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シロウトが高松塚キトラ古墳を考えてみた。まとめnew③大きさ



キトラ古墳はやや小さいが、高松塚は小さくはない。

①薄葬令の墳墓の大きさの規定は無視されている。

森浩一氏などが「高松塚古墳は薄葬令(646年)の影響がある。」と指摘されている。
646年の薄葬令では、古墳の大きさを次のように規定する。

王以上・・・・・・内部(長さ9尺 幅5尺 高さ不明)封土(一辺 9尋 高さ5尋)
上臣・・・・・・・内部(長さ9尺 幅5尺 高さ不明)封土(一辺 7尋 高さ3尋)
下臣・・・・・・・内部(長さ9尺 幅5尺 高さ不明)封土(一辺 5尋 高さ2.5尋)
大仁・小仁・・・・内部(長さ9尺 幅4尺 4尺)封土なし
大礼から小智・・・内部(長さ9尺 幅4尺 4尺)封土なし
庶民・・・・・・・地に収め埋める


『壁画古墳 高松塚 ₋調査中間報告/奈良県教育委員会・奈良県明日香村(昭和47年)』などの古い書籍では高松塚古墳の大きさを直径18mと記している。
しかし、ウィキペディア『高松塚古墳』は「直径23 m(下段)及び18 m(上段)、高さ5mの二段式の円墳」と記している。
昭和47年当時、高松塚古墳は二段式の円墳であることがわかっていなかったのかもしれない。

薄葬令の一尺が何メートルに該当するのかわからないが、検索すると1尋は1.5m、古代中国では8尺(約1.m)とでてくる。
1尋を1.5mとすると、高松塚古墳は直径15.3尋、高さ3.3尋、1尋を1.8mとすると12.8尋、高さ2.8尋。
いずれにしても直径は薄墓令の王以上の規定・9尋を超えるサイズになる。

いくつか古墳の大きさを調べて、方の大きい順に並べてみた。
王以上の規定(方9尋、高さ5尋)以上の古墳は赤でしめす。
※1尋は2mとして計算している。1尋=1.8m、1.5mとした場合の1尋は下の数値よりさらに大きくなる。


野口王墓(天武 /686・持統/702)・・・・ ・・東西29尋(58m)・高さ4.5尋(9m)
岩屋山古墳(被葬者不明)・・・・・・・・・・・方22.5尋(45m)、高さ6尋(12m)               
束明神古墳(草壁皇子/689)・・・・・・・ ・・対角長15尋(30m)
※ 現在の墳丘は対角長直径10m程だが、中近世の神社境内の整備による。発掘の結果、対角長30mの八角形墳であったことが判明した。
菖蒲池古墳(蘇我入鹿?/645)・・・・・・・方15尋(30m)、高さ3.75尋(7.5m)
栗原塚穴古墳(文武天皇陵に治定されているが、別の古墳である可能性が大きい)・・・・径14尋(28m)、高さ1尋(2m)
高松塚古墳(被葬者不明)・・・・・・・・・・・径11.5尋(23m)・高さ2.5尋(5m)
真弓鑵子塚古墳(被葬者不明)・・・・・・・・・径11.5尋(23m)、高さ2.5尋(5m)
牽牛子塚古墳(斉明天皇/661・間人皇女/665) ・・対辺長11尋(22m)・高さ2尋(4m)
                       ※石敷・砂利敷部分を含むと32m 
園城寺亀丘古墳(大友皇子/672)・・ ・・・・・径10尋(20m)・高さ2.15尋(4.3m)
中尾山古墳(文武天皇真陵であることが確実/707)・・・・・・・・・対辺長9.75尋(19.5m)・高さ2尋(4m)
岩内1号墳(有馬皇子/658)・・・・・・・・・ 方9.65尋(19.3m)  
薄葬令(王以上/646年制定) ・・・・・・・・・方9尋(18m)・高さ5尋(10m)
久渡古墳群2号墳 (高市皇子墓とされているが疑問)/696)・・・・・・径8尋(16m)
キトラ古墳(被葬者不明)・・・・・・・・・・・径6.9尋(13.8 m)・高さ1.65尋(3.3m)
越塚御門古墳(大田皇女/667)・・・・・・・・ 方5尋(10m)
鳥谷口古墳(大津皇子/686)・・・・・・・ 方3.8尋(7.6m)
※大津皇子の墓は二上山墓に治定されているが、鳥谷口古墳が有力視されている。

