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モースが見た明治期の日本② 昆虫食、市立救貧院は動物園の檻


↑ 青空文庫 日本その日その日
JAPAN DAY BY DAY
エドワード・シルヴェスター・モース Edward Sylvester Morse
石川欣一訳
※ピンク色文字はすべて「日本その日その日/エドワード・シルヴェスター・モース」からの引用。

モースはJAPAN DAY BY DAYにおいて、日本人は正直だと盛んにほめてくださっている。
ネットの記事、動画などをみると、このモースの文章を引用して「日本すばらしい」という日本人が結構いるように思える。
「日本すばらしい」というだけならまだしも、モースの文章を引用して「欧米文化は日本文化に劣る」という人までいる。
これは自分の事はへりくだり、相手の事は立てるという日本人の心を失った発言であるようにも感じられた。
逆にモースのほうが、自分のことはへりくだり、相手の事は立てているようにも思える。

そしてJAPAN DAY BY DAYをよむと、モースは必ずしも日本をほめているだけではない。
モースが日本をほめているところだけを抜き出して「日本すばらしい」とやるのはいうまでもなく、チェリーピッキングである。

そこで、私はあえて、モースが日本についてほめていない部分や、現代人が明治を勘違いしていそうな記述について引用してみることにした。

③昆虫食

これはモースが日本をほめていない文章ではない。
そうではあるが、最近、ネットで「日本人は昔から飢饉の際にも昆虫は食べなかった」とする記事や動画があったので記しておこうと思う。
現在でも、イナゴやスズメバチ、ハチノコなどは食べられている。
”下層民が使用する食物の名を列記したら興味があるであろう。海にある物は殆ど全部一般国民の食膳にのぼる。魚類ばかりでなく、海胆(うに)、海鼠(なまこ)、烏賊(いか)及びある種の虫さえも食う。
ある場所では一人の男が、ばったを食料品として売っていた。ばったは煮たか焙ったかしてあった。私は一匹喰って見たが、乾燥した小海老みたいな味がして、非常に美味いと思った。ばったは我国にいる普通のばったと全く同一に見えた。我国でだって、喰えぬという理由は更に無い。”
※「ばった」は漢字で「虫+奚」、「虫+斥」、で記されているが、変換しないので、平仮名表記とした。

モースがいう「ばった」とは「イナゴ」のことかもしれない。
イナゴはバッタの一種だということである。

また「下層民が」という言葉があり、「上層民」がいたことを示している。
「日本は平等で階級制、身分制度はなかった」という人をみかけるが、そんなことはなかっただろう。

いなご
”晩飯に私は海産の蠕(ぜん)虫――我国の蚯蚓みみずに似た本当の蠕虫で、只すこし大きく、一端にある総ふさから判断すると、どうやら Sabellaの属〔環形動物毛足類毛足多毛目サベラリア・アルベオラタ〕に属しているらしい。これは生で食うのだが、味たるや、干潮の時の海藻の香と寸分違わぬ。私はこれを大きな皿に一杯食い、而もよく睡った。”
「而もよく睡った。」とあるのは「皿もよく舐(ねぶ)った」という意味ではないかと思うがどうだろう?
「舐る」とは「なめる」という意味である。
そうでないと意味が通じないように思う。

⓶日本に障害のある人が少なかった理由

”この国民に奇形者や不具者が、著しくすくないことに気がつく。その原因の第一は、子供の身体に気をつけること、第二には殆ど一般的に家屋が一階建てで、階段が無いから、子供が墜落したりしないことと思考してよかろう。指をはさむドアも、あばれ馬も、噛みつく犬も、角ではねる牛もいない。牝牛はいるが必ず紐でつながれている。鉄砲もピストルもなく、椅子が無いから転げ落ちることもなく、高い窓が無いから墜落もしない。従って背骨を挫折したり[#「背骨を挫折したり」はママ]することがない。”
前回、モースが「日本に乞食は少ない」と書いているのは、乞食は監獄に入れられていたからだと書いた。

