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シロウトが高松塚キトラ古墳を考えてみた。まとめnew④遺骨から鑑定した被葬者の年齢



『高松塚古墳と飛鳥/末永雅雄 井上光貞 編 中央公論社(1972年)』
『高松塚被葬者考 天武朝の謎/小林恵子 現代思潮社(1988年)』
『高松塚は高市皇子の墓/土淵正一郎(新人物往来社)』
における記述内容はピンク色文字で

「黄泉の王―私見・高松塚/梅原猛 (新潮社 1973年)6/1/」は水色文字で、
「壁画古墳 高松塚 調査中間報告調査中間報告/橿原考古学研究所(奈良県教育委員会)1972年」はオレンジ色文字
「壁画古墳 高松塚 調査中間報告調査中間報告/橿原考古学研究所(奈良県教育委員会)1972年」における表については緑色文字

私の意見などはグレイの文字で示す。

①高松塚の遺体には頭蓋骨がなかった。

・頭骨が全部残っているとある程度のことがわかる。頭骨がない場合には少しのことしかわからない。
歯はかなりよくわかる。大阪の黄金塚には歯しか残らなかったが、薄く切って顕微鏡で見て4,50代の男性でやや角張った丸顔と報告がある。(森浩一氏/「高松塚古墳と飛鳥/末永雅雄 井上光貞 編 中央公論社(1972年)」)

・顎部以下の諸骨は残存しているのに、頭蓋骨は小破片すら残存しない。
高松塚古墳の被葬者の人骨については、頭蓋骨と下顎骨の破片も発見されていない。
骨を鑑定した島五郎氏によれば、頭蓋骨につづく舌骨、化骨甲状軟骨、前頸椎は残っているので斬首はありえない。
白骨になってから頭骨を引き抜いたのだろう。(小林恵子氏『高松塚被葬者考 天武朝の謎/小林恵子 現代思潮社(1988年)」

・律によれば、謀反人は斬首。計画した者は絞首。斬首の方が罪が重く、首と胴体が離れる未来永劫に亘る死刑に処される。
斬首も絞首も同じと考えるのは現代人の感覚。(小林恵子氏『高松塚被葬者考 天武朝の謎/小林恵子 現代思潮社(1988年)」)

・高松塚の遺骨から、筋骨発達し、腕が長く、足が大きい。大柄。大腿筋が発達している。乗馬の習慣があったか。慢性疾患はなく急死の可能性が高い。推定死亡年齢は熟年者(40~50歳)(小林恵子氏『高松塚被葬者考 天武朝の謎/小林恵子 現代思潮社(1988年)」)

・着衣の切れ端も見つかっていない。棺材に残った麻布や鏡の紐は残っているので、最初から衣はなかったのだろう。
着衣もなく葬るというのはありえない。死者を冒涜するために初めから破壊されていたと推定される。(小林恵子氏『高松塚被葬者考 天武朝の謎/小林恵子 現代思潮社(1988年)」)


②弓削皇子は30歳以下で亡くなった。

梅原猛氏は高松塚の被葬者を弓削皇子だと考えておられる。

弓削皇子の薨去年は699年だが、生年は不明である。
しかし、673年ごろに生まれたと考えられている。その理由は以下。

弓削皇子は693年に同母兄の長皇子とともに浄広弐に叙せられている。
大宝律令の蔭位の制によれば、親の位階によってその子孫が21歳になったときに位が与えられることになっていた。

蔭位資格者は皇親・五世王の子、諸臣三位以上の子と孫、五位以上の子となっている。

親王の子 → 従四位下
諸王の子 → 従五位下
五世王の嫡子 → 正六位上(庶子は一階を降す)

諸臣
一位の嫡子 → 従五位下
以下逓減して
従五位の嫡子 → 従八位上
(庶子は一階を降し、孫はまた一階を降す)

つまり、弓削皇子は浄広弐に叙せられた693年、21歳だったと考えられる。
すると、693年-21歳=672年となるが、21歳というのは数え年だと思われる。

数え年とは生まれたときを1歳とし、元日に年齢をひとつ加算していく年齢のカウント方法である。
なので、弓削皇子の生年は672年+1歳=673年。
弓削皇子の薨去年は699年なので、699年-673年=26歳(数え年では27歳)となる。