このようにしてみると薄葬令の「方の規定」はほぼ無視して古墳は築かれているように思える。
一方、高さは薄葬令の規定以下のものが多い。
これは力学的、技術的に薄葬令の高さに近いものをつくることが難しかったということかもしれない。

また、キトラ古墳の墳墓はまあ、小さい部類に入るかもしれないが、高松塚古墳の墳墓は決して小さい古墳とはいえない。

②高松塚の石槨は小さいが墳墓は決して小さくはない。キトラは石槨も墳墓も小さい。

薄葬令は石槨の大きさも規定している。
石槨とは「 石で築いてつくった、棺を納める室」のことである。
横穴式石室の事を玄室とも言い、石槨と玄室はほぼ同じ意味であると考えていいのではないだろうか。

王(みこたち)以上        ・・・長さ9尺、高さ広さ5尺
上臣(大臣、大宝令では三位以上) ・・・長さ9尺、高さ広さ5尺
下臣(大徳小徳 大宝令では四位) ・・・長さ9尺、高さ広さ5尺
大仁小仁以下(五位以下)     ・・・長さ9尺、高さ広さ4尺

尺について、ウィキペディアはつぎの様に記している。
隋代には、一般に使われる長い尺を大尺、旧来の短い尺を小尺として制定し、唐でもそれを継承した。大尺は小尺の1.2倍にあたる。唐の大尺は、日本の正倉院蔵の尺の長さの平均によって296 mm前後と推測されている。唐代以後は小尺は使われなくなった。

とりあえず1尺30cmとして各古墳の石槨の大きさを求め、薄葬令より大きなものは赤で示す。
※羨道の大きさは省いた。

羨道、墓道、玄室の意味は下記イラストがわかりやすい。

横穴各部の名称

柏原私立歴史資料館 説明板より


野口王墓(天武 /686・持統/702)・・・・ ・・不明
岩屋山古墳(被葬者不明)・・・・・・・・・・・長さ16.3尺(4.9m)、幅9尺(2.7m)、高さ10尺(3m)            
真弓鑵子塚古墳(被葬者不明)・・・・・・・・・奥室:長さ12.3尺3.7m、幅7.3尺(2.2m)、高さ8尺 2.4m 
                       玄室:長さ 21.7尺(6.5m)、幅14.3尺(4.3m)、高さ14.3尺(4.3m)
牽牛子塚古墳(斉明天皇/661・間人皇女/665) ・・長さ11.7尺16.7尺(3.5m)、幅16.7尺(5m)、高さ8.3尺(2.5m)
                       ※牽牛子塚古墳の被葬者は2人仕切り壁で2つの空間に仕切られている。
束明神古墳(草壁皇子/689)・・・・・・・ ・・長さ10.2尺(3.06m)幅7.1尺(2.12m)推定高さ8.3尺(2.50m)
菖蒲池古墳(蘇我入鹿?/645)・・・・・・・・長さ24尺(7.2m) ・幅8.3尺(2.5m)高さ11.67尺(3.5m)
栗原塚穴古墳(文武天皇陵に治定されているが、別の古墳である可能性が大きい)・・・・不明
薄葬令(四位以上)・・・・・・・・・・・・・長さ9尺(2.7m)、広さ5尺(1.5m)、高さ5尺(1.5m)
薄葬令(五位以下)・・・・・・・・・・・・・長さ9尺(2.7m)、広さ4尺(1.2m)、高さ4尺(1.2m)
高松塚古墳(被葬者不明)・・・・・・・・・・・長さ8.9尺(2.655m)、幅3.5尺(1.035m)、高さ3.8尺(1.134m)                   
岩内1号墳(有馬皇子/658)・・・・・・・・・長さ8.3尺(2.48m)、幅6.7尺(2m)
                      開口部は幅1.3尺(0.4m)・高さ1.7尺(0.5m)
園城寺亀丘古墳(大友皇子/672)・・ ・・・・・不明
中尾山古墳(文武天皇/707)・・・・・・・・・長さ3尺(0.9m、 幅3尺(0.9m)、 高さ、?
                       ただし、中尾山古墳の被葬者は火葬されている。 
久渡古墳群2号墳 (高市皇子?/696)・・・・・?
キトラ古墳(被葬者不明)・・・・・・・・・・・長さ8.7尺(2.6m)、幅3.3尺(1m)、高さ0.65尺(1.3m)
越塚御門古墳(大田皇女/667)・・・・・・・  長さ8尺(2.4m)、幅3尺(0.9m)、高さ2尺(0.6m)
鳥谷口古墳(大津皇子/686)・・・・・・・ ・長さ5.3尺(1.58m)・幅2尺(0.6m)・高さ2.3尺(0.7m)


