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建築の神が住む町⑭ 西陣の聖徳太子信仰 その2 

建築の神が住む町⑬ 西陣の聖徳太子信仰 その1  より続く~


①大報恩寺の伝説に登場する大工の棟梁とは聖徳太子だった?

北野天満宮から約450mほどいったところに大報恩寺があり、次のような伝説が伝えられている。

千本釈迦堂の本堂を建てるとき、長井飛騨守高次(ながいひだのかみたかつぐ)という大工の棟梁が謝って柱を短く切ってしまった。
棟梁はどうしたものかと困り果てていたが、妻の阿亀(おかめ)が、全ての柱を短く切って升型の受けを作ってはどうかと助言した。
棟梁はおかめの助言に従って無事本堂を完成させることができた。
妻のおかめは夫の失敗が人に知れないようにと、本堂の完成を待たずに自殺した。

大報恩寺 おかめ像


大工の棟梁、長井飛騨守高次という人物が実在したとは思われない。
というのは、飛騨守という役職についている役人が兼業で大工の棟梁をやっているとは思えないからだ。

長井高次とは「長い高継ぎ」という意味ではないかと思う。
「高接ぎ」とは果樹などを接ぎ木する際に、台木(接ぎ木をするとき上部にする植物体を穂木、下部にする植物体を台木という)の高い位置に接ぐ方法のことである。

本堂の柱を植物の木に喩えたのではないだろうか。
升受けは柱の高い位置についており、まるで接ぎ木の高接ぎのようではないか。
さらに柱はとても長い。
それで、大工の神の名前を「長い高接ぎ」から「長井高次」としたのではないだろうか。

大報恩寺 柱の升組
  
大報恩寺本堂 矢印が示す場所に升受けがある。

そして阿亀(おかめ)とペアになっている神といえばひょっとこだが、ひょっとこの語源にはいくつかの説がある。

a.竈(かまど)の火を竹筒で吹く『火男』が訛った。
b.口が徳利のようであることから『非徳利』からくる。
c.岩手県奥州氏の江刺地方の民話に登場するヘソから金を生む奇妙な顔をした子供の名前『ヒョウトク』が訛った。

cの民話とは次のような物語である。

強欲な婆さんがヒョウトクのへそを火箸でぐりぐりといじったためにヒョウトクは死んでしまった。
ヒョウトクをかわいがっていた爺さんはヒョウトクの死をそれは悲しんだ。
そんな爺さんの夢枕にヒョウトクが立ち、『自分の顔の面を竈の前の柱にかけておけば裕福になるだろう』と告げた。
そのとおりにしたところ、爺さんは大金持ちになった。


ヒョウトクという名前は聖徳(ショウトク)に似ている。
もしかして、ヒョウトクとは聖徳太子のことではないか?

聖徳太子は建築の神として信仰されており、世界最古の企業・金剛組ではの朝礼の際、厨子をあけ聖徳太子像を拝んでいる。
また太子の忌日である2月22日には木匠の間で講が営まれている。

大報恩寺の伝説に伝わる大工の棟梁とはひょっとこ=ひょうとく=聖徳太子のことなのではないだろうか。

そういえば大報恩寺の境内の隅に布袋像があるが、布袋は弥勒菩薩の化身とされる。

千本釈迦堂 布袋像

大報恩寺 布袋像

そして秦氏の氏寺・広隆寺は聖徳太子から授かった仏像を祀るため、秦河勝が建立したと伝わる。
広隆寺には美しい弥勒菩薩半跏思惟像があるが、秦河勝が聖徳太子から授かった仏像とはこの仏像のことではないだろうか。


File:Maitreya Koryuji.JPG

https://commons.wikimedia.org/wiki/File%3AMaitreya_Koryuji.JPG
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/62/Maitreya_Koryuji.JPG よりお借りしました。

作者 日本語: 小川晴暘 上野直昭 English: OGAWA SEIYOU and UENO NAOAKI [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由で