しかし、高松塚の遺骨の鑑定結果は、40歳から50歳となっている。

「高松塚古墳の被葬者が30歳以下の確率は約半分もある」は間違いだと思う。

島五郎氏は高松塚古墳の被葬者の年齢を次のように鑑定された。

骨の鑑定結果・・・30歳~70歳までの男子。筋骨たくましい初老の大男。
1本だけ残っていた歯の摩耗状態・・・40歳~50歳

梅原氏が創元社刊『高松塚壁画古墳』170pから引用されている島氏の鑑定は次のような内容である。

❶骨盤があればほぼ確実に性を決定できるのだが、小さな破片しか残っていなかった。

❷四肢骨は非常に太く、上腕骨の三角筋粗はよく発達し、その他の骨も筋肉付着部のきめがあらいことから、筋骨の発達良好な男性と考えられる。

❸歯は下顎の第三大臼歯が2本、小臼歯1本。

❹歯の咬耗度は、エナメル質全面にわたるものおよび象牙質が点状また線状に露出する程度。
歯の咬耗度から考えて、20歳~29歳以下である確率はかなり少ない。

❺第三大臼歯の萌出年齢は16~30歳と広いため、年齢推定はむずかしい。

❻咬耗度は2度。(6~8年程度で2度になる。)

これに対する梅原氏の反論。

❹❺❻から年齢推定は次のようになる。(16歳~30歳)+(6年~8年)=(16歳+6年)~(30歳+8年)=22歳~38歳
平均すると30歳。
30歳以下の確率は約半分もある。
そうであるのに、島氏は「❹歯の咬耗度から考えて、20歳~29歳以下である確率はかなり少ない。」としておられて矛盾している。

年齢を書きだしてみよう。
22歳、23歳、24歳、25歳、26歳、27歳、28歳、29歳、30歳、31歳、32歳、33歳、34歳、35歳、36歳、37歳、38歳
これらの年齢のちょうど真ん中が30歳となる。
そして30歳未満の年齢は22歳、23歳、24歳、25歳、26歳、27歳、28歳、29歳で8つ。
30歳超の年齢は31歳、32歳、33歳、34歳、35歳、36歳、37歳、38歳で8つ。
それで梅原氏は30歳以下の確率は約半分もある、とおっしゃったのだろう。

私は理数系が苦手なので自信がないが(汗)、梅原氏のように考えるのではなくて、
それぞれの年齢で第三大臼歯が生えてくる割合を考慮する必用があるのではないだろうか。

仮に(実際の数字ではない)
❶16歳から20歳で第三大臼歯がはえてくる人の割合を10%、
❷21歳から25歳で第三大臼歯が生えてくる人の割合80%
❸26歳から30歳で第三大臼歯が生えてくる人の割合を5%
としよう。

10%+80%+5%=95%で100%にならないような数字にしたのは、大三大臼歯は親知らずであり、生えてこない人もいるからである。

咬耗度が人によって大きな違いはないと仮定し、6~8年で咬耗度が2度になるということは
❶(16歳+6年)~(20歳+8年)=22歳~28歳 10%
❷(21歳+6年)~(25歳+8年)=27歳~33歳 80%(❹仮に27歳~30歳20%、❺30歳~33歳60%とする。)
❸(26歳+6年)~(30歳+8年)=32歳~38歳 5%

この場合、被葬者が30歳以下である確率は❶+❹で30%となるのではないだろうか。

③島氏は第二臼歯と第三臼歯の両方の可能性を示している。

以下は梅原氏の『黄泉の王』に引用された『調査中間報告書/橿原考古学研究所』(「壁画古墳 高松塚 調査中間報告調査中間報告/橿原考古学研究所(奈良県教育委員会)1972年」の事だと思われる。)における島氏の発言をまとめたものである。

歯牙による推定年齢
残存歯牙大臼歯2、小臼歯1
・下顎右側大臼歯は第一大臼歯ではない。第三大臼歯と考えているが、第二大臼歯かもしれない
 咬耗はエナメル質のほぼ全面に及ぶ 象牙質がゴマ粒大、より小さい点状大の二か所で露出
・上顎左側大臼歯は第三大臼歯。
 咬耗はエナメル質全面 象牙質の露出なし象牙質露出直線の状態

