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高松塚古墳・キトラ古墳を考える ⓻描かれなかった朱雀と北斗七星、頭蓋骨のない人骨 ※追記あり 8月18日

トップページはこちらです。→①天智・天武・額田王は三角関係?

①聖なるライン

梅原猛氏は『黄泉の王』p16あたりで、岸俊夫氏が最初に発見した聖なるラインについて述べておられ、
p9に掲載した「飛鳥と藤原京周辺地図」には「聖なるライン」が書き込まれている。
藤原京の中央を南北に延びる朱雀大路の延長線上に、おおくの古墳が存在しており、「聖なるライン」と呼ばれているのだ。

「飛鳥と藤原京周辺地図」に描かれた「聖なるライン」は、藤原京を最北とし、その南に

菖蒲池古墳
野口王墓(天武・持統陵)
中尾山古墳(文武天皇陵の可能性が高い)
栗原塚穴古墳(文武天皇陵とされているが、文武天皇陵は中尾山古墳の可能性が高い。)
高松塚古墳
キトラ古墳

がほぼ一直線上に存在している。(多少のずれはある。)

うち野口王墓(天武・持統陵)、中尾山古墳(文武天皇陵)などの古墳が天皇陵と考えられることから、
聖なるライン上に存在する高松塚・キトラ古墳も皇族の墓ではないかと考える研究者が多い。

この時代の天皇陵は八角墳であることが多い。
野口王墓(天武・持統陵)・中尾山古墳(文武天皇陵の可能性が高い)も八角墳であるし
八角墳の牽牛子塚古墳は斉明天皇と間人皇女の合同陵が確実視されている。
天皇ではないが、草壁皇子の古墳である可能性の高い束明神古墳、天智天皇陵であることが確実視されている御廟野古墳も八角墳である。

高松塚・キトラ古墳は八角墳ではなく二重円墳なので、天皇陵ではないと見られている。
天皇ではない皇族の墓ではないかという意見が多い。

⓶聖なるラインの最北は天智天皇陵

それはそうと、私にはこの聖なるラインについて気になることがある。

聖なるラインを藤原京から北に延長していくと、平城京を横切る。
平城京からさらに北に延長していくと、京都山科の御廟野古墳(天智天皇陵)にいきつくことが、近年指摘されている。

つまり、聖なるラインの最北は藤原京ではなく、御廟野古墳(天智天皇陵)だったのだ。

古代の人々が、このように古墳を配置した意図は何だろうか?
それがわかれば、高松塚・キトラ古墳の被葬者の特定に一歩近づくと思うのだが。

これにについて、いくつか推測してみよう。

❶藤原京の南は天武天皇または天武天皇の子孫の古墳を配置し、藤原京の北には天智天皇または天智天皇の子孫の古墳を配置したのではないか。

このように考えてみたのは、天智天皇の子の大友皇子の墓が滋賀県にあるからだ。(園城寺亀丘古墳)
だが、大友皇子の墓とされる園城寺亀丘古墳は聖なるライン上にはない。
また天智天皇の子の墓と思われる古墳は藤原京の南にもある。
・大田皇女・・・藤原京の南、牽牛子塚古墳に隣接する越塚御門古墳が確実視されている。
・持統天皇・・・天武天皇とともに野口王墓に埋葬されている。
・志貴皇子・・・田原西陵 ※ただし、京都府宇治田原に陵墓があったとも伝えられている。

田原天皇旧跡2

田原天皇社舊(旧)跡

❷天智天皇を最上位とするため聖なるラインの最北に天智天皇陵を作った。
「天子南面す」といい、北は天子の位置とされる。

672年、天智天皇が崩御したあとすぐに、壬申の乱がおこった。
天智天皇の皇子・大友皇子と、天智天皇の同母弟・7大海人皇子が皇位をめぐって争ったのである。
そのため、天智天皇の死体は長い間埋葬されず、放置されていたと考えられている。
『続日本紀』に天智陵が造営されたと記されているのは、天智天皇が崩御してから28年たった699年である。

