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人形の涙⑨ 吉田神社 追やらい神事 『弓で射られる方相氏』 

人形の涙⑧ 手向山八幡宮 お田植祭 『御田植祭は追儺式を陽に転じた神事だった?』 よりつづく~

東一条通の北側は京都大学メインキャンパス、南側は吉田南キャンパスであり、東一条通は京都大学を分断する形で東西に伸びているが、それはそのまま吉田神社への参道となっている。

参道には露天商がずらりと並び、節分詣の参拝者で賑わっていた。
中には節分の縁起物である鰯を焼く店もあり、生臭い煙がたちこめていた。

京大志望の受験生は吉田神社に合格祈願に行くと必ず落ちる、という都市伝説がある。
一般には、吉田の神様は隣にある京大の学生の日ごろの行いをいつも見ていて、京大生にいい印象を持っていないからだなどと言われている。

しかし私はこのような都市伝説が生じたのは、吉田神社が藤原氏の神社であるからではないかと思う。
吉田神社は859年に藤原山蔭が藤原氏の氏神である奈良の春日大社の神を勧請して創祀した。
一方、学問の神とされるのは菅原道真である。
菅原道真は左大臣・藤原時平の讒言を受けて大宰府に左遷となり、失意のうちに死亡している。
道真は藤原氏を憎んでいるにちがいない。
それで藤原氏の神を祀る吉田神社を参拝する受験生は,道真公のご利益が受けられないと考えられたのではないだろうか。

吉田神社 方相氏 と しん子

冬の短い日が沈み、吉田神社の境内が闇に包まれると鬼やらい神事が始まった。
隣にいた少年が「鬼が来た!」と叫んだ。

赤い顔、金色に輝く四つの目、頭頂にはえた一本の角。赤い袍に高下駄を履き、右手には三叉に分かれた鉾を、左手には大きな楯を持っている。

しかしやってきたのは鬼ではない。
これは方相氏と呼ばれるものである。鬼に似ているが、方相氏は鬼を祓う正義の味方である。
そのあとに10人の童子(シン子と呼ばれる。シンの字は人偏に辰。)が続く。

吉田神社 節分祭 赤鬼

吉田神社 節分祭 青鬼

吉田神社 節分祭 黄鬼

次に赤鬼・青鬼・黄鬼が現れ、参拝者たちをおどす。
そして方相氏vs鬼の戦いとなる。
3匹の鬼はこん棒を持って方相似氏に向かっていくが、方相氏が鉾を振り下ろすと腰砕け状態となり、あたふたと山へと逃げ帰って行った。

吉田神社 節分祭 鬼と方相氏

方相氏は中国の天神、蚩蚘(シュウ)ではないかという説がある。
蚩蚘は炎帝神農氏の子孫であり、兵器を発明し、霧をあやつる力を持つ神である。

『帰蔵』という書物にには、『蚩蚘は八肱(八つの膝)、八趾(八つの足)、疏首(別れた首)を持つ』とある。
『疏首』というのは、首が二つあるということだろう。
私は蚩蚘とは二頭の獣が合体した神なのだと思う。
そう考えると蚩蚘が『八肱(八つの膝)、八趾(八つの足)』をもっていることの説明もつく。
獣は四趾(四つ足)である。四趾×2頭=八趾。
一本の脚に一肱(ひとつの膝)がある。獣は四足(四趾)なので四肱(四つの膝)がある。四肱(四つの膝)×2頭=八肱となる。

また『述異記』には『銅の頭に鉄の額、鉄石を食し、人の身体、牛の蹄、四つの目、六つの手を持つ』とある。
『四つの目』とあるのも二頭が合体しているからだろう。
二頭を合わせると足は8本だが、人の身体をしているとあるので、8本の足のうち2本が脚で、残りの6本が手(腕)ということだろう。

吉田神社 方相氏 と しん子

枕草子や源氏物語などに追儺式に登場する方相氏の記述がある。
それらの記述から平安時代の追儺式は次のようなものだったと考えられている。

追儺式は戌の刻(午後八時頃)に始まる。
天皇は紫辰殿に出御し、陰陽師が祭文を読みあげる。
次に方相氏が二十人ほどのシン子を従えて登場する。
方相氏は四つ目の黄金の面を着け、真っ赤な衣装(或いは上が黒、下が赤とも)を纏う。
方相氏は大舎人の中から体格のいいものが選ばれた。
方相氏は矛と盾を持ち、矛を地面に打ち鳴らして『鬼やらい、鬼やらい』と唱えて宮中を歩き回る。
その後に殿上人たちが桃の弓と葦の矢を持って続いた。


桃の弓と葦の矢を持つのは、桃や葦に邪気を祓う力があるとされていたためである。

平安時代の追儺式と、吉田神社の追儺式には大きな違いがある。
もう一度、平安時代の追儺式についての記述を読んでほしい。
そう、平安時代の追儺式には方相氏は登場するが、鬼は登場しないのだ。
平安時代には鬼は目に見えないものとして追儺式が行われていたのだろう。
吉田神社のように、追儺式に鬼が登場するようになるのは、もう少し後の時代のことだと考えられる。

吉田神社 節分祭 赤鬼

平安時代後期の人物、大江匡房の『江家次第』には『殿上人長橋の内に於いて方相を射る』とある。
なんと鬼を祓う正義のヒーロー、方相氏を射るというのである。

さらには室町時代の『公事根源』には、『鬼といふは方相氏の事なり。四目ありておそろしげなる面をきて、手に盾・鉾を持つ。』とある。

方相氏は怖そうな顔をしているので鬼と間違えられたのだろうか。
そういえばさきほど方相氏をみて「鬼が来た」と言った少年がいたではないか。
しかし私は、『江家次第』や『公事根源』が方相氏と鬼を混同したのではないと思う。

