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建築の神が住む町⑥ 大福梅授与 『目には見えない年の移り変わりを視覚化したおまじない』 


建築の神が住む町⑤ 『大報恩寺の大根焚と男女双体の神』  よりつづく~

①大福梅授与はなぜ12月13日より始まるのか

京都では正月に大福茶(梅干しをいれたお茶。皇服茶とも。)を飲む習慣がある。
北野天満宮では12月13日より大福茶に用いる大福梅の授与が始まる。

大福梅は北野天満宮梅園で収穫した梅の実を梅干しとして漬け込み、夏土用干ししてカラカラに乾かしたものである。

北野天満宮 大福梅 

北野天満宮で求めた大福梅

この大福梅の授与が12月13日に始まるのは、この日が正月事始めの日だからだろう。
最近はこういうことにこだわらなくなったが、昔は12月13日から正月準備を始めるのは12月13日から、と決められていたのだ。

北野天満宮 梅

北野天満宮 梅

②お屠蘇は蘇という鬼を屠るという意味


正月に大福茶を飲むのはなぜなのだろうか。

そんなことを考えながら、私は北野天満宮の授与所で大福梅を一袋求めた。
清楚な印象の巫女さんが「どうぞ」と袋を差し出してくれたのを受け取り、
ふと見ると、大福梅の袋と並んで『お屠蘇』と記した袋も並べられていた。

「あっ、お屠蘇もあるんですね。」

「お屠蘇は、蘇という鬼を屠るという意味でお正月に飲むんだそうですよ。
北野天満宮のお屠蘇はティーバッグになっておりますので、お酒につけるだけで召し上がっていただけますよ。」

巫女さんはそういって勧めてくださったが、私は一滴もお酒が飲めないので、大福梅だけいただいて北野天満宮をあとにした。

③追儺式は大晦日に行われるものだった。

現在では節分に追儺式を行う寺社が多いが、延暦寺では大晦日に追儺式を行っている。

延暦寺 追儺式

延暦寺 追儺式

延暦寺のお坊様の説明によると、もともと追儺式は大晦日に行うものであったとのことである。

かつての日本では旧暦と二十四節気の二つの暦を併用していた。

太陽太陰暦(旧暦)は月の周期をベースにした暦である。
月の周期は29.5日なので、1年=29.5日×12か月=354日となり、太陽の動きをベースにした太陽暦(新暦)とは1年で11日ずれる。
3年では約一か月もずれてしまう。
そのため、3年に1度閏月を設けてずれを調整していた。

太陽太陰暦は月がカレンダーがわりになって便利なのだが、太陽の動きによって生じる実際の季節とはずれが生じ、農作業等に支障が生じる。
そのため、1太陽年を24に分割した二十四節気という暦を併用していたのである。

節分とは二十四節気の立春の前日のことである。
立春は暦法・二十四節気の正月であり、その前日の節分は二十四節気の大晦日である。

旧暦の大晦日も節分もどちらも大晦日であるということで、もともと旧暦の大晦日に行っていた追儺式を、節分に行うようになったのだろう。

③追儺式の鬼はなぜ牛の角を生やし、虎皮のパンツをはいているのか。

石清水八幡宮 鬼やらい神事-豆まき

石清水八幡宮 鬼やらい神事

節分の鬼は牛の角を生やし、虎皮のパンツをはいている。
これは干支の丑寅をあらわすものであると言われる。

12月は干支では丑月、1月は干支では寅月である。
また二十四節気では小寒(1月6日ごろ)~立春(2月4日ごろ)までが丑月、立春(2月4日ごろ)から啓蟄(3月8日ごろ)までが寅月となる。

つまり、鬼の牛の角は丑月を、虎皮のパンツは寅月で、年の変わり目を表しているというのだ。
そして、鬼=年の変わり目をおっぱらうことで、新しい年がやってくるというわけだ。
目には見えない1年の移り変わりを視覚化したのが、追儺式だといえるだろう。

また方角を干支であらわすと、東北の方角が丑寅となる。
丑寅の方角は鬼が出入りする方角、鬼門として忌まれた。

石清水八幡宮  鬼門封じ 

石清水八幡宮 本殿 鬼門封じ


石清水八幡宮 鬼門封じ 

④蘇という鬼を屠る

お屠蘇は「蘇という鬼を屠る」という意味であるという。

そして、「飲む」という言葉には「水などの液体を体内に摂取する」という意味のほかに、「相手を圧倒する」という意味もある。

広島カープファンの友人に聞いた話だが、対ヤクルト戦では広島カープ側の応援席に「飲め、飲め」と言ってヤクルトが配られていたそうである。
これは飲料のヤクルトを飲むことで、球団のヤクルトを圧倒しようというまじないであると言えるだろう。

これと同様で、お屠蘇は鬼=年の変わり目をあらわすものであり、これを飲むことで鬼=年の変わり目を屠るというまじないであると考えられる。

お屠蘇を飲むことは追儺式同様、目には見えない1年の移りかわりを視覚化したものだと言ってもいい。

六波羅蜜寺 皇服茶 

六波羅蜜寺では正月3が日に結び昆布と梅干を入れたお茶・皇服茶を授与している。
皇服茶という名前は村上天皇が召し上がって(服して)病が回復したの「皇帝も服したお茶」からくると言われる。
一方、王福茶も村上天皇が召し上がって(服して)病が回復したので「王服茶」と呼ばれていたのが「大福茶」に転じたとされる。


⑤なぜ梅を入れたお茶・王福茶を飲むのか。

こう考えると、梅を入れたお茶・王福茶を飲む意味も解ける。
建築の神が住む町③ 北野天満宮 梅 『梅は1月1日と2月3日の誕生花』 で見たように、梅は1月1日と2月3日の誕生花である。
1月1日は正月、2月3日は節分(二十四節気の大晦日)で、梅もまた年の変わり目と、鬼を表している。

正月に大福梅の入った大福茶を飲むのは、お屠蘇を飲むのと同じで、梅は鬼=1年の変わり目をあらわしており、これもまた目には見えない1年の移り変わりを視覚化したものだと言えるだろう。

霊山寺 初福茶 

霊山寺(奈良)では正月に初福茶(抹茶)を授与している。



建築の神が住む町⑦ 北野天満宮 雪 朮詣 『天神さんは黄泉の神で1年の変わり目の神だった』  へつづく~

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[2017/09/15 09:08] 建築の神が住む町 | トラックバック(-) | コメント(-)