私は「秦河勝が聖徳太子から仏像を授かった」とは「秦河勝が聖徳太子の霊が宿る仏像を授かった」と言う意味ではないかと思う。

そして、布袋は弥勒菩薩の化身とされている。
大報恩寺の布袋の石像は、大報恩寺に聖徳太子信仰があったことを表しているのではないだろうか。


②大報恩寺の太子堂と北野経王堂

大報恩寺の門を入ったところに小さなお堂があった。
お堂の上部には、なんと、太子堂と記した額がかけられているではないか。
『ひょっとこ=ひょうとく=聖徳太子』という推理はそうトンデモ説ではないかもしれない。

お堂の額には太子堂とあるが、説明板は「北野経王堂 願成就寺」となっており、次のような内容が記されていた。

1392年、足利義満は明徳の乱の戦没者を悼んで北野社の社頭に北野経王堂 願成就寺という大寺を建てた。
北野経王寺 願成就寺では、毎年10月、10日間に渡って万部経会を行って戦没者を供養していた。
江戸時代に荒廃し、1671年に解体縮小されて小堂となったのがこのお堂である。

説明板には、このお堂になぜ太子堂という額がかけられているのかの説明はないが、太子堂の太子とは聖徳太子のことだろう。

そして太子堂にはおかめ御幣がたくさん置かれてあった。

大報恩寺 太子堂 おかめ御幣




北野経王堂 願成就寺

おかめ御幣は関西では上棟式などに用いられるものであり、北野経王堂願成就寺(太子堂)には、明徳の乱の戦没者のほか、建築の神を祀っていることを物語っているかのようである。

建築の神といえば聖徳太子である。

 さらに、「北野経王堂 願成就寺」は北野社 社頭にあったという。
北野社とは北野天満宮のことだ。

建築の神が住む町⑬ 西陣の聖徳太子信仰 その1  で私は次のように述べた。

a.北野天満宮の新春奉納狂言で毎年演じられる「福の神」では、出雲の神が松尾の神にお酒を捧げてから飲み干す。
北野天満宮では秦氏の神を崇敬しているかのようである。

b.北野天満宮の北野追儺狂言は北野天満宮の摂社・福部社の神が鬼を追いはらうが、服部と書いてフクベと読むこともある。
服部氏は秦氏の一派であり、福部社は秦氏の神を祀っているように思える。

c.北野天満宮の摂社の地主神社は、菅原道真がここに祀られる以前から鎮座していた神である。

d.北野天満宮から400mほど離れたところに北野廃寺跡があるが、秦氏の氏寺・広隆寺の前身の蜂岡寺とする説がある。

e.広隆寺の本尊は聖徳太子である。地主神社は蜂岡寺の鎮守で、聖徳太子を御祭神としているのではないか。

とすると、その北野天満宮の社頭にかつて建てられていた「北野経王堂 願成就寺」も聖徳太子信仰の厚い寺であった可能性はある。
それで、「北野経王堂 願成就寺」の廃材を用いて建てられた小堂に「太子堂」の額が掲げられているのではないだろうか。

③待乳山聖天の大根供養と丁徳寺・大報恩寺の大根焚

東京の待乳山聖天では1月7日に大根供養を行っている。
聖天さんの好物は大根とされているので、大根供養を行っているのだろう。

待乳山聖天 ふろふき大根

聖天さん(歓喜天)とは鬼王ビナヤキャと十一面観音の化身であるビナヤキャ女神が抱きあう男女双体のみほとけである。



動画お借りしました。動画主さん、ありがとうございます!


