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シロウトが高松塚キトラ古墳を考えてみた。まとめnew⑤四神



『キトラ古墳は語る/来村多加史(生活人新書)』における来村多加史氏の意見
『黄泉の王』における梅原猛氏の意見
『高松塚被葬者考 天武朝の謎/小林恵子 現代思潮社(1988年)』における小林恵子氏の意見はピンク色で、
ネット記事の引用は青色で、私の意見などはグレイの文字で示す。

陰陽五行説と麒麟

高松塚古墳には、四神・人物群像・星宿図・日像・月像が
キトラ古墳には、四神・十二支像・天文図・日像・月像が描かれていた。

高松塚 解体実験用石室

高松塚 展開図 飛鳥資料館説明版より

キトラ天文図

キトラ展開図 キトラ古墳 壁画体験館 四神の館 説明板より

まず四神についてご紹介する前に、四神とは何か、についてみてみることにしよう。

四神とは、中国で発祥した陰陽五行説から生み出された聖獣である。
五行とは、万物は木火土金水の5つの要素でできているとする考え方で
木=青火=赤土=黄金=白水=黒であらわす。

季節では春=木、夏=火、秋=金、冬=水。
季節は4つなので、木火土金水のうち土が余ってしまうが
土は季節の交代をスムーズにするものと考えられ、各季節の最後の18~19日間を『土用』として均等に割りふられた。
本来、土用は夏だけではなく、すべての季節にあるのである。

土用

春・・・旧暦1月2月3月・・・・・木性   3月の終わりの18~19日間=春土用
夏・・・旧暦4月5月6月・・・・・火性   6月の終わりの18~19日間=夏土用
秋・・・旧暦7月8月9月・・・・・金性   9月の終わりの18~19日間=秋土用
冬・・・旧暦10月11月12月・・・  水性     12月の終わりの18~19日間=冬土用

方角では
北・・・水・・・玄武(黒)
東・・・木・・・青龍
南・・・火・・・朱雀
西・・・金・・・白虎 

さきほど、「木=青、火=赤、土=黄、金=白、水=黒であらわす」と書いたが、玄武は黒、青龍は青、朱雀は赤、白虎は白であらわされ五行の色が用いられている。
ここでも季節の場合と同様、土(黄)があまってしまう。

土をあらわす聖獣は、麒麟である。

麒麟について来村多加史氏は次のようにおっしゃっている。

・部屋や墓室の天井と床は陰陽説の天地の面で、五行のものではなく、麒麟を描く場所はない。
・麒麟・・・胴体は鹿、蹄は馬、尻尾は牛荷にて、頭には根元を肉で包まれた柔らかい独角がある。
優しく、殺生をせず、聖人が王道を行っていれば現れる。
・麒麟の原型は鹿だろう。
・四神ではなく五神として論議するべき。(来村多加史氏)

麒麟
三才図会に描かれた麒麟(明代)

②黄龍

来村氏は述べておられないが、黄龍という聖獣もいる。
四神の玄武は北、青龍は東、朱雀は南、白虎は西の守護神である。
そして黄竜はそして中央の守護神であるという。
また、黄色は五行説の土に該当し、春夏秋冬それぞれに存在する土用(春土用、夏土用、秋土用、冬土用)を表すともいわれる。
中国古書『荊州占』では、「黄竜(庚辰)は太一の妻」と記されているとのこと。
黄龍は後に麒麟と置き換え、または同一視されるようになったらしい。

↑ これは集安地域の高句麗古墳壁画についての記事だが、墓室の天井に黄龍が描かれている。
天井に描かれているということは、黄龍は天の川を神格化したものなのかもしれない。
寺院の天井に龍が描かれていることがあるが、もしかしたらあれは黄龍をイメージしたものなのだろうか、などと考えてしまう。