”1869年(明治2年)に東京府が乞食行為を禁止したことを嚆矢として全国的に乞食行為への取り締まりが行われ、1871年(明治4年)には賤民廃止令により身分としての乞食も亡くなった。

”東京府における監獄が浮浪・乞食にどのように介入していたのかを達で確認すると、明治 11(1878)年 7 月 5 日警視庁達第 106 号では、乞食体の者及び無籍者を市ヶ谷監獄に送致するよう達し、浮浪・乞食の監獄収容を行う 5)。また、同日
の同達 115 号では、他県の者でも東京府のものでも「瘋癲ヲ発シ候者」で引取人のいない者は監獄署に送付するよう定め、その書式も提示している。”

”「脱籍無産ノ者」の死亡者の数の多さは懲治監の衛生環境が良くなかったこともあるだろうが、先述の通り警視庁達で行旅病人死亡法にかかる者や「瘋癲ヲ発シ候者」が監獄送りになっていたことを考えると、むしろ病弱な者を多く収容してい
たと見るべきであろう。”

※瘋癲(ふうてん)・・・精神疾患、無職で町中をふらつくこと。

身体に障害があって定職に就けない人は、多く監獄に入れられたのではないかと思うがどうだろう。

③精神疾患のある人々は檻に入れられていた。
”市立救貧院へ行った時は悲しかった。ここには何人かの狂人が入れられていた。これ等の不幸な人達が、長く並んだ、前に棒のある部屋に、まるで動物園の動物みたいに入っているのは、悲しい光景であった。番人達は、恐怖の念を以て彼等を見るらしく思われる。彼等は親切に取扱われてはいるが、全体として、狂人を扱う現代的の方法には達していない。私はニューヨーク州のユテイカにある大きな収容所で見たのと同じ様な、痴呆と欝憂病の典型的な容態を見た。私はある人々と握手をし、彼等はすべて気持よく私と話したが、彼等の静かな「サヨナラ」には何ともいいようのない哀れな或物があった。”
「市立救済院」というのは⓶で述べた、監獄のようなところだろうか?
「瘋癲(精神疾患)ヲ発シ候者」は監獄送りであったといい、モースのいう「市立救済院」には、前の棒があったという。
前に棒があるというのは、檻のことだからだ。

④繕い物をする男性

”今日実験所の小使が子供の衣類をつくろっていた。彼の細君は私の宿屋の女中をしていて、こんな仕事をする暇がないのである(図167)。”

「日本では男女は役割分担がされていた。男は外にでて働き、女は家の仕事をした。だから現在の女性も家の仕事をするべき。子育てや家事は立派な仕事である。」というようなことを言う人がいる。

しかしモースは、彼の下で働く男性の妻は宿屋で働いていて、繕いものをするひまがない、といっている。

またシドモアもこう書いている。

”さらに痛ましい光景は、夕暮れ時、婦人たちが赤ちゃんを背にし、作業倉庫から家路へとぼとぼ歩いて帰る姿です。赤ちゃんといえば、一日中倉庫の前庭で遊びまわる兄や姉の背中で跳ねたり、母親のいる炭火鍋に違い、片隅の安全なところに寝かせられたりします。
以前、とても教養のある婦人に「なぜ、託児所や全日保育の運営を慈善事業として考えないのですか?」と尋ねたことがあります。その答えは、「外人共同社会はあまりにも小規模なため、そのような制度を支えるのは財政的にとても無理です」とのことでした。各倉庫には大きな専用託児所を必要としますが、貧しい婦人たちは、稼ぎがわずかなため負担する余裕もなく、この問題は倉庫責任者地震が解決しなくてはなりません。”

「シドモア日本紀行 明治の人力車ツアー /エリザ・E・シドモア 外崎克久 訳  講談社学術文庫」p442 より引用

昔の女性は家にいて家事・子育てをしていたと思っている人がいるが、明治期に赤ん坊を職場につれてきて仕事をしていた女性がいたのだ。
日本で専業主婦が定着したのは戦後の1950年代とされる。