大根は直根の先端にある生長点が石ころなどにあたると、側根が肥大して二股になってしまうことがよくあるそうである。
そうした二股大根の形が男女双体の神を思わせるところから、大根が聖天さんの好物であるとされているのではないかと思う。

待乳山聖天 二股大根

待乳山聖天

そして、京都に浄土真宗大谷派の了徳寺という寺がある。
了徳寺では毎年12月9日、10日に報恩講が行われ、この日には大根炊の授与もある。

了徳寺 大根焚

了徳寺 大根焚


1252年、親鸞が了徳寺付近を訪れたとき、人々が塩味の大根でもてなしたという言い伝えがあり、大根焚はそれに基づく行事とされる。
私は大根焚は、聖天さんの大根供養からくる行事ではないかと思う。

というのは、親鸞には次のような伝説があるからである。

親鸞が六角堂に籠ったとき夢の中に聖徳太子があらわれ、「私が女に生まれ変わってあなたの妻になろう」と言った。


またしても聖徳太子の登場である。

親鸞は僧侶でありながら、妻帯した。
それで男女双体の聖天さんとイメージが重ねられたのではないだろうか。

大報恩寺でも11月7日、8日に大根焚が行われている。

そして大報恩寺には大工の棟梁・長井飛騨守高次と阿亀の伝説が伝えられている。
私は大報恩寺の大根焚は了徳寺の大根焚の影響を受けたものではないかと思う。
なぜかというと、大報恩寺の境内に太子堂(北野経王堂 願成就寺)があることから大報恩寺には聖徳太子信仰蛾あると考えられ、

親鸞が六角堂に籠ったとき夢の中に聖徳太子があらわれ、「私が女に生まれ変わってあなたの妻になろう」と言った。という伝説の影響を受けているように思えるからだ。

千本釈迦堂 大根焚 
大報恩寺 大根焚

大報恩寺は浄土真宗ではなく、真言宗智山派である。
しかし日本の仏教にはルーズなところがあって、寺が宗派を変えることはよくある。
多宗派の影響を受けることもあったのではないだろうか。

④御霊・荒魂・和魂

わたしは、①大報恩寺の伝説に登場する大工の棟梁とは聖徳太子だった?で「おかめとペアになっているひょっとこは聖徳太子のショウトクからくるのではないか」と述べた。
しかし、大報恩寺が浄土真宗の影響を受けているとするならば、この考え方を改めなければならない。

大工の棟梁とは親鸞であり、阿亀とは女に生まれ変わって親鸞の妻となった聖徳太子だ。

もっと正確にいうと、おかめが女神に生まれ変わった聖徳太子で、ひょっとこは女に生まれ変わる以前の男神の聖徳太子だと思う。

聖天さん(歓喜天)は鬼王ビナヤキャと十一面観音の化身であるビナヤキャ女神の男女双体の神だが、上の動画を見ていただくとわかるように、鬼王ビナヤキャとビナヤキャ女神は双子のようにそっくりで、また名前も同じである。

神はその表れ方によって御霊(神の本質)・和魂(神の和やかな側面)・荒魂(神の荒々しい側面)の3つに分けられ、和魂は女神で荒魂は男神とする説がある。
とすれば御霊は男女双体である。

すると聖徳太子も御霊・和魂・荒魂の3つに分けられるだろう。
聖徳太子は建築の神なので、太子堂の中におかれているおかめ御幣(上棟式に用いられる)のおかめは聖徳太子の和魂である。
おかめとペアになっているひょっとこは(ショウトク→ヒョウトク→ヒョットコ)と訛ったものであり、聖徳太子の荒魂である。
そして親鸞は聖徳太子の荒魂とイメージが重ねられ、女に生まれ変わった聖徳太子の和魂と結合し、男女双体の神となって信仰された。
これと同じく長井飛騨守高次は聖徳太子の荒魂であり、聖徳太子の和魂である阿亀と結合し、男女双体の神として信仰された。
おかめ節分に登場するおかめは阿亀であり、聖徳太子の和魂でもある。
おかめ節分に登場する鬼は長井飛騨守高次であり、聖徳太子の荒魂である。

千本釈迦堂 おかめ節分会 おかめと鬼

大報恩寺 おかめ節分

言葉にすると少しややこしく感じられるかもしれないので、表にまとめた。

御霊神の本質男女双体聖天(鬼王ビナヤキャ+ビナヤキャ女神聖徳太子の御霊聖徳太子の御霊聖徳太子の御霊
和魂神の和やかな側面女神ビナヤキャ女神聖徳太子の和魂聖徳太子の和魂阿亀
荒魂神の荒々しい側面男神鬼王ビナヤキャ聖徳太子の荒魂親鸞長井飛騨守高次(ひょっとこ・鬼)