四神にはそれぞれ司る方位、季節、そしてその象徴する色などがある。

四神(四獣)    五方 五時   五色   五行 四象     爻      五佐
青龍        東   春   緑(青)  木 少陽     少陽   句芒(こうぼう)
朱雀        南   夏   赤(朱)  火 太陽(老陽) 老陽   祝融(しゅくゆう) / 朱明(しゅめい)
白虎        西   秋   白     金 少陰     少陰   蓐収(じょくしゅう)
玄武        北   冬   黒(玄)  水 太陰(老陰) 老陰   玄冥(げんめい)
黄竜または麒麟   中央  土用  黄     土 后土(こうど)

来村さんも書いてくださっているが、陰陽五行説には『相生説』と『相克説』がある。
『相生説』とは、五行が対立することなく、木火土金水の順で、五元素が順送りに相手を生じていくという説。
『木生火』・・・・・・木は摩擦により火気を生ずる。
『火生土』・・・・・・火は燃焼して灰(土)を生ずる。
『土生金』・・・・・・土は金属を埋蔵している。
『金生水』・・・・・・金属は表面に水気を生ずる。
『水生木』・・・・・・水は植物(木)を育てる。

『相剋説』は五行同士が相互に反発し、木火土金水の順で、五元素が順送りに相手を剋していくとする説。
『木剋土』・・・・・・木は土中の栄養を奪う。
『土剋水』・・・・・・土は水の流れをせきとめる。
『水剋火』・・・・・・水は火を消す。
『火剋金』・・・・・・金属は火に溶ける。
『金剋木』・・・・・・金(斧など)は木を切り倒す。

⓻十干・二十四方位・二十八宿

・十干 (甲乙丙丁戊己庚辛壬癸)は万物は木火土金水から成るとする五行説からくる。)
 甲(きのえ)・・・木の兄
 乙(きのと)・・・木の弟
 丙(ひのえ)・・・火の兄
 丁(ひのと)・・・火の弟
 戊(つちのえ)・・・土の兄
 己(つちのと)・・・土の弟
 庚(かのえ)・・・金の兄
 辛(かのと)・・・金の弟
 壬(みずのえ)・・・水の兄
 癸(みずのと)・・・水の弟 (来村多加史氏)

・二十四方位

二十四方位


・『史記』『封禅書』によれば、人界五帝のうち、青帝・赤帝・白帝・黒帝の四帝を祀る檀を築いたが、中央に祀るべき黄帝太一の祭壇を避け、未の方角で祀られた。(来村多加史氏)

・黄帝に配属される麒麟も未の方角に描かれるべきと考えた孫機氏は、多くの鏡の未の方向に描かれていることを発見した。(来村多加史氏)

なぜこのような祀り方をしたのかについての来村氏の説明

五帝壇配置図
図1

帝    色   五行  方角  二十四方位
黒帝・・・黒・・・水・・・北・・・壬亥
青帝・・・青・・・木・・・東・・・甲寅
赤帝・・・赤・・・火・・・南・・・丙巳
黄帝・・・黄・・・土・・・南・・・丁未  ※本来、土は中央だが、中央を避けて未丁の位置に祀った。
白帝・・・白・・・金・・・西・・・庚申
(来村多加史氏)

方格規矩四神鏡

方格規矩四神鏡は上の図をデザインしたもの(孫機氏 説)

・二十四方位・二十八宿・四神の相関図

二十四方位・二十八宿・四神の相関図

図2

③黄龍は天、麒麟は地?

・五神は、北=玄武、東=青龍、南=朱雀、西=白虎、中央=麒麟だが、麒麟があまり描かれないのは
図1のような偏った配置でなく、図2のように四神(玄武・青龍・朱雀・白虎)を中央においたためではないか。
(来村多加史氏)

私はこの来村氏の意見には納得できない。
図1、図2は平面図だが、本来は立体であるべきで、上が黄龍、下が麒麟なのではないか。
(五神のうち中央は黄龍または麒麟とされる。)

高松塚・キトラ古墳にあてはめて考えれば、天井(上)にある星宿図または天文図が黄龍に置き換えられたと考えられるのではないか。
また下にいると考えられる麒麟は被葬者ということになる。