誰が天智天皇陵を聖なるラインの最北に作ったのか。
私は藤原不比等(659-720年)が天智天皇陵造営に関係しているような気がする。

不比等は中臣(藤原)鎌足の子とされるが、本当は天智天皇の落胤であるとの説がある。
『興福寺縁起』には次のような内容が記されている。
藤原鎌足は天智天皇の后だった鏡王女を妻としてもらいうけた。
その時鏡王女はすでに天智の子を身ごもっていた。
これが藤原不比等であると。

これが事実かどうかわからないが、藤原氏は事実だと考えていたのではないかと思う。

奈良時代、天武系の天皇は絶えてしまって、天智天皇の孫にあたる光仁天皇が即位する。
光仁天皇の次代には光仁天皇の子の桓武天皇が即位し、平安京に遷都する。
以後、ずっと天智系天皇が続いていることになる。

なぜ桓武天皇は平安京に遷都したのか。
そこには天武系天皇の都である平城京を捨て、藤原氏の先祖である天智系天皇の都を新たに作ろうとする藤原氏の意図が働いてはいたのではないか。

さらには自分達の先祖である(と彼らが信じている)天智天皇の陵も聖なるラインの最北につくったのではないか?

③描かれなかった朱雀と北斗七星、剥ぎ取られた日像・月像・玄武

高松塚古墳壁画について、梅原氏は次の様な意味の事を述べておられる。

❶四神について。
・「方に今、平城の地は四禽図に叶ひ・・・」と和銅元年の奈良遷都の詔にある。
「四禽図に叶ひ」とは四神が四方からこの都を守っているという意味だろう。
・四神思想の原典は礼記であり、天子が軍を進めるにあたり、前に朱雀・後ろに玄武・左に青龍・右に白虎の旗をたて、上に北斗七星の柄のところにある星の旗をたてて行進する様を示す。
・君主は天の世界の支配者でもある。
・四神に守られたものが天皇。(p19)
・高松塚には四神のうち朱雀が欠如している。
雨漏りによる剥落であれば跡形くらい残りそうだが残っていないとしたら、最初から朱雀はなかったのではないか。
・玄武の蛇と亀の顔が人為的に取り去られている。

玄武

高松塚古墳 玄武 (高松塚壁画館にて撮影 撮影可)

❷日像、月像、星宿について。
・日と月の金銀箔がはぎとられている。

高松塚 日像

高松塚 日像(高松塚壁画館似て撮影)

高松塚 月像

高松塚 月像(高松塚壁画館似て撮影)

・天井の二十八宿は中心の北斗七星が欠落している。

高松塚古墳 星宿図

高松塚 星宿図(キトラ古墳 四神の館にて撮影 撮影可)

❸人物像について。
・貞観儀式に記されている朝賀の儀式の図と一致(岸氏の見解)(p25)
高松塚 持ち物1

高松塚 持ち物3

高松塚 持ち物2

高松塚 持ち物4

私は「南壁の朱雀は最初から描かれていなかった」という梅原氏の意見に賛成である。

高松塚古墳壁画_(複製)

北側玄武はこのように、壁のほぼ中央に描かれているので、朱雀も同じぐらいの位置に描きそうなものである。

朱雀は初めから描かれていなかった?

上の写真は高松塚北壁に盗掘穴をあけられた高松塚南壁を透明にして重ねたものである。
北壁の玄武像は盗掘穴の下にすっぽり隠れてしまう。
南壁の朱雀も描かれていたとするならば、玄武と同じくらいの位置に描かれていて、盗掘穴の下に絵が残ったのではないだろうか。
それがないということは、梅原氏がおっしゃるとおり、初めから描かれていなかったように思われる。

追記
朱雀が描かれていた場所については上に書いた通りだが、どうも盗掘穴があけられた際に、北壁の漆喰がはがれおちてしまい、その結果、漆喰の上に描かれていたと考えられる朱雀が失われたと考えられているようだ。
梅原氏は朱雀が描かれていたのならば、顔料ぐらいは残りそうだとおっしゃっているが、どうだろうか。
今後の研究をまちたいと思う。


「天子が軍を進めるにあたり、前に朱雀・後ろに玄武・左に青龍・右に白虎の旗をたて、上に北斗七星の柄のところにある星の旗をたてて行進する様を示す。」
と梅原氏は書いておられた。

