人形の涙④ 『人形を人間の身代わりにして殺す』 よりつづく~

3月3日、雛祭りの日、和歌山市加太にある淡嶋神社を訪ねた。

淡島神社の拝殿には全国から奉納された雛人形が所せましと並べられていた。

巫女さんたちによって雛人形は小舟に乗せられ、船は浜へ運ばれた。

多くの参拝者が見守る中、雛人形を乗せた小舟は沖へと向かっていった。

私たちは上賀茂神社の夏越神事において、息を吹きかけられて穢れを移され、さらに川に流される人形を見た。
人形の涙③ 上賀茂神社 夏越神事『穢れを移され、川に流される人形』
上賀茂神社 名越神事このような夏越神事は各地で行われているが、海に近い場所では川ではなく、海に流されることもあったようである。
また3月3日のひな祭りの人形はもともとは紙でできた簡素なものであり、ひな祭が終わると川や海に流されていた。
江戸時代に豪華なひな人形が作られるようになると、高価な雛人形を流すわけにいかなくなり、雛流しの習慣は廃れたといわれている。

下鴨神社 雛流しhttp://www.geocities.jp/seijiishizawa/NewFiles/hina-okuri.html上記の下のほうに昭和初期の淡嶋大社の御守雛の写真が掲載されている。
現在の淡嶋神社では小袋に雛人形の刺繍を施したお守りを授与しているが、もともとは紙で作った人形をお守りとして授与していたのだ。
ちなみにこの人形、大きい方が女神(神功皇后)で、小さい方が男神(応神天皇)とされている。
淡嶋神社の雛流しの行事がいつから行われているのかわからないが、もともとは昭和初期の御守雛のような紙の人形を流す行事であったのかもしれない。
海へ流された人形は現在では不法投棄にならないよう、浜にあげお焚き上げしているが、昔はそのまま沖へ流していた。
沖に流された舟は高波にのまれて転覆し、人形たちは海の藻屑と消えたことだろう。
海は人形たちの墓場であったのである。
沖に流されていく人形を乗せた小舟を見ていると、かつて熊野で行われていた補陀落渡海を思い出す。
補陀落渡海とは出口のない船に行者が乗り込んで南方海上にある観音が住む補陀落浄土をめざすというものである。
もちろん南方海上には補陀落浄土などなく、行者たちは出口のない船に乗って死の世界をめざしたのだ。
行者たちはなぜ死の世界をめざしたのか。
また人形たちはなぜ死の世界である海へと流されていったのか。
人形の涙⑥ 當麻寺 二十五菩薩練り供養 『死者に穢れを持っていってもらう行事』 へつづく~
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人形の涙① 高取土佐町 町屋の雛めぐり 『雛人形の首はなぜ抜けるのか』 毎度、とんでも説におつきあいくださり、ありがとうございました!
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[2018/03/29 19:25]
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