なぜ麒麟が下なのか。
来村氏は麒麟のモデルは鹿だとおっしゃっていた。
そして「鹿は謀反人の比喩」とする説があり、私はこれを支持している。

日本書紀に「トガノの鹿」という物語がある。
雄鹿が雌鹿に「全身に霜が降る夢をみた」というと、雌鹿は偽った夢占いをして「霜だと思ったのは塩であなたは殺されて全身に塩を振られているのです」と答えた。
雌鹿の言葉通り、雄島は猟師に射られて死んでしまったという。
古には謀反の罪で死んだ人は塩漬けにされることがあったというのだ。

ここから、鹿とは死者のことだと考えられる。

雄鹿の全身に霜が降る、というのは、鹿の夏毛の白い斑点を塩に喩えたものだろう。
そして動物のキリンは五行説の土を表す黄色をしており、白ではなく茶色だが、斑点がある。
ここから、鹿は麒麟という想像上の聖獣へと変化していったのではないか。

とすれば、麒麟も鹿同様、死者を表すものだと考えられるのではないか。

1079290_s.jpg

④最古の四神

最古の四神の例は西水玻遺跡。
新石器時代の貝殻絵で、貝殻を並べて東に龍と西に虎が描かれている。
北側の足元には人の大腿骨日本と三角形に敷き詰めた貝殻を組み合わせてひしゃくの形をつくっていた。
北斗七星か、またはこぐま座かもしれない。
墓の南20mほどの場所には龍、虎、虎の背に乗る鹿、龍の頭に近づく雲が貝殻で表現されていた。
其の25mほどのところにも竜虎がある。(来村多加史氏)

ウィキペディアによれば龍虎のレリーフは6400年前とある。(すべてのレリーフが6400年前かどうかはわからない。)
↑ こちらの記事に図がしめされていた。

●上村嶺虢国墓(じょうそんれいかくこくぼ/春秋時代)から出土した鳥獣紋鏡は、上に鹿、下に鳥、向かって右に虎、向かって左に龍が描かれている。
古い時代には玄武は登場しない。(来村多加史氏)

四神図は一般的に次のようなレイアウトで描かれる。

四神図

東(向かって右)が青龍、西(向かって左)が白虎である。
ところが、鳥獣文鏡は、向かって右には虎、向かって左に龍が配置されていて、一般的な四神図と虎・龍の位置が反対になっている。


鳥獣文鏡

↑ これは鏡の模様のある面を上にして、鹿を北に向けておいた場合の図である。
しかし、鏡面が表なのではないかと思う。
そこで鏡面を上にして鹿を北に向けて(鏡面から鹿鳥龍虎は見えないが)置くと、四神図のレイアウトどおりになる。

・戦国時代初期(紀元前5世紀頃)曾侯乙墓(そうこういつぼ)から出土した衣装箱 
蓋上面に斗の字が描かれ、周囲に二十八宿の字が並ぶ。
南西に白虎、北東に青龍、龍型の面に舟形、虎方に蛙、南東には何も描かれていなかった。
鳥は他の衣装箱に描かれていたが、玄武は描かれていない。(来村多加史氏)

曾侯乙墓出土の漆塗衣裳箱のイラストが掲載されている。

・昔の大型土洞墓では、青龍、白虎、朱雀が描かれるが玄武はあまり描かれない。(来村多加史氏)

・「方に今、平城の地は四禽図に叶ひ・・・」と和銅元年の奈良遷都の詔にある。(梅原猛氏)
「四禽図に叶ひ」とは四神が四方からこの都を守っているという意味だろう。

・四神思想の原典は礼記であり、天子が軍を進めるにあたり、前に朱雀・後ろに玄武・左に青龍・右に白虎の旗をたて、上に北斗七星の柄のところにある星の旗をたてて行進する様を示す。(梅原猛氏)

礼記は周(紀元前1046年頃 - 紀元前256年)から漢(前漢/紀元前206年 - 8年、後漢/25年 - 220年)にかけての儒学者がまとめた礼に関する記述を、前漢の戴聖が編纂したもの。