大臼歯の咬耗度(%)と年齢ー男性ー

     下顎第2大臼歯  下顎大3臼歯       上顎 第三大臼歯
     象牙質が点状または線状に露出        エナメル質全面にわたる
20~29歳 14.3%       0.%            19.6%
30~39歳 16.3%       2.4%            55.0%
40~49歳 43.8%       37.0%           69.0%
50~59歳 27.1%       20.7%           76.9%
60歳以上 14.9%       43.5%            30.4%

・第2第3臼歯の咬耗が、エナメル質全面に亘るもの、象牙質が点状、線状に露出するものの頻度は、20~29歳群では高くない。
・このような咬耗度をもつ大臼歯による推定年齢の変異幅は広い。
・萌出年齢の変異幅の広い歯牙(第三大臼歯の萌出年齢は16~30歳)
・大臼歯の萌出後、咬耗面に象牙質が点状、線状に露出するまでに6、7年かかる)

これに対する梅原氏の反論

❶『中間報告書』と『高松塚壁画古墳/朝日新聞社』で歯の種類が異なっている。

『中間報告書』・・・・下顎右側第三臼歯(第二大臼歯の可能性も)1
           上顎左側大臼歯は第三大臼歯 1
           小臼歯1                       
『高松塚壁画古墳/朝日新聞社』・・・下顎の第三臼歯2、
                 (第3臼歯は左右一本づつなので、左右の第三臼歯があるということだろう。)
                  小臼歯1

❷下顎右側第三臼歯(第二大臼歯の可能性も)
とあるが、歯を特定しなければ年齢の鑑定がかわってくる。
第二大臼歯(15歳ぐらいまでにはえる)と第三臼歯(親知らずなので、16歳~30歳くらいではえてくる。)

『高松塚壁画古墳/朝日新聞社』は未確認だが、梅原氏のいうとおりであれば、
梅原氏の❶の指摘はそのとおりだ。

もしも、『高松塚壁画古墳/朝日新聞社』の記述が正しいのであれば、島氏は『中間報告書』の記述は「誤りであった」と一言書いておくべきだったかもしれない。

❷もそのとおりだが、島氏は下顎右側の大臼歯が第三大臼歯なのか、第二大臼歯がわからないため、
次の表で第三大臼歯なと第二大臼歯両方の確率をしめされている。

大臼歯の咬耗度(%)と年齢ー男性ー

    下顎第2大臼歯    下顎大3臼歯       上顎 第三大臼歯
     象牙質が点状または線状に露出        エナメル質全面にわたる   
20~29歳 14.3%       0.%            19.6%
30~39歳 16.3%       2.4%            55.0%
40~49歳 43.8%       37.0%           69.0%
50~59歳 27.1%       20.7%           76.9%
60歳以上 14.9%       43.5%            30.4%


島氏は高松塚古墳の被葬者の下顎大臼歯を「象牙質が点状または線状に露出」した状態であり、
この下顎大臼歯が第2大臼歯の場合、20~29歳である確率は14%、第3大臼歯の場合0%ですよ、
と言っているのである。

つまり、第2大臼歯であろうと、第3大臼歯であろうと、いずれにしても30歳以下の可能性は少ないと島氏はおっしゃっているのである。

大臼歯の萌出後、咬耗面に象牙質が点状、線状に露出するまでに6、7年かかる?

上緑色の文字で示した表「大臼歯の咬耗度(%)と年齢ー男性ー」のデータ元は
栃原博氏が昭和32年に熊本医学科雑誌に発表した「日本人歯牙の咬耗に関する研究」にある表である。

私は図書館で「壁画古墳 高松塚 調査中間報告調査中間報告/橿原考古学研究所(奈良県教育委員会)1972年」を借りることができたのだが、このp193で島氏は
「i  第2、第3大臼歯と年齢の関係は次表のとおりである。(栃原、昭、32)」と記しておられる。

ただし、梅原氏によれば、島氏の表の「象牙質が点状または線状に露出」の数字は栃原氏の表では「3段」の数字
島氏の表の「エナメル質全面にわたる」の数字は栃原氏の表では「4段」の数字である。

3段とか4段というのは、歯の咬耗度を表す数値で、無咬耗から7段までの8段階になっている。
つまり、島氏の表にある「象牙質が点状または千状に露出」は「3段」の咬耗度、
「エナメル質全面にわたる」は「4段」の咬耗度というわけだ。栃原氏の表に咬耗度を書き入れてみよう。(太字)