 
④大報恩寺と報恩講

私はこの寺の名前が「大報恩寺」というのが気にかかっていた。

「報恩講」という浄土真宗の法要がある。
浄土真宗の宗祖・親鸞の命日ごろ、親鸞の報恩謝徳のために行われる法要である。
報恩謝徳とは、「恩に報い徳に謝す」「恩に感謝し報いる」という意味で、特に浄土真宗のみで用いられる言葉ではない。

しかし、報恩と聞くと浄土真宗の「報恩講」を思い出すことも事実である。

了徳寺の大根焚はこの報恩講の行事である。

大報恩寺には大工の棟梁と阿亀の伝説が伝えられていたが、大工の棟梁は長井飛騨守高次という名前だった。
①で述べたように、飛騨守という役人が大工を兼業でやっているとは考えられず、長井飛騨守高次という人物は実在の人物ではないと考えられる。

飛騨は大工業が盛んだったので、飛騨という地名を持ちだしてきたのだろう。
そして、飛騨高山は、真宗・浄土真宗の信仰厚い地域で、真宗王国と呼ばれているそうである。

パズルがかちっと合わさる音が聴こえたように思うのは、私の空耳だろうか?

大報恩寺は真言宗智山派の寺である。
しかし、日本の仏教は宗派にルーズで多宗派の影響を受けることがあったように思われる。

大報恩寺は真宗・浄土真宗の影響を受けており、真宗・浄土真宗の「報恩講」にちなみ、寺名を大報恩寺と言うのではないだろうか。

大工の棟梁・長井飛騨守高次とは親鸞のイメージで創作された真宗王国・飛騨高山の大工だろう。
そして大工の妻・阿亀は女に生まれ変わった聖徳太子なのではないか。

このように考えると、太子堂の額がかけられた「北野経王堂 願成就寺」に、たくさんのおかめ御幣が置かれていることの説明もつく。

⑤推理のまとめ

ここまでの私の推理をまとめておこう。

北野廃寺跡は秦氏の氏寺、広隆寺の前身・蜂岡寺であった。
広隆寺では聖徳太子を御本尊としているが、広隆寺が蜂岡寺であった時代から聖徳太子を信仰していたのだろう。
北野天満宮の新春奉納狂言「福の神」では、出雲の神が秦氏の氏神・松尾の神に酒を捧げる。
また北野追儺狂言は北野天満宮の摂社・福部社の神が鬼を追いはらうのだが、福部とは秦氏の一派の服部である可能性が高い。
このように北野天満宮には秦氏の気配がつよく、菅原道真を祀る以前よりここに鎮座していたという地主神社は、蜂岡寺の鎮守であり、聖徳太子を祀っていたのではないかと思われる。
また北野天満宮の前にあった「北野経王堂 願成就寺」の廃材を用いてつくられたお堂に「太子堂」の額がかけられているのも、このあたりに聖徳太子信仰があったことを物語っている。

浄土宗の開祖・親鸞には聖徳太子より「私が女に生まれ変わってあなたの妻になろう」という伝説があり、男女双体の神・聖天さんとイメージが重ねられ、聖天さんの好物が大根とされるところから、報恩講に大根焚を行う習慣が生じた。
大報恩寺は真言宗のお寺だが、聖徳太子信仰があったため、浄土真宗の報恩講の影響をうけ、大根焚の行事を行うようになった。
おかめ伝説はこのあと、応仁の乱で焼け残ったところから創作されたのではないかと思うが、もっと古くからあったかもしれない。

千本釈迦堂 おかめ節分 鬼

千本釈迦堂 おかめ節分 

建築の神が住む町⑮ 西陣の聖徳太子信仰 その3  につづく~
建築の神が住む町① 北野廃寺『北野廃寺は蜂岡寺跡?それとも野寺跡?』  ← トップページはこちら






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[2017/10/20 19:31] 建築の神が住む町 | トラックバック(-) | コメント(-)