”四霊(しれい、Siling)は、『礼記』礼運篇に記される霊妙な四種の瑞獣のことをいう。四瑞(しずい)とも。
麟(りん、麒麟)・鳳(ほう、鳳凰)・亀(き、霊亀)・竜(りゅう、応竜)を言う[1][2]。
四神と通用する(四神を四霊(もしくは天之四霊)、あるいは四霊を四神と呼ぶことがある[3])。”
ウィキペディア「四霊」より引用
このときはまだ玄武・青龍・朱雀・白虎ではなくて、麒麟・鳳・亀・龍であったということだろうか。

こちらの記事には『淮南子(えなんじ)』(紀元前139年に献上)に登場する、とある。

⑤四神に守られたものは天皇?

・君主は天の世界の支配者でもある。四神に守られたものが天皇。(梅原猛氏)

つまり梅原猛氏は、高松塚に四神図を描いてあるのは被葬者が天皇に近い人物だとおっしゃりたいのかもしれない。
もし、そういう意味であれば唐や高句麗に四神が描かれている壁画古墳は、皇帝または皇帝に近い人物だということになるが、本当にそうなのだろうか。

⑥唐、高句麗の壁画古墳に描かれた四神

・高句麗の初期の壁画古墳には、人物・風俗を描いている。(小林恵子氏)
5世紀半ばから四神像がみられるようになり、人物・風俗と混在するようになる。
7世紀後半には、雄大な四神像のみ描かれるようになる。(小林恵子氏)

・唐の壁画古墳は10数基のみ。四神像が描かれているのは2基のみ。多くは人物像。
漢代には星宿が描かれていたが後期には天漢(銀河)に変わっている。(小林恵子氏)

・橿原市河西町新沢126号墳出土の円形の漆盤に四神が描かれていた。(小林恵子氏)

これはネットで検索しても画像が出てこないが、そういうものが出土したという記事はある。

⓻高松塚・キトラ古墳に描かれた四神

それでは高松塚・キトラ古墳に描かれた四神を見てみよう。

玄武
玄武

高松塚古墳 玄武 (高松塚壁画館にて撮影 撮影可)

「壁画古墳 高松塚」66ページで網干善教氏は「(高松塚の玄武像は)中央に大きく欠きとった痕跡があって」と記している。
玄武は人為的に削り取られたとみてよさそうである。


玄武

玄武 (キトラ古墳 四神の館にて撮影)

青龍

青龍 高松塚壁画館

高松塚 青龍

首に☒マークがあるのが特徴。薬師寺薬師如来台座の青龍にも同様のマークがある。

薬師寺 青龍



青龍

キトラ 青龍

白虎

白虎

高松塚 白虎

白虎

キトラ 白虎

キトラ古墳の白虎は高松塚古墳の白虎とよく似ているが、向きが逆になっている。
キトラのように向かって右向きに描かれる白虎は珍しいとのこと。
なぜキトラの白虎は逆向きに描かれたのだろうか?

朱雀

朱雀

キトラ 朱雀 

高松塚盗掘穴の石は残っていた。朱雀はないのではなく、漆喰がはがれている。/伊達宗康氏

高松塚古墳壁画の朱雀は漆喰が剥がれ落ちて、紛失されたと考えられているが
梅原猛氏は「最初から朱雀は描かれていなかったのではないか」と意見を述べられている。

「天子が軍を進めるにあたり、前に朱雀・後ろに玄武・左に青龍・右に白虎の旗をたて、上に北斗七星の柄のところにある星の旗をたてて行進する様を示す。」
と梅原氏は書いておられた。

天子は南面して、北から南に向かって軍を進めるということだろう。
しかし南には朱雀がないので、被葬者は軍を南に進めることができないという呪術的しかけなのだろうかと考えたりした。

衣装箱の場合だと、大事な衣装が外にでていかない。つまり、衣装持ちになれる。そういうわけで朱雀を描いていないのではないかと考えるのは、トンデモだろうか?(笑)



次回へつづく~
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