このように見てみると、石槨(玄室)も薄葬令の規定より大きい物が多くある。
その中で高松塚古墳、キトラ古墳の石槨は「小さい」といえそうである。

③墳丘指数

掘田啓一氏は、墳丘指数を勘案されているそうである。
墳丘指数=高さ÷直径✖100

実際に①で示した古墳の墳丘指数(緑色で示す)を計算して、大きい順に並べてみよう。

薄葬令(王以上/646年制定) ・・・・・・・・・方9尋(18m)・高さ5尋(10m)    55.56
岩屋山古墳(被葬者不明)・・・・・・・・・・・方22.5尋(45m)、高さ6尋(12m)   26.67               
菖蒲池古墳(蘇我入鹿?/645)・・・・・・・方15尋(30m)、高さ3.75尋(7.5m)            25.00
キトラ古墳(被葬者不明)・・・・・・・・・・・径6.9尋(13.8 m)・高さ1.65尋(3.3m)  23.91
高松塚古墳(被葬者不明)・・・・・・・・・・・径11.5尋(23m)・高さ2.5尋(5m)  21.74
真弓鑵子塚古墳(被葬者不明)・・・・・・・・・径11.5尋(23m)、高さ2.5尋(5m)   21.74
中尾山古墳(文武天皇真陵であることが確実/707)・・・対辺長9.75尋(19.5m)・高さ2尋(4m)20.51
園城寺亀丘古墳(大友皇子/672)・・ ・・・・・径10尋(20m)・高さ2.15尋(4.3m)   19.54
牽牛子塚古墳(斉明天皇/661・間人皇女/665) ・・対辺長11尋(22m)・高さ2尋(4m)       18.18
                       ※石敷・砂利敷部分を含むと32m 
野口王墓(天武 /686・持統/702)・・・・ ・・東西29尋(58m)・高さ4.5尋(9m)          15.5
栗原塚穴古墳(文武天皇陵に治定されているが、別の古墳である可能性が大きい)・・・・径14尋(28m)、高さ1尋(2m)7.14

束明神古墳(草壁皇子/689)・・・・・・・ ・・対角長15尋(30m)高さ?                       
岩内1号墳(有馬皇子/658)・・・・・・・・・ 方9.65尋(19.3m) ? 
久渡古墳群2号墳 (高市皇子墓とされているが疑問)/696)・・・・・・径8尋(16m)?
越塚御門古墳(大田皇女/667)・・・・・・・・ 方5尋(10m)?
鳥谷口古墳(大津皇子/686)・・・・・・・ 方3.8尋(7.6m)?
                      ※大津皇子の墓は二上山墓に治定されているが、鳥谷口古墳が有力視されている。


このように比較してみると、高松塚古墳は直径が変更されたせいもあって、さほど墳丘指数が大きいということはないと思う。

高松塚古墳

高松塚古墳

キトラ古墳

キトラ古墳

牽牛子塚古墳

牽牛子塚古墳(斉明天皇、間人皇女の墓である可能性が高い。隣接して越塚御門古墳があり、大田皇女の墓の可能性が高い。)

野口王墓

野口王墓(天武・持統陵)

文武天皇陵

栗原塚穴古墳(文武天皇陵とされているが、文武天皇陵は中尾山古墳の可能性が高い。)

中尾山古墳

中尾山古墳(文武天皇陵の可能性が高い)

かんす塚古墳

真弓鑵子塚古墳 被葬者は不明

束明神古墳

束明神古墳
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