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建築の神が住む町③ 北野天満宮 瑞饋祭 『ずいき神輿には秀吉が、牛車には菅原道真が乗っている?』

 北野天満宮 ずいき祭 ずいき神輿 瑞饋祭 ずいき神輿

建築の神が住む町② 北野天満宮 梅 『梅は1月1日と2月3日の誕生花』 より続く~。

①ずいきで屋根を葺いた神輿

10月、北野天満宮を参拝したあと、ぶらぶらと上七軒の町へ行ってみた。
上七軒は北野天満宮の東にあり、お茶屋さん、置屋さんが並ぶ花街である。

上七軒には大変な人だかりができていた。
何事かと思って見てみると、神輿の行列が通り過ぎていくところだった。

見物をしていたかわいらしい舞妓さんが、こんな風に教えてくれた。

「今日は北野天満宮の瑞饋祭の日どす。あれはずいき神輿ゆうて乾物で飾り付けた御神輿どすえ。屋根はずいきで葺いてあるゆうてましたなあ。
『瑞饋』は『最高の喜びを込めた贈り物』ゆう意味どす。平安時代、村上天皇の御代より始まったといわれてますなあ。」

なかなか物知りの舞妓さんである。

北野天満宮 瑞饋祭 獅子と舞妓さん

瑞饋祭の行列を見物する舞妓さんたち

②上七軒の地名の由来

舞妓さんはこんな事も教えてくれた。

「1444年、北野天満宮の社殿が燃えましてん。
ほんで十代足利義植が所司代 細川勝元に命じて社殿を造営をさせたんどす。
そのとき残った木材で七軒の茶店が建てられて、七軒茶屋と呼ばれたと言われてます。」

「それが上七軒の地名の由来なんですか?」

「へえ、そうどす。
その後、豊臣秀吉が1587年に北野大茶会を開きました。
そのとき秀吉は七軒茶屋のみたらし団子をえらい気に入らはって、みたらし団子を商う権利を与えはったそうどす。
それでこのあたりでは五つ団子の紋を使うんやそうどす。」

ずいき祭 舞妓さん

瑞饋祭の行列を見物する舞妓さんたち


③北野大茶会と肥後国一揆

舞妓さんが言っていた「北野大茶会」についてもう少し詳しく見てみよう。

秀吉は1587年に北野天満宮で北野大茶会を行ったが、10日間の予定がたった一日で茶会は中止された。
茶会が中止になった理由にについては諸説あるが、初日の夕方に肥後国一揆がおこったためという説が有力である。

秀吉は肥後を朝鮮や明国への出兵の基地にしようと考え、佐々成政を肥後の領主に任命して『太閤検地』を実施させていた。
その佐々成政に対して肥後北東部の国衆(土地を所有し、民政・軍政を担当していた戦国領主)が一揆をおこしたのだ。
秀吉は肥後国に約二万人の軍勢を送り込み、ほとんどの国衆たちは殺された。

その後秀吉は1592年に朝鮮出兵を行ったが、失敗に終わっている。
1598年、秀吉死亡。

1607年、秀吉の後継者の秀頼が秀吉の遺志をついで北野天満宮の本殿をたてた。
この年、初めてずいき神輿は作られている。

北野天満宮 ずいき祭 八乙女

瑞饋祭 八乙女

肥後一揆を鎮圧した軍勢は秀吉に肥後ずいきを持ち帰らなかったか。

秀吉は肥後国一揆を鎮圧するために肥後に軍勢を送っているが、肥後の国には『肥後ずいき』という性具がある。
ハスイモの茎を干したものでサポニンという成分が性的快感を高めるという。

「ずいき」という名称は、夢窓疎石(1275-1351 禅僧)の次の歌からくるといわれている。
いもの葉に 置く白露の たまらぬは これや随喜の 涙なるらん

この歌にある白露とは精液の比喩であるといのだ。

江戸時代の大奥でも使われていたというから、秀吉の時代にもあったのではないだろうか。
「女好きの秀吉さまはきっとお喜びになるだろう」と、誰かが肥後すいきをおみやげに持ち帰ったりはしなかっただろうか?

ずいき祭 御鉾

瑞饋祭 

⑤ずいき神輿は秀吉の乗り物?

神輿とは神様の乗り物だが、ずいき神輿に乗っているのは豊国大明神(豊臣秀吉の霊)ではないだろうか。
私がこのように考えるのは、秀吉の後継者の秀頼が北野天満宮の本殿を建てたのと、初めてずいき神輿が作られたのがほぼ同じタイミングだからだ。

秀頼は秀吉の遺志をついで北野天満宮の本殿を建てている。
また、秀吉が開催した北野大茶会の思い出も重なって、北野天満宮には秀吉のイメージが強くある。

そこでこの年、瑞饋祭を行うにあたり、北野天満宮の御祭神・菅原道真の霊だけでなく、秀吉の霊をも鎮魂することとし、ずいき神輿を作ってそこに秀吉の霊を乗せようと計画されたのではないかと思ったりする。

⑥菅原道真の霊は牛車に乗っている?

瑞饋神輿に秀吉の霊が乗っているとすれば、北野天満宮の御祭神・菅原道真の霊はどうなってしまったのか?

瑞饋祭の行列には牛車も登場する。
道真の霊はこの牛車に乗っていると私は考える。

ずいきまつり おはぐるま 

北野天満宮の御祭神・菅原道真は藤原時平の讒言によって大宰府に左遷となり、数年後に死亡した。

道真の亡きがらは牛車に乗せられて運ばれたが、途中牛が動かなくなった。
その場所に道真は葬られ、その上に社をたてたのが大宰府天満宮だという。
 
行列の牛車は道真の亡きがらが運ばれていくシーンを再現したものではないだろうか。

ずいき祭 花笠


北野天満宮 瑞饋祭 鳳輦

 
ずいきまつり 御神輿 
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[ 2017/09/03 ] 建築の神が住む町 | TB(-) | CM(-)