前回の記事の中で私は次のように書いた。
平安時代の延喜式には
『大寒の日に宮中の12の門にそれぞれ土牛を引くの童子を象った人形を立てる。これを立春の日の前夜(節分の夜)に撤去する』
とあると。

牛は丑、童子は八卦では艮(丑寅)を表す。
干支で12か月を表現すれば、丑は12月、寅は1月である。
牛は丑で12月を、童子は丑寅で12月と1月のあいだ、つまり1年の変わり目を表すものだと考えられる。
その像をなぜ大寒の日に門にたて、節分の夜に撤去するのだろうか。
それは『土牛を引く童子の像』が『身代わり人形』で、その像の中に冬の気を吸い込むことで、冬の気が宮中に入るのを阻止すると考えられたためではないだろうか。

ここから発展したのが方相氏による追儺式なのではないだろうか。
動かない人形よりも動く方相氏によって、もっと積極的かつ徹底的に冬の気を吸い込ませようというのだろう。
そして方相氏が冬の気を体内いっぱいに吸ったところで弓を射て、冬の気を一気に退治するという意図があったのではないだろうか。

息を吹きかけて穢れを移され、川や海に流されて葬られる人形と、方相氏は同じ役割を担わされているのだ。

下鴨神社 流し雛

下鴨神社 雛流し


貴船神社 夏越祓

貴船神社 名越の祓

方相氏の正体は2頭の牛が合体したものだと考えられる。
そしてシン子は『童子』である。
つまり、シン子を引き連れた方相氏とは『牛を引く童子の像』と同じ意味を持つものだと考えられる。
方相氏は牛なので、干支の丑、12月をあらわしている。
シン子は童子で、童子は八卦では艮(丑寅)をあらわしている。
丑は12月で寅は1月なので、童子=シン子は1年の変わり目をあらわすもの、ということになる。
つまり、方相氏とシン子は目に見えない冬の気を視覚化したものだとも考えられる。

大寒の日、諸門にたてられた牛と童子の像は節分の日に撤去される。
撤去されたのち、どうされたのかは記述にないのでわからないが、流し雛のように川や海に流されたのかもしれない。
あるいは炮烙(ほうらく)のように割られるか。

壬生寺や千本閻魔堂では節分の日に炮烙を奉納し壬生寺は4月に、千本閻魔堂では5月の狂言の舞台で割る。

千本閻魔堂 炮烙割り 
千本閻魔堂 炮烙割り

方相氏とシン子も土牛や童子の像と同じ性質のもの、身代り人形だったと考えられる。
すなわち、その体内に冬の気を吸い込んだのち、弓で射られて殺される必要があったのではないだろうか。
それで、『江家次第』に『方相を射る』と記されているのだと思う。
『江家次第』を表した大江匡房は鬼と方相氏を混同したわけではないと思う。

『公事根源』に、『鬼といふは方相氏の事なり。』とあるのも、間違いだとは言い切れないと私は思う。

すでに見たとおり、方相氏は二頭の牛が合体した神だと思われる。
なぜ二頭の牛が合体しているのか。

密教の神・大聖歓喜天にこんな話がある。

インドのマラケラレツ王は大根と牛肉が大好物であった。
牛を食べつくすと死人の肉を食べるようになり、死人の肉を食べつくすと生きた人間を食べるようになった。 
群臣や人民は王に反旗を翻した。
すると王は鬼王ビナヤキャとなって飛び去ってしまった。 
その後国中に不幸なできごとが蔓延し、それらはビナヤキャの祟りであるとされた。
そこで十一面観音はビナヤキャの女神に姿を変え、ビナヤキャの前に現われた。
ビナヤキャはビナヤキャ女神に一目ぼれし、『自分のものになれ』と命令した。
女神は『仏法を守護することを誓うならおまえのものになろう』と言い、ビナヤキャは仏法守護を誓った。 


Icon of Shoten

https://commons.wikimedia.org/wiki/File%3AIcon_of_Shoten.jpg
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/c7/Icon_of_Shoten.jpg よりお借りしました。
作者 不明 (平安時代の図像集『別尊雑記』(心覚 撰)巻 42より) [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由で

神はその表れ方によって御霊(神の本質)・和魂(神の和やかな側面)・荒魂〈神の荒々しい側面)の3つに分けられ、女神は和魂、男神は荒魂だとする説がある。
とすれば、御霊とは男女双体ということになると思う。

大聖歓喜天の話は、この御霊・和魂・荒魂という概念にぴたりとあてはまる。

御霊・・・神の本質・・・・・・・男女双体・・・大聖歓喜天・・・・・方相氏(二頭の牛が合体している。)
和魂・・・神の和やかな側面・・・女神・・・・・ビナヤキャ女神・・・雌牛
荒魂・・・神の荒々しい側面・・・男神・・・・・ビナヤキャ・・・・・雄牛

大聖歓喜天の話から、男女を和合させるというのは、荒ぶる神を仏法守護の神に転じさせる呪術であったと考えられる。

牛の男神は1柱では鬼であるが、牛女神をあわせて男女双体にすれば、仏法守護の神に転じる。
それが方相氏の正体だと私は思う。



人形の涙⑩ 貴船神社 夏越の祓 『夏越の祓とユダヤの過越祭』 へつづく~
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[2018/05/11 09:23] 人形の涙 | トラックバック(-) | コメント(-)