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中将姫伝説と中将湯と天照大神(石光寺) 

i石光寺 牡丹
石光寺 (牡丹)

石光寺・・・奈良県葛城市染野387


石光寺の境内に井戸があり、その井戸の横に尼僧姿の女性の石像が置かれている。
中将姫の像である。
中将姫には次のような伝説がある。

「藤原鎌足の曾孫・藤原豊成と妻・紫の前(品沢親王の娘)には長い間子供ができなかったが、747年、長谷寺の観音様に祈願して中将姫を授かった。
紫の前は中将姫が5歳のときに亡くなり、豊成は橘諸房の娘・照夜の前を後妻とした。
照夜の前は中将姫をうとみ、事あるごとに中将姫をいじめていた。
756年、9歳のとき、孝謙天皇(女帝)に命じられて琴をひき、賞賛された。
760年、13歳のとき、三位中将の位を持つ内侍となる。
中将姫が14歳のとき、父の豊成は諸国巡視の旅に出かけた。
照夜の前は豊成が留守の間に中将姫を殺してしまおうと考え、従者に中将姫の殺害を命じた。
しかし従者は中将姫を殺すにしのびず、雲雀山に置き去りにした。
中将姫は雲雀山に草庵を結んで暮らしていたが、1年後、遊猟にやってきた父・豊成と再会して都へ戻った。
767年、中将姫は淳仁天皇より後宮へ入るよう望まれるが辞退した。
その後、出家して當麻寺に入り、法如という戒名を授かった。」

當麻寺は石光寺を南に10分ほど行ったところにある。

t當麻寺 蓮華
當麻寺(蓮華草)

「26歳のとき、中将姫は蓮の茎から糸をつむぎ、石光寺の庭に井戸を掘って糸を浸した。
すると糸はたちまち五色に染まった。
中将姫はその蓮糸をつかって一夜のうちに當麻曼茶羅を織りあげた。
(當麻寺曼荼羅は當麻寺のご本尊とされている。)

775年春、中将姫は29歳で入滅した。
阿弥陀如来をはじめとする二十五菩薩が来迎して中将姫は生きながらにして西方浄土に向かった。
毎年、五月十四日に當麻寺で行われている練供養はこれを再現したものである。」

ツムラの中将湯のパッケージにはこの中将姫の絵が描かれている。 → 

中将湯は婦人病に効能があるとされる漢方薬であるが、中将姫とどう関係があるのか。
中将湯は大和国宇陀郡の雲雀山青蓮寺の檀家・藤村家に代々伝えられていた漢方薬である。
雲雀山に中将姫が置き去りにされたとき、藤村家の者が中将姫をかくまい、お世話をした。
中将姫がそのお礼に藤村家の者に製法を教えたのが中将湯であると伝わっている。

株式会社ツムラの創業者・津村重舎の母親はこの藤村家の女性であった。
そこで津村重舎は中将湯の製法を受け継いで製造販売するに至ったという。

私は中将姫には次の2点の共通点から、天照大神のイメージがあると思う。
①中将姫は當麻曼荼羅という織物を織ったが、天照大神も織女であった。
②中将姫は婦人病に効く薬を伝えているが、天照大神の6番目の子供とされる淡島さん(淡島大社の神様)は婦人病にご利益があると信仰されている。

古事記および日本書紀の天照大神の記述についてみてみよう。

「天照大神は天の機屋で衣を織っていた。
ここにスサノオが馬を逆剥ぎにしたものを投げ入れて、ひとりの織女が梭で陰処をついて死亡した。
天照大神はこれにきれて天岩戸に隠れた。(古事記)」

「天照大神が梭で陰処をついて怪我をした。(日本書紀本文)」

「スサノオが神殿に糞をし、アマテラスが気付かずにそれに座って下の病気になって天岩戸に隠れた。(日本書紀 第二の一書)」

古事記では「ひとりの織女が梭で陰処をついて死亡した。」となっているが、日本書紀本文では陰処をついて死亡したのは天照大神となっている。
ここから、古事記に記された「死亡したひとりの織女」とは天照大神自身のことで、その後天岩戸に隠れたとあるのは、死んだ天照大神が石室に葬られているようすを表したものだと考えられている。

また天照大神が下の病気になったとあるが、和歌山県加太にある淡島大社は婦人病にご利益があると信仰されていた。

昭和のはじめくらいまで淡島願人という遊行僧が全国をまわって『淡島さん(淡島大社の神様)』の信仰を布教していた。
その淡島願人の説くところによれば、『淡島さん』とは天照大神の六番目の子で、住吉明神に嫁いだが、婦人病にかかったことにより淡島に流された。
それで淡島さんは婦人病の人々を救うと誓いを立てたのだという。

『淡島さん』は天照大神の六番目の子であるという点に注意してほしい。
神が子供を産むとは、神が分身をつくることだとする説がある。
とすれば、淡島さんとは天照大神の6番目の分身(分霊)だということになる。

太陽は東から昇って西へ沈む。
中将姫=天照大神=太陽であると考えると、伝説に「中将姫は生きながら西方浄土へ行った。」とあることの意味がわかる。
「中将姫は生きながら西方浄土へ行った。」というのは、「太陽が沈んだ」ということだろう。

奈良では二上山は太陽が没する山であり、石光寺は太陽が没する山・二上山の麓にある。
中将姫伝説はこのような奈良の地理から生じたものではないだろうか。

二上山 夕日
二上山 夕日

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[2014/05/22 21:00] 奈良 | トラックバック(-) | コメント(-)