大臼歯の咬耗度(%)と年齢ー男性ー

 下顎第2大臼歯    下顎大3臼歯       上顎 第三大臼歯
     象牙質が点状または線状に露出        エナメル質全面にわたる
     (咬耗度3段)               (咬耗度4段)
20~29歳 14.3%       0.%            19.6%
30~39歳 16.3%       2.4%           55.0%
40~49歳 43.8%       37.0%           69.0%
50~59歳 27.1%       20.7%           76.9%
60歳以上 14.9%       43.5%           30.4%

そして、梅原氏は次の様に推測されている。

島氏は、上顎の大臼歯を咬耗度3段としたのだろう。
上顎大臼歯咬耗度3段は、20~29歳では19.6%。

下顎の大臼歯は第二大臼歯とすると、咬耗度4段は20~29歳では14.3%。
第三大臼歯とすると咬耗度4段は20~29歳では0%
ゆえに、高松塚の被葬者は30歳以下の可能性は少ないとしたのだろうと。

これは私が③で「島氏は下顎右側の大臼歯が第三大臼歯なのか、第二大臼歯がわからないため、
次の表で第三大臼歯なと第二大臼歯両方の確率をしめされている。」と書いたのと同じことである。

その上で、梅原氏は島氏を次のように批判した。

❶歯の鑑定が不安定。(第二大臼歯か第三大臼歯か不明)
❷島氏が栃原氏の八段階の鑑別を正確に行ったか不明。
❸栃原氏の調査は現代日本人のものであって、飛鳥時代の人間にあてはめることができるのか。
❹島氏は「大臼歯の萌出後、咬耗面に象牙質が点状、線状に露出するまでに6、7年かかる」と断言しているが、
6歳で第一大臼歯が生えた子供は12,3歳で上のような状態になってしまっておかしい。

❶については、③で述べたように、島氏は『中間報告書』で、歯が第2大臼歯か第3大臼歯か特定できないから、
第2大臼歯と第3大臼歯の両方の30歳以下の確率を示したのであり、それ以上しようがないと思う。
ただ、その後『高松塚壁画古墳/朝日新聞社』において、島氏は「下顎の第三大臼歯2」と特定し、
『中間報告書』での記述(下顎の第3大臼歯または第2代臼歯)と異なった鑑定結果になってしまっていることが、梅原氏の不審を招いているように思える。
❸もその通りだと思う。
❷は島氏の説明不足だろう。

❹はわからないが、❹を考慮すれば上の緑色の表は
20~29歳で咬耗度3段(象牙質が点状または線状に露出)は、下顎第2大臼歯14.3% 下顎大3臼歯 0.% となっているのが、さらに数字が小さくなり、ますます高松塚古墳の被葬者の年齢は30歳以下である可能性が低くなってしまう。

④マイルズの研究

『壁画古墳 高松塚 調査中間報告調査中間報告/橿原考古学研究所(奈良県教育委員会)1972年』p196で島氏は次のように記しておられる。

ii .大臼歯が萌出後、咬耗面に象牙質が点状、線状に露出するまでに6、7年かかる。(Miles,1963)。
この歯牙昨日年数に基く推定年齢も亦栃原成績から得た結果と一致する。

梅原氏によると、マイルズの研究は次のようなものである。

マイルズはイギリスの古い墓地から鑑定可能と思われる157体を選び、年齢推定を試みた。
第3大臼歯が生えるのを18歳とし、18歳以下と思われる38体を選び出して咬耗度を調べた。
彼らはほぼ同一人種。食べているものもほぼ同じ。
第1大臼歯は約6歳、第二大臼歯は約12歳、第3代臼歯は約18歳で生える。
マイルズは大臼歯はだいたい同じ程度に咬耗すると考えるが、奥にいくほど、歯の使用の程度(咬耗度)は大きくなる。
その比率は、だいたい7:6.5:6。
すると18歳の人間の第一大臼歯、第二大臼歯と同じ咬耗度をもつ第二大臼歯、および第二大臼歯と同じ咬耗度の第三大臼歯を持つ人間の推定年齢は18歳+6+0.5=24.5歳になる。
ただし、この計算は他の骸骨の集合体には使えない、考古学的素材には使えない。