天子は南面して、北から南に向かって軍を進めるということだろう。
古代中国で指南車が作られ、指北車が作られなかったのは(人形の向きを変えるだけで指北車はつくれる)、そのような思想に基づくものだと思う。


④不完全な三種の神器と頭蓋骨のない人骨

高松塚古墳の被葬者の人骨については、頭蓋骨と下顎骨の破片も発見されていないことに梅原氏は注目しておられる。
骨を鑑定した島五郎氏によれば、頭蓋骨につづく舌骨、化骨甲状軟骨、前頸椎は残っているので斬首はありえないということである。

副葬品は海獣葡萄鏡、刀身を欠く剣の金具、玉などが発見された。

高松塚古墳出土_海獣葡萄鏡

高松塚出土 海獣葡萄鏡

太刀パーツ

高松塚出土 太刀の部品

梅原氏はこれは三種の神器ではないのか、とおっしゃっている。

被葬者は朝賀の儀式を行っている中で眠っている。
しかし、被葬者には頭蓋骨がなく、天には北斗七星がなく、南には朱雀がないので、被葬者は軍を南に進めることができない。
正当な皇位継承権を示す三種の神器もあるが、太刀には刀身がない。

盗掘されたのだろうか。
梅原氏は『頭蓋骨を取るなどということがはたしてありえようか。(p38より引用)』と書いておられるが、
頭蓋骨は結構盗まれていたということを、何かの本で読んだことがある。
頭蓋骨ードクロは呪術の道具として需要があったそうなのだ。
江戸時代に消滅したとされる真言立川流では、ドクロに漆と和合水を塗り重ねて髑髏本尊をつくったという。
この髑髏本尊を袋に入れて7年間抱いて寝ると8年目に髑髏が命を以って語り出すとかなんとか。
そしてこの髑髏本尊を作るためには身分の高い人のドクロが効力が高いとされていたというのだ。

日像・月像・玄武の剥落は盗賊が驚いてこれらをつぶしたという説があるが、梅原氏も「死体をあばく盗賊がどうして玄武の柄などに恐怖をもとう。(p39)と指摘されているように、これは変な話だ。
梅原氏は「また日月は金箔、銀箔をはがすためだという人があるが、金箔・銀箔は日月より天井により多く貼られているではないか。(p39)とおしゃっているが、私は金箔銀箔をはがすためというのは否定できないと思う。
天井の金箔をはがすために腕を上にあげるのはきつい作業になる。壁の金箔をはがす方が作業は楽そうだ。

同様の星宿図については、トルファン・アスターナ古墳でも発見されているが、やはり中央に描かれる北斗七星を欠いているので、高松塚のものが特別異常だとはいえないかもしれない。
https://www.oit.ac.jp/is/shinkai/Papers/0803kawazu.pdf

追記
トルファン・アスターナ古墳の星宿図の左上に8つの星で構成される柄杓の形をした星宿があるが、高松塚古墳星宿図では同じぐらいの位置に6つの星で構成される斗がされる描かれている。
これは北斗七星とは別の星から構成される星宿である。
従って、アスターナ古墳も北斗七星を欠くといえるかもしれず、高松塚古墳の星宿が異常かどうかは慎重に判断する必用がありそうである。

梅原氏は、「死体には最初から頭蓋骨が無く、日月玄武は最初から傷つけられていた」
そしてその理由は「死体を蘇らせないため」だと考えておられる。



【まとめ】聖なるライン、高松塚の四神、日像、月像、北斗七星のない星宿図、頭蓋骨のない遺骨、刀身を欠く剣
①聖なるライン 北から順に
天智天皇陵
平城京
藤原京
菖蒲池古墳
小山田古墳 (蘇我蝦夷の墓か?)
野口王墓(天武・持統陵)
中尾山古墳(文武天皇陵の可能性が高い)
栗原塚穴古墳(文武天皇陵とされているが、文武天皇陵は中尾山古墳の可能性が高い。)
高松塚古墳
キトラ古墳