⑤チップをうけとった見世物屋

”この見世物の入場料が、一セントの十分の一だということを知らぬ私は、二セント出した所が、男は非常にうやうやしく礼をいったあげく、入場券を渡したが、それは長さ一フィートの木の札だった。”
「日本はチップを受け取らない正直な文化で、欧米のチップを受け取る文化はよくない」という人がいる。
しかし、この人は、0.1セントのものを2セント受け取っている。1.9セントはチップといえる。

また、日本にも「おひねり」や「ご祝儀」という習慣はあった。
遊郭の女性が働いているのはほとんどすべて借金の返済なので、客からのご祝儀が無ければ現金収入がなかったのではないかと思う。
チップ、おひねり、ご祝儀を受け取ることが悪いともいえない。

⑥報酬を断ったモース

”翌日江木氏が私の宅を訪問し、入場料は十セントで学生は半額、部屋の借代がこれこれ、広告がこれこれと述べた上、残りの十ドルを是非とってくれと差出した。こんなことは勿論まるで予期していなかったので、私は断ろうとした。然し私は強いられ、そこで私は、前日が、そもそも組織的な講演会という条件のもとに、外国人が講義をした最初だと聞いたので、この十ドルで何か買い、記念として仕舞っておくことに決心した。この会は私に、連続した講義をしないかといった。私は、秋になったら、お礼をくれさえしなければやると申し出た。主題はダーウィン説とする。”

”我々は町唯一つの茶店へ、路を聞き聞き行ったが、最初に私の目についたのは、籠に入った僅な陶器の破片で、それを私は即座に、典型的な貝墟陶器であると認めた。質ねて見ると、これは内陸の札幌から来た外国人の先生が、村の近くの貝墟で発見したもので、生徒達に、彼等が手に入れようと希望している所の、他の標本と共に持って帰る事を申渡して、ここに置いて行ったのだとのことであった。私は直ちに鍛冶屋に命じて採掘器具をつくらせ、午後、堆積地点へ行って見ると、中々範囲が広く、我々は多数の破片と若干の石器とを発見した。私は札幌の先生が、もしこれ等を研究しているのならば、今日の発掘物も進呈しようと思っている。”

私がこれらの文章を引用したのは、「欧米人はお金で動く」という人がいるからである。
しかしモースは「お礼がなければ講義をする」「今日の発掘物も進呈しようと思っている。」と言っている。
このモースの行動が、欧米において特殊な行動であったといいきることはできない。
そもそも「欧米人はお金で動く」と言っている人は、なぜ「欧米人はお金で動く」といえるのか、その根拠を示していない。

⓻アイヌの刺青より日本人のお歯黒のほうが醜悪

”我々が小舎にいた時、アイヌ女が一人入って来た。彼女の顔は大きく粗野で、目つきは荒々しく、野性を帯びていた。彼女は一種の衣類を縫いつつあったが、ちょいちょい手を休めては蚤を掻いた。私は今迄にアイヌの女を三人見たが、皆口のまわりに藍色の、口鬚に似た場所を持っていた(図366)。これは奇妙な習慣であり、見た所は勿論悪いが、日本人の既婚婦人の黒い歯の方が倍も醜悪である。”

アイヌの刺青や、中国の纏足を醜いという人がいるが、外国人から見て、日本のお歯黒も醜悪に映ったといういことは知っておいたほうがいいだろう。
私はこれらは単に美意識の違いの問題で、どちらが優れているか等を測ったりはできないものだと思う。

東京の人力車の客引き

”人力車も、ここでは非常に数が少ない。東京の車夫が、うるさく客を引くことから逃れた丈でも、気がせいせいする。”

客引きは現在でも、夜の町などで行われているが、鬱陶しいものである。同様のことが、明治の東京でもあったのである。




「これらは一例であって、日本のすべてをあらわすものではない」という反論があるかもしれない。
そのとおりである。
しかし、そうであればモースが日本について褒めている点も一例から数例といえ、日本のすべてがそうだというわけではない。
前回ものべたが、誠実さなどを国別で比較するのであれば、誠実の定義を決め、10万人あたりの犯罪率などで比較するべきだと思う。


モースが見た明治期の日本③モースはアメリカ人のためになると考えて日本人をほめた。 へつづく~



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