高松塚古墳・キトラ古墳を考える⑨歯が第2大臼歯であろうと、第3大臼歯であろうと30歳以下の可能性は低いことを島氏は示した。」
私が上の記事を書いたとき、恥ずかしながら「18歳の人間の第一大臼歯、第二大臼歯と同じ咬耗度をもつ第二大臼歯、および第二大臼歯と同じ咬耗度の第三大臼歯を持つ人間の推定年齢は18歳+6+0.5=24.5歳」という計算がどうしてもわからなかった。
その理由は「奥にいくほど、歯の使用の程度(咬耗度)は大きくなる。その比率は、だいたい7:6.5:6。」をどのように計算したらいいか、わからなかったからだ。

とりあえず「奥にいくほど、歯の使用の程度(咬耗度)は大きくなる。その比率は、だいたい7:6.5:6。」はを無視して、「大臼歯はだいたい同じ程度に咬耗する」とし、仮に消耗していない場合の消耗度を0、6年で咬耗する度合いを1とし、12年で咬耗する度合いを2として考えてみよう。

18歳の人の場合、
第三大臼歯は生えたばかりで、咬耗していないので、咬耗度0
第二大臼歯は12歳ではえ、6年経過しているので咬耗度1
第一大臼歯は6歳で生え、12年経過しているので咬耗度2

       第一大臼歯   第二大臼歯     第三大臼歯
a18歳の人   6歳で生える 12歳で生える    18歳で生える
        咬耗度2   咬耗度1      咬耗度0

b?歳の人                                  咬耗度2       咬耗度1
             12歳ではえて12年経過 18歳ではえて6年経過

するとbの年齢は24歳となる。 

「奥にいくほど、歯の使用の程度(咬耗度)は大きくなる。その比率は、だいたい7:6.5:6。」
ということは、奥に行くほど、消耗にかかる期間が短くなるという事なので、bは24歳よりも若干若いかもしれない。

梅原氏によれば、マイルズはbの年齢を「18歳+6+0.5=24.5歳」としているということだが、
bの第三大臼歯が18歳ではえて6年経過するとaの第二大臼歯の消耗度と同じになるため、18歳に6を足しているのだと思う。
0.5を足す意味はわからない。

『壁画古墳 高松塚 調査中間報告調査中間報告/橿原考古学研究所(奈良県教育委員会)1972年』p196で島氏は次のように記しておられるのだった。
「ii .大臼歯が萌出後、咬耗面に象牙質が点状、線状に露出するまでに6、7年かかる。(Miles,1963)。」

梅原氏はマイルズの論文を読み「奥にいくほど、歯の使用の程度(咬耗度)は大きくなる。その比率は、だいたい7:6.5:6。」と記していられるが、マイルズの論文の引用がないので確認ができない。

梅原氏は「マイルズの報告書には島氏が言うような『大臼歯が萌出の地、咬耗面に象牙質が点状、乃至線状に露出するまでに要する歯牙機能年数は六~七年である』という言葉はない」という。

確かに、マイルズの研究が梅原氏の引用のとおりであれば、そんなことは言っていない。

ただ、島氏は「ii .大臼歯が萌出後、咬耗面に象牙質が点状、線状に露出するまでに6、7年かかる。(Miles,1963)。
この歯牙昨日年数に基く推定年齢も亦栃原成績から得た結果と一致する。」と言っている。

栃原成績から得た結果とは、上に緑色文字で示した「大臼歯の咬耗度(%)と年齢ー男性ー」の表のことである。
マイルズが梅原氏が主張されているように「『大臼歯が萌出の地、咬耗面に象牙質が点状、乃至線状に露出するまでに要する歯牙機能年数は六~七年である」と言っていなかったとしても、すでに記したように
栃原成績が「下顎の大臼歯は第二大臼歯とすると、咬耗度4段は20~29歳では14.3%。第三大臼歯とすると咬耗度4段は20~29歳では0%。ゆえに、高松塚の被葬者は30歳以下の可能性は少ない」とでている。

これも繰り返しておくが、梅原氏は
❹島氏は「大臼歯の萌出後、咬耗面に象牙質が点状、線状に露出するまでに6、7年かかる」と断言しているが、
6歳で第一大臼歯が生えた子供は12,3歳で上のような状態になってしまっておかしい。