②野口王墓(天武・持統陵)、中尾山古墳(文武天皇陵)などの古墳が天皇陵と考えられることから、
聖なるライン上に存在する高松塚・キトラ古墳も皇族の墓ではないかと考える研究者が多い。

③この時代の天皇陵は八角墳であることが多い。
野口王墓(天武・持統陵)・中尾山古墳(文武天皇陵の可能性が高い)牽牛子塚古墳(斉明天皇と間人皇女の合同陵)草壁束明神古(草壁皇子の墓か)御廟野古墳(天智天皇陵)などいずれも八角墳。

③高松塚・キトラ古墳は八角墳ではなく二重円墳なので、天皇陵ではないと見られている。
天皇ではない皇族の墓ではないかという意見が多い。

④天智天皇を最上位とするため聖なるラインの最北に天智天皇陵を作ったのではないか。
「天子南面す」といい、北は天子の位置とされる。

⑤672年、天智天皇が崩御したあとすぐに、壬申の乱(天智天皇の皇子・大友皇子vs天智天皇の同母弟・大海人皇子)
そのため、天智天皇の死体は長い間埋葬されず、放置されていたと考えられている。
『続日本紀』に天智陵が造営されたと記されているのは、天智天皇が崩御してから28年たった699年。
藤原不比等(659-720年)が天智天皇陵造営に関係しているのではないか。
不比等は中臣(藤原)鎌足の子とされるが、本当は天智天皇の落胤であるとの説がある。
『興福寺縁起』には次のような内容が記されている。
藤原鎌足は天智天皇の后だった鏡王女を妻としてもらいうけた。
その時鏡王女はすでに天智の子を身ごもっていた。これが藤原不比等であると。

奈良時代、天武系の天皇は絶えてしまって、天智天皇の孫にあたる光仁天皇が即位する。
光仁天皇の次代には光仁天皇の子の桓武天皇が即位し、平安京に遷都、以後、ずっと天智系天皇が続いている。
天武系天皇の都である平城京を捨て、藤原氏の先祖である天智系天皇の都を新たに作ろうとする藤原氏の意図が働いてはいたのではないか。
さらには自分達の先祖である(と彼らが信じている)天智天皇の陵も聖なるラインの最北につくったのではないか?

⓻「方に今、平城の地は四禽図に叶ひ・・・」と和銅元年の奈良遷都の詔。
四神思想の原典は礼記。
天子が軍を進めるにあたり、前に朱雀・後ろに玄武・左に青龍・右に白虎の旗をたて、上に北斗七星の柄のところにある星の旗をたてて行進する様を示す。
高松塚には四神のうち朱雀が欠如している。
雨漏りによる剥落であれば跡形くらい残りそうだが残っていないとしたら、最初から朱雀はなかったのではないか。(梅原氏)これについては今後の研究を俟ちたいと思う。

⑧玄武、日像、月像が人為的に取り去られている。
盗賊が驚いてこれらをつぶしたという説があるが、梅原猛氏も「死体をあばく盗賊がどうして玄武の柄などに恐怖をもとう。(p39)と指摘されているように、変な話。
日像、月像がとりさられたのは金箔・銀箔をはがすためというのはありそう。
天井の星に貼られた金箔ははがされていないが、腕を上にあげるのはきつい作業になる。壁の金箔をはがす方が作業は楽そうだ。

⑨天井の二十八宿は中心の北斗七星が欠落している。
のちの記事に書いたが、北斗七星がないのが異常かどうかは慎重に検討する必用がある。

⓾貞観儀式に記されている朝賀の儀式の図と一致(岸氏の見解)

⑪高松塚古墳の被葬者の人骨については、頭蓋骨と下顎骨の破片も発見されていない。
頭蓋骨につづく舌骨、化骨甲状軟骨、前頸椎は残っているので斬首はありえない。(骨を鑑定した島五郎氏による。)
頭蓋骨は呪術の道具として結構盗難にあっていたという。真言立川流では、ドクロに漆と和合水を塗り重ねて髑髏本尊をつくった。髑髏本尊を作るためには身分の高い人のドクロが効力が高いとされていた。

⑫副葬品は海獣葡萄鏡、刀身を欠く剣の金具、玉など。


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