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高松塚古墳・キトラ古墳を考える⑨歯が第2大臼歯であろうと、第3大臼歯であろうと30歳以下の可能性は低いことを示した。※追記あり。

トップページはこちらです。→①天智・天武・額田王は三角関係?

高松塚古墳 光の地上絵 四神

高松塚古墳 光の地上絵 キャンドルで四神を描いたもの

弓削皇子は30歳以下で亡くなった。

弓削皇子の薨去年は699年だが、生年は不明である。
しかし、673年ごろに生まれたと考えられている。

弓削皇子は693年に同母兄の長皇子とともに浄広弐に叙せられている。
大宝律令の蔭位の制によれば、親の位階によってその子孫が21歳になったときに位が与えられることになっていた。

蔭位資格者は皇親・五世王の子、諸臣三位以上の子と孫、五位以上の子となっている。

親王の子 → 従四位下
諸王の子 → 従五位下
五世王の嫡子 → 正六位上(庶子は一階を降す)

諸臣
一位の嫡子 → 従五位下
以下逓減して
従五位の嫡子 → 従八位上
(庶子は一階を降し、孫はまた一階を降す)

つまり、弓削皇子は浄広弐に叙せられた693年、21歳だったと考えられる。
すると、693年-21歳=672年となるが、21歳というのは数え年だと思われる。
数え年とは生まれたときを1歳とし、元日に年齢をひとつ加算していく年齢のカウント方法である。
なので、弓削皇子の生年は672年+1歳=673年。
弓削皇子の薨去年は699年なので、699年-673年=26歳(数え年では27歳)となる。

⓶「被葬者が30歳以下の確率は約半分もある」は間違いだと思う。

島五郎氏は高松塚古墳の被葬者の年齢を次のように鑑定された。
骨の鑑定結果・・・30歳~70歳までの男子。筋骨たくましい初老の大男。
1本だけ残っていた歯の摩耗状態・・・40歳~50歳

梅原猛氏はこの鑑定結果を「異議あり」とされている。

梅原氏は高松塚古墳の被葬者を弓削皇子ではないか、としておられるが、弓削皇子は30歳以下で亡くなったと考えらえている。
したがって、島五郎氏の鑑定結果が否定されなければ、梅原氏の説は認められないことになる。
そういう意味で、島五郎氏がどのように高松塚古墳の被葬者の年齢を鑑定したのか、
梅原氏はどのような理由で島氏の鑑定を「異議あり」としたのか。
これは大変重要なところである。

梅原氏が創元社刊『高松塚壁画古墳』170pから引用されている島氏の鑑定は次のような内容である。

❶骨盤があればほぼ確実に性を決定できるのだが、小さな破片しか残っていなかった。

❷四肢骨は非常に太く、上腕骨の三角筋粗はよく発達し、その他の骨も筋肉付着部のきめがあらいことから、筋骨の発達良好な男性と考えられる。

❸歯は下顎の第三大臼歯が2本、小臼歯1本。

❹歯の咬耗度は、エナメル質全面にわたるものおよび象牙質が点状また線状に露出する程度。
歯の咬耗度から考えて、20歳~29歳以下である確率はかなり少ない。

❺第三大臼歯の萌出年齢は16~30歳と広いため、年齢推定はむずかしい。

❻咬耗度は2度。(6~8年程度で2度になる。)

これに対する梅原氏の反論。

❹❺❻から年齢推定は次のようになる。(16歳~30歳)+(6年~8年)=(16歳+6年)~(30歳+8年)=22歳~38歳
平均すると30歳。
30歳以下の確率は約半分もある。
そうであるのに、島氏は「❹歯の咬耗度から考えて、20歳~29歳以下である確率はかなり少ない。」としておられて矛盾している。

年齢を書きだしてみよう。
22歳、23歳、24歳、25歳、26歳、27歳、28歳、29歳、30歳、31歳、32歳、33歳、34歳、35歳、36歳、37歳、38歳
これらの年齢のちょうど真ん中が30歳となる。
そして30歳未満の年齢は22歳、23歳、24歳、25歳、26歳、27歳、28歳、29歳で8つ。
30歳超の年齢は31歳、32歳、33歳、34歳、35歳、36歳、37歳、38歳で8つ。
それで梅原氏は30歳以下の確率は約半分もある、とおっしゃったのだろう。

私は理数系が苦手なので自信がないが(汗)、梅原氏のように考えるのではなくて、
それぞれの年齢で第三大臼歯が生えてくる割合を考慮する必用があるのではないだろうか。

仮に(実際の数字ではない)
❶16歳から20歳で第三大臼歯がはえてくる人の割合を10%、
❷21歳から25歳で第三大臼歯が生えてくる人の割合80%
❸26歳から30歳で第三大臼歯が生えてくる人の割合を5%
としよう。