とおっしゃっているが、咬耗にもっと時間がかかるとすると、ますます高松塚古墳の被葬者の年齢は30歳以下である可能性が低くなってしまう。

まとめとしては、島氏の歯による年齢鑑定には、わかりにくい点がある。
また第2大臼歯か第3大臼歯か特定できていないが、島氏は栃原氏の研究にあてはめて歯が第2大臼歯であろうと、第3大臼歯であろうといずれにしても30歳以下の可能性は低いことを示した。
しかし、これは現代人のデータによるものであり、飛鳥時代の人物に用いることができるかどうかは、検討の余地がある。
そういう事になると思う。

また梅原氏は、高松塚古墳被葬者の骨を専門家に見せたところ相当老化していると言ったとも書いておられる。

⑤人骨について(島五郎氏の説明)創元社版での発言について

・第3大臼歯(親知らず)は人によってはえる年齢がちがう。
しかし、使用期間が同じであれば減り方は同じになるが、はえた時期がわからなければ被葬者の年齢は特定できない。
減り方は2度で、6年~8年使ったとみられる。
28で生えて8年つかうと36歳ぐらい。30歳代か、それ以上で上限はわからない。

・舌骨は20~30歳では化骨するのが22±13.4%。誤差が22%の13.46%で、数字は数学的にあてにならない。(?)
30~50歳代では67%が化骨する。年寄りは85%が化骨する。若い人は化骨しない。
この結合部はする。「20歳、30歳台では硬骨状態で化骨しない。40歳になって化骨し始める。50歳で進行する。」という人もいる。40歳以上ぐらいで化骨し始める。したがって(高松塚古墳の被葬者は)40歳以上。

・甲状軟骨(のどほとけ)は20代では化骨しない。のどぼとけの一番上の部分が残っているが化骨している。
骨に変わるのは下からなので、かなり広範囲に骨にかわっていた。40歳以上の熟年だろう。

・顎骨が1番から7番までのこっている。

・リショカの結合という背骨の増殖が見られる。これが進むと、変形性脊椎症にって背中が痛くなる。病気ではなく、加齢現象。
19歳で0、20代で10%、30代で40%、40代で80%、50代で90%の人が変形性脊椎症になる。

(以上、『高松塚は高市皇子の墓/土淵正一郎(新人物往来社)』より)

⑥『創立三五周年記念・橿原考古学研究所論集』昭和48年刊」

「高松塚古墳出土人骨のX線学的研究」(城戸正博・阿部国昭・土井仲悟・玉木正雄)
・全ての骨に骨萎縮状態がない。
・死直前の慢性消耗性疾患、長期臥床はない。
・何らかの原因による急死の可能性。
・変形性骨変化は加齢によるもので病ではない。
・上部頸椎から中部頸椎、椎体広報部の変化という特殊性から、頸部外傷歴、乗馬の習慣を考慮したい。
・中節指骨の骨皮質の小突起、櫛状突起をみいだすので、年齢は30歳以上。
・年齢上限の判定は決定的所見はなし。
頸椎の変化、四肢関節面での変化、骨端線痕跡像、骨皮質の厚さなどを総合して生理的高齢者は否定できる。足は変形なし。

(以上、『高松塚は高市皇子の墓/土淵正一郎(新人物往来社)』より)

⓻キトラ古墳の被葬者の年齢については、こちらの記事に説明がある。(いつ書かれた記事なのかがわからない。)


奈良文化財研究所が石室にたまった土砂の中から約100片の人骨と、23本の歯を発見し、片山一道・京大大学院教授(自然人類学)が歯と骨を鑑定した。
・骨はすねの部分の破片1点。あとはすべて頭骨。
・重複する部分はなく、被葬者は1人。
・目の付近の骨が丸みを帯び、耳の後ろの骨が凸凹して頑丈なことなど男性の特徴が目立つ。
頭骨は全体にがっちりしており、骨太の印象があるという。身長は推定できなかった。
・歯は全体に大きめで、すり減り方や奥歯の根元に付着した石灰、頭骨の状態などから、50代の可能性が高い。
右上の奥歯1本はかなりひどい虫歯だった。

どのように鑑定したのかなど、もっと詳しいことを知りたいが、
高松塚の被葬者30歳代から40歳以上、キトラの被葬者は50代ぐらいで、どちらも男性ということになりそうだ。

キトラ古墳被葬者の歯

キトラ古墳 被葬者の歯(キトラ古墳 壁画体験館 四神の館にて撮影)
上側右側犬歯の中央がへこんでおり、モノをくわえる習慣があったと考えられているが何をくわえていたかは謎とのこと。


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