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トンデモもののけ辞典133 黒手


①黒手

ウィキペディア 黒手 の内容をまとめる。

❶黒手は能登(現在の石川県)戸板村に現れた妖怪。(『四不語録』6巻「黒手切り」浅香山井)
❷慶長年間のこと。笠松甚五兵衛宅で、甚五兵衛の妻が便所で何者かに尻を撫でられる。
甚五兵衛が刀をもって便所に入ると、毛むくじゃらの手が出てきたため、これを刀で切り落とした。
数日後、妖怪が3人組の僧に化けてやってきて「自宅に怪しい相がある。」といった。
僧の正体を知らない甚五兵衛は、先日切り落とした手を見せた。
手を受け取った僧の1人が「これは人家の便所に住み着く黒手という物だ」と言った。
さらに別の僧が手を受け取り「これはお前に斬られた我が手だ!」と叫び、九尺(約2.7メートル)もの丈のある正体を現し、手を奪って3人もろとも消え去った。
後日、甚五兵衛が夕方遅くに家への帰り道を歩いていたところ、突然空から衾のようなものが降りてきて彼を包み込み、6~7尺(約1.8~2.1メートル)も宙に持ち上げ、下に落とした。
甚五兵衛の懐から、黒手を斬った刀が奪われていた。

⓶黒手は加牟波理入道 では?

私は以前、加牟波理入道と言う妖怪についての記事を書いた。

鳥山石燕『今昔画図続百鬼』より「加牟波理入道」

鳥山石燕『今昔画図続百鬼』より「加牟波理入道」

加牟波理入道は厠(トイレ)に露われる妖怪で、鳥山石燕の『今昔画図続百鬼』では、口から鳥を吐く入道姿で描かれている。
なぜ口から鳥を吐いているのか。それは、
・大晦日に「がんばり入道郭公(がんばりにゅうどうほととぎす)」と唱えると、この妖怪が現れない。
・大晦日に厠で「頑張り入道時鳥(がんばりにゅうどうほととぎす)」と3回唱えると、人間の生首が落ちてくる、
などという言い伝えがあるからだろう。



加牟波理入道が口から吐いているのはホトトギスというわけである。

なぜホトトギスなのかというと、中国には郭登(読み方がわからない。すいません。)という厠(トイレ)の神がいる。
郭登の姓は郭、名は登とのこと。
菅原公のように、名前の下に公をつけて呼ぶことがある。( 公は貴人の姓名などに添えて敬意を表わす言葉)
するとトイレの神・郭登は郭公(カッコウ)となるが、日本では郭公(カッコウ)と書いてホトトギスともよむ。
トイレの神・郭登→郭公(カッコウ)→郭公(ホトトギス)
という謎々なのだと思う。

鳥山石燕『今昔画図続百鬼』の「加牟波理入道」はホトトギスという鳥を吐く姿として描かれたのだろう。

厠で「頑張り入道時鳥(がんばりにゅうどうほととぎす)」と3回唱えると、人間の生首が落ちてくるといわれるのは
ホトトギスが「天辺かけたか」と鳴くと考えられていることと関係があると思う。

天辺とは、「兜 のいただき」のことで、転じて、「頭のいただき」を意味するようにもなった。
「天辺かけたか」とは「頭がかけたか」ということであり、それで生首が落ちてくるなどと言われたのではないだろうか。

・丑三つ時に厠に入り、「雁婆梨入道(がんばりにゅうどう)」と名を呼んで下を覗くと、入道の頭が現れるので、
その頭をとって左の袖に入れてから取り出すと、その頭はたちまち小判に変わる。(『甲子夜話』松浦静山)

という話もあり、トイレで落ちてくる生首は加牟波理入道のものだと考えられる。

「加牟波理入道」という妖怪の名前ははトイレで力むことからつけられたのではないかと思う。
また「頑張り入道」のイラストを見ると、糞の妖怪のように見える😁。

十返舎一九『列国怪談聞書帖』より「がんばり入道」

十返舎一九『列国怪談聞書帖』より「がんばり入道」

加牟波理入道は毛むくじゃらのようにも見える。
便所にあらわれた毛むくじゃらの黒手は加牟波理入道のバリエーションのひとつなのではないか。

③黒手