味を持つものだと思われる。
北野天満宮で京都の正月にかかせない大福梅を授与したり、大晦日から新年にかけて朮詣の習慣があるのは、菅原道真が怨霊=鬼であり、鬼=丑寅の神(温羅という鬼は別名を丑寅御前といった。また鬼が出入りするとされる方角も丑寅)となり、さらに丑=12月、寅=1月なので、都市の変わり目の神に転じたのではないかということはすでに書いた通りである。
布袋和尚 牛に乗りて 唐子のひきて 行く画に 寺子ども 引きたる牛の 角文字は いろはにほてい 和尚なるかなこの狂歌の意味を、私は次のように考える。
布袋和尚が
牛に乗り唐子(子供)が牽いている絵
↓
牛の角文字は「
い」
↓
寺子屋で「
いろは」を子供たちがならっている
↓
「いろはにほへと」
↓
「いろはにほてい」
↓
牛の角文字「い」は「いろは」の最初の言葉、ほてい(布袋)は1年の始まりを連れてくる神様」
次に、布袋と双子の関係についてだが、布袋は死後に姿を見られたという話がある。
これはキリストが死後3日目に復活したというのと同じである。
しかし、実際には死んだ人が生き返るなどということはほとんどない。
布袋は双子だったと考えるのが妥当だろう。
⑥ 弥勒菩薩と牛と双子これはもしかしたら聖徳太子のところに書いたほうがよかったかもしれないが、聖徳太子を本尊とする広隆寺では「牛祭」を行っている。
広隆寺は聖徳太子から授かった仏像を祀るために秦河勝がたてたといわれ、国宝の美しい弥勒菩薩半跏思惟像がある。
私は秦河勝が聖徳太子から授かった仏像とはこの弥勒菩薩像ではないかと考えている。
また、「聖徳太子から授かった仏像をまつる」とは「聖徳太子の霊が成仏した姿である弥勒菩薩像をまつる」という意味ではないかと思う。
つまり、弥勒菩薩と聖徳太子は習合されているのではないかと思うのである。
この広隆寺において牛祭が行われている。
動画お借りしました。動画主さん、ありがとうございます。
上記動画によれば「牛に乗った摩多羅神が赤鬼青鬼の四天王を携えて」とある。
摩多羅神は弥勒菩薩や聖徳太子と同一視去れていたのではないかと思う。
そして鬼は茨木童子・酒呑童子など童子と呼ばれることが多い。
また鬼の子孫を称する京都の八瀬童子と呼ばれる人々は、大人になっても結髪しない童形であったため童子と呼ばれていたという。
動画を見ると鬼は白い髪をたらしており、結髪していない。鬼は童子である。
平安時代、宮中で行われていた節分行事や、北野天満宮の
瑞饋祭に登場する牛車をひく童子、狂歌に歌われた「布袋和尚 牛に乗りて 唐子のひきて 行く」というのと全く同じである。
また次のような伝説もある。
滋賀県大津市にある長安寺は、逢坂の関に隣接して建っていた関寺の法灯を受け継ぐ寺であった。
976年の地震で倒壊し、その後延鏡によって再建された。
このとき清水寺から寄進された牛が工事をたすけた。
この牛は釈葉仏(釈迦以前に修験した仏)の生まれ変わりで、弥勒菩薩霊場である関寺の工事を助けるためにやってきたと噂された。
弥勒菩薩は釈迦入滅後56億7000万年後にあらわれるといわれる。
釈迦と弥勒菩薩は双子なのではないか。
それで弥勒菩薩の化身とされる布袋が死後に姿を見られたなどと言われているのだろう。(布袋が生まれ変わったのではなく、双子のトリックだった。)
⑦ミトラスと牛と双子キリスト教や仏教に影響を与え、全ての宗教のルーツといえるかもしれないミトラ教。
このミトラ教は紀元1世紀から4世紀ごろ、ローマで流行していた。
ミトラ教は太陽神・ミトラスを崇拝する宗教であった。
さて、ミトラスとはどんなお姿をされているのだろうか。ウィキペディアの写真を見てみよう。
https://commons.wikimedia.org/wiki/File%3ABritishMuseumMithras.jpg
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/63/BritishMuseumMithras.jpg よりおかりしました。
作者のページを見る [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由でこの写真には「牡牛を屠るミトラス」とタイトルがついている。
私たちは今までたくさんの「牛を牽く童子」を見てきた。
大寒の日に宮中の諸門に牛と童子の像をおき、立春の前日(節分/二十四節気の大晦日)に撤去する平安時代の節分行事。
北野天満宮・
瑞饋祭に登場する「牛を牽く童子」。
布袋和尚が牛に乗り唐子(子供)が牽く絵。
広隆寺・牛祭で牛に乗る摩多羅神をひく四匹の鬼(童子)。
丑を牽く童子は、牛を牽いて去ることで牛の存在を抹消している。
牛を屠るミトラスは、牛を殺すことで牛の存在を抹消している。
「殺す」か「牽いて去る」かのちがいはあるが、どちらも牛の存在を抹消しているとは考えられないだろうか?
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%B9%E3%83%A9#/media/File:0_Relief_repr%C3%A9sentant_Mithra_-_Louvre-Lens_(2).JPGhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%88%E3%83%A9%E6%95%99#/media/File:Fiano_Romano_mithraic_relief.jpghttp://mystery-hunter.net/?p=1529上記リンク先のミトラス像やミトラ像(※インド神話ではミトラスはミトラと呼ばれる。)はキリストの磔刑を描いた絵や、聖徳太子像のように、二人の青年を従えている。
そしてミトラは太陽の神だが、月の神にヴァルナという神がおり、ミトラとヴァルナは双子だとも言われている。
建築の神が住む町⑰ 最終回 地蔵院 『 鍬形地蔵はマリア地蔵?』 につづく~
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