10%+80%+5%=95%で100%にならないような数字にしたのは、大三大臼歯は親知らずであり、生えてこない人もいるからである。

咬耗度が人によって大きな違いはないと仮定し、6~8年で咬耗度が2度になるということは
❶(16歳+6年)~(20歳+8年)=22歳~28歳 10%
❷(21歳+6年)~(25歳+8年)=27歳~33歳 80%(❹仮に27歳~30歳20%、❺30歳~33歳60%とする。)
❸(26歳+6年)~(30歳+8年)=32歳~38歳 5%

この場合、被葬者が30歳以下である確率は❶+❹で30%となるのではないだろうか。

③島氏は第二臼歯と第三臼歯の両方の可能性を示している。

以下は梅原氏の『黄泉の王』に引用された『調査中間報告書/橿原考古学研究所』における島氏の発言をまとめたものである。

歯牙による推定年齢
残存歯牙大臼歯2、小臼歯1
・下顎右側大臼歯は第一大臼歯ではない。第三大臼歯と考えているが、第二大臼歯かもしれない
 咬耗はエナメル質のほぼ全面に及ぶ 象牙質がゴマ粒大、より小さい点状大の二か所で露出
・上顎左側大臼歯は第三大臼歯。
 咬耗はエナメル質全面 象牙質の露出なし象牙質露出直線の状態

大臼歯の咬耗度(%)と年齢ー男性ー

     下顎第2大臼歯  下顎大3臼歯       上顎 第三大臼歯
     象牙質が点状または線状に露出        エナメル質全面にわたる
20~29歳 14.3%       0.%            19.6%
30~39歳 16.3%       2.4%            55.0%
40~49歳 43.8%       37.0%           69.0%
50~59歳 27.1%       20.7%           76.9%
60歳以上 14.9%       43.5%            30.4%

・第2第3臼歯の咬耗が、エナメル質全面に亘るもの、象牙質が点状、線状に露出するものの頻度は、20~29歳群では高くない。
・このような咬耗度をもつ大臼歯による推定年齢の変異幅は広い。
・萌出年齢の変異幅の広い歯牙(第三大臼歯の萌出年齢は16~30歳)
・大臼歯の萌出後、咬耗面に象牙質が点状、線状に露出するまでに6、7年かかる)

これに対する梅原氏の反論

❶『中間報告書』と『高松塚壁画古墳/朝日新聞社』で歯の種類が異なっている。

『中間報告書』・・・・下顎右側第三臼歯(第二大臼歯の可能性も)1
           上顎左側大臼歯は第三大臼歯 1
           小臼歯1                       
『高松塚壁画古墳/朝日新聞社』・・・下顎の第三臼歯2、
                 (第3臼歯は左右一本づつなので、左右の第三臼歯があるということだろう。)
                  小臼歯1

❷下顎右側第三臼歯(第二大臼歯の可能性も)
とあるが、歯を特定しなければ年齢の鑑定がかわってくる。
第二大臼歯(15歳ぐらいまでにはえる)と第三臼歯(親知らずなので、16歳~30歳くらいではえてくる。)

『高松塚壁画古墳/朝日新聞社』は未確認だが、梅原氏のいうとおりであれば、
梅原氏の❶の指摘はそのとおりだ。

もしも、『高松塚壁画古墳/朝日新聞社』の記述が正しいのであれば、島氏は『中間報告書』の記述は「誤りであった」と一言書いておくべきだったかもしれない。

❷もそのとおりだが、島氏は下顎右側の大臼歯が第三大臼歯なのか、第二大臼歯がわからないため、
次の表で第三大臼歯なと第二大臼歯両方の確率をしめされている。

大臼歯の咬耗度(%)と年齢ー男性ー

 下顎第2大臼歯    下顎大3臼歯       上顎 第三大臼歯
     象牙質が点状または線状に露出        エナメル質全面にわたる
     
20~29歳 14.3%       0.%            19.6%
30~39歳 16.3%       2.4%            55.0%
40~49歳 43.8%       37.0%           69.0%
50~59歳 27.1%       20.7%           76.9%
60歳以上 14.9%       43.5%            30.4%


島氏は高松塚古墳の被葬者の下顎大臼歯を「象牙質が点状または線状に露出」した状態であり、
この下顎大臼歯が第2大臼歯の場合、20~29歳である確率は14%、第3大臼歯の場合0%ですよ、
と言っているのである。

つまり、第2大臼歯であろうと、第3大臼歯であろうと、いずれにしても30歳以下の可能性は少ないと島氏はおっしゃっているのである。

梅原氏のように「歯を特定しなければ年齢の鑑定がかわってくる。」というのは、少々かたくなすぎる態度の様にも思える。


大臼歯の萌出後、咬耗面に象牙質が点状、線状に露出するまでに6、7年かかる?

上緑色の文字で示した表「大臼歯の咬耗度(%)と年齢ー男性ー」のデータ元は
栃原博氏が昭和32年に熊本医学科雑誌に発表した「日本人歯牙の咬耗に関する研究」にある表である。

私は図書館で『中間報告書』を借りることができたのだが、このp193で島氏は
「i  第2、第3大臼歯と年齢の関係は次表のとおりである。(栃原、昭、32)」と記しておられる。

ただし、梅原氏によれば、島氏の表の「象牙質が点状または千状に露出」の数字は栃原氏の表では「3段」の数字
島氏の表の「エナメル質全面にわたる」の数字は栃原氏の表では「4段」の数字である。

3段とか4段というのは、歯の咬耗度を表す数値で、無咬耗から7段までの8段階になっている。
つまり、島氏の表にある「象牙質が点状または千状に露出」は「3段」の咬耗度、
「エナメル質全面にわたる」は「4段」の咬耗度というわけだ。島氏の表に咬耗度を書き入れてみよう。(太字)

大臼歯の咬耗度(%)と年齢ー男性ー

 下顎第2大臼歯    下顎大3臼歯       上顎 第三大臼歯
     象牙質が点状または線状に露出        エナメル質全面にわたる
     (咬耗度3段)               (咬耗度4段)
20~29歳 14.3%       0.%            19.6%
30~39歳 16.3%       2.4%           55.0%
40~49歳 43.8%       37.0%           69.0%
50~59歳 27.1%       20.7%           76.9%
60歳以上 14.9%       43.5%           30.4%

そして、梅原氏は次の様に推測されている。

島氏は、上顎の大臼歯を咬耗度3段としたのだろう。
上顎大臼歯咬耗度3段は、20~29歳では19.6%。

下顎の大臼歯は第二大臼歯とすると、咬耗度4段は20~29歳では14.3%。
第三大臼歯とすると咬耗度4段は20~29歳では0%
ゆえに、高松塚の被葬者は30歳以下の可能性は少ないとしたのだろうと。

これは私が③で「島氏は下顎右側の大臼歯が第三大臼歯なのか、第二大臼歯がわからないため、
次の表で第三大臼歯なと第二大臼歯両方の確率をしめされている。」と書いたのと同じことである。

その上で、梅原氏は島氏を次のように批判した。

❶歯の鑑定が不安定。(第二大臼歯か第三大臼歯か不明)
❷島氏が栃原氏の八段階の鑑別を正確に行ったか不明。
❸栃原氏の調査は現代日本人のものであって、飛鳥時代の人間にあてはめることができるのか。
❹島氏は「大臼歯の萌出後、咬耗面に象牙質が点状、線状に露出するまでに6、7年かかる」と断言しているが、
6歳で第一大臼歯が生えた子供は12,3歳で上のような状態になってしまっておかしい。

❶については、③で述べたように、島氏は『中間報告書』で、歯が第2大臼歯か第3大臼歯か特定できないから、
第2大臼歯と第3大臼歯の両方の30歳以下の確率を示したのであり、それ以上しようがないと思う。
ただ、その後『高松塚壁画古墳/朝日新聞社』において、島氏は「下顎の第三大臼歯2」と特定し、
『中間報告書』での記述(下顎の第3大臼歯または第2代臼歯)と異なった鑑定結果になってしまっていることが、梅原氏の不審を招いているように思える。
❸もその通りだと思う。
❷は島氏の説明不足だろう。

❹はわからない。

とすれば、緑色のグラフはどうなるだろうか。
20~29歳で咬耗度3段(象牙質が点状または線状に露出)は、下顎第2大臼歯14.3% 下顎大3臼歯 0.% となっているのが、さらに数字が小さくなり、ますます高松塚古墳の被葬者の年齢は30歳以下である可能性が低くなってしまう。

④マイルズの研究

『中間報告書』p193で島氏は次のように記しておられる。

ii .大臼歯が萌出後、咬耗面に象牙質が点状、線状に露出するまでに6、7年かかる。(Miles,1963)。

梅原氏によると、マイルズの研究は次のようなものである。

マイルズはイギリスの古い墓地から鑑定可能と思われる157体を選び、年齢推定を試みた。
第3大臼歯が生えるのを18歳とし、18歳以下と思われる38体を選び出して咬耗度を調べた。
彼らはほぼ同一人種。食べているものもほぼ同じ。
第1大臼歯は約6歳、第二大臼歯は約12歳、第3代臼歯は約18歳で生える。
マイルズは大臼歯はだいたい同じ程度に咬耗すると考えるが、奥にいくほど、歯の使用の程度(咬耗度)は大きくなる。
その比率は、だいたい7:6.5:6。
すると18歳の人間の第一大臼歯、第二大臼歯と同じ咬耗度をもつ第二大臼歯、および第二大臼歯と同じ咬耗度の第三大臼歯を持つ人間の推定年齢は18歳+6+0.5=24.5歳になる。
ただし、この計算は他の骸骨の集合体には使えない、考古学的素材には使えない。

この計算の意味がどうしても理解できない。お手上げ状態である。(汗)
おまけに、図書館で借りていた『黄泉の王』はいったん返却する必用が生じて、いま手元にない。
とりあえず、マイルズの研究については宿題としておく。

※追記

「18歳の人間の第一大臼歯、第二大臼歯と同じ咬耗度をもつ第二大臼歯、および第二大臼歯と同じ咬耗度の第三大臼歯を持つ人間の推定年齢は18歳+6+0.5=24.5歳」という計算がどうしてもわからなかい。
その理由は「奥にいくほど、歯の使用の程度(咬耗度)は大きくなる。その比率は、だいたい7:6.5:6。」をどのように計算したらいいか、わからないからだ。

とりあえず「奥にいくほど、歯の使用の程度(咬耗度)は大きくなる。その比率は、だいたい7:6.5:6。」はを無視して、「大臼歯はだいたい同じ程度に咬耗する」とし、仮に

消耗していない場合の消耗度を0
6年で咬耗する度合いを1
12年で咬耗する度合いを2

として考えてみた。

18歳の人の場合、
第三大臼歯は生えたばかりで、咬耗していないので、咬耗度0
第二大臼歯は12歳ではえ、6年経過しているので消耗度1
第一大臼歯は6歳で生え、12年経過しているので消耗度2

       第一大臼歯   第二大臼歯     第三大臼歯
a18歳の人   6歳で生える 12歳で生える    18歳で生える
        咬耗度2   咬耗度1      咬耗度0

b?歳の人            咬耗度2    咬耗度1
             12歳ではえて12年経過 18歳ではえて6年経過

するとbの年齢は24歳となる。 

「奥にいくほど、歯の使用の程度(咬耗度)は大きくなる。その比率は、だいたい7:6.5:6。」
ということは、奥に行くほど、消耗にかかる期間が短くなるという事なので、bは24歳よりも若干若いかもしれない。

梅原氏は「マイルズの報告書には島氏が言うような『大臼歯が萌出の地、咬耗面に象牙質が点状、乃至線状に露出するまでに要する歯牙機能年数は六~七年である』という言葉はない」という。

確かに、マイルズの研究が梅原氏の引用のとおりであれば、そんなことは言っていない。

ただ、島氏は「ii .大臼歯が萌出後、咬耗面に象牙質が点状、線状に露出するまでに6、7年かかる。(Miles,1963)。
この歯牙昨日年数に基く推定年齢も亦栃原成績から得た結果と一致する。」と言っている。

栃原成績から得た結果とは、上に緑色文字で示した「大臼歯の咬耗度(%)と年齢ー男性ー」の表のことである。
マイルズが梅原氏が主張されているように「『大臼歯が萌出の地、咬耗面に象牙質が点状、乃至線状に露出するまでに要する歯牙機能年数は六~七年である」と言っていなかったとしても、すでに記したように
栃原成績が「下顎の大臼歯は第二大臼歯とすると、咬耗度4段は20~29歳では14.3%。第三大臼歯とすると咬耗度4段は20~29歳では0%。ゆえに、高松塚の被葬者は30歳以下の可能性は少ない」とでている。

これも繰り返しておくが、梅原氏は
❹島氏は「大臼歯の萌出後、咬耗面に象牙質が点状、線状に露出するまでに6、7年かかる」と断言しているが、
6歳で第一大臼歯が生えた子供は12,3歳で上のような状態になってしまっておかしい。

とおっしゃっているが、咬耗にもっと時間がかかるとすると、ますます高松塚古墳の被葬者の年齢は30歳以下である可能性が低くなってしまう。

まとめとしては、島氏の歯による年齢鑑定には、わかりにくい点がある。
また第2大臼歯か第3大臼歯か特定できていないが、島氏は栃原氏の研究にあてはめて歯が第2大臼歯であろうと、第3大臼歯であろうといずれにしても30歳以下の可能性は低いことを示した。
しかし、これは現代人のデータによるものであり、飛鳥時代の人物に用いることができるかどうかは、検討の余地がある。
そういう事になると思う。
 へつづきます~


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