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建築の神が住む町② 北野天満宮 梅 『梅は1月1日と2月3日の誕生花』

北野天満宮 梅

北野天満宮 梅


建築の神が住む町① 北野廃寺『北野廃寺は蜂岡寺跡?それとも野寺跡?』 より続く~


①飛梅


前回の記事で北野廃寺跡と記された石碑をご紹介したが、そこから東へ400mほど歩くと北野天満宮である。
季節は早春の3月、まだ寒くてコートが手放せないが、境内には梅のいい香りが立ち込め、春の訪れを告げているかのようだった。

全国に天満宮は数多くあるが、たいてい境内には梅が植えられている。

これはもちろん、天満宮の御祭神である菅原道真の飛梅伝説に基づくものだろう。


左大臣・藤原時平は「右大臣の菅原道真は謀反を企てている」と醍醐天皇に讒言した。
醍醐天皇は時平の言葉を信じて道真を大宰府に左遷することにした。
都から大宰府に向かうとき、道真は「東風吹かば 匂い起こせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」と歌を詠んだという。

こんな伝説がある。

道真が都でかわいがっていた庭の梅と松は、道真を慕って大宰府へ飛び立った。
松は途中で力尽きて落下し、飛松岡(神戸市須磨区板宿町)に落ちたが、梅は大宰府まで飛んで根をおろした。

この梅が大宰府天満宮の御神木の飛梅であるという。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Tobiume02.jpg

また、菅原道真の邸宅跡と伝わる管大臣神社(京都市下京区菅大臣町)にも、大宰府まで飛んで行ったと伝わる飛梅の木がある。
この梅の一枝が大宰府まで飛んでいったということなのだろうか。

管大臣天満宮 飛梅2 

菅大臣神社 飛梅


なんと、大宰府天満宮の飛梅は白梅なのに、管大臣神社の飛梅は紅梅である。
北野天神絵巻を見ても道真が別れを告げている梅の木は紅梅だ。

どうやら、梅は都から大宰府に飛んでいく間に紅梅から白梅に変身してしまったらしい。
なぜ紅梅は白梅に変身してしまったのか。
それについて、確信の持てる説明は今はまだできない。
ただ、こういう矛盾に気が付いて『なぜか』と疑問を持つことが、真実を追求する上で大切だと私は考えている。

北野天満宮 梅3

北野天満宮 梅 

②梅は1月1日と2月3日の誕生花

ネットで梅について調べていたところ、「梅は1月1日、または2月3日の誕生花」と書いてあるサイトがあった。

ここでいう1月1日とは旧暦の1月1日だと思う。
新暦の1月1日ではまだ梅は咲かない。新暦2月初旬ごろに梅は先始め、2月下旬から3月ごろに満開を迎える。
旧暦の1月は新暦換算すると2月くらいになる。

一方、2月3日のほうは新暦の2月3日だと思う。
新暦2月3日は二十四節気の立春の前日で節分である。
立春は暦法・二十四節気における新年なので、立春の前日の節分は暦法・二十四節気の大晦日だということになる。

かつての日本では旧暦と二十四節気を併用していた。
二十四節気とは1太陽年を24等分したものである。

旧暦、すなわち太陽太陰暦は月をベースにした暦法で、月の周期は29.5日である。
29.5日×12か月=354日となり、太陽暦とは1年で11日、3年では一か月以上もずれてしまう。
そのずれを解消するため、旧暦(太陽太陰暦)では3年に1度閏月を設けていた。

太陽太陰暦は月がカレンダー替わりになって便利なのだが、実際の季節とはずれが生じるため、二十四節気を併用していた。
このため、新暦を採用する以前の日本には、旧暦の正月と二十四節気の正月(立春)と正月が2回あったのである。

繰り返しておこう。
旧暦の1月1日は新年、節分は二十四節気の立春の前日で二十四節気の大晦日である。

梅が1月1日と2月3日の誕生花ということは、梅は新年と大晦日の花、年の移り変わりを象徴する花だということになるだろうか。

北野天満宮 梅2
北野天満宮 梅

建築の神が住む町③ 北野天満宮 瑞饋祭 『ずいき神輿には秀吉が、牛車には菅原道真が乗っている?』  
へつづく~

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[ 2017/09/02 ] 建築の神が住む町 | TB(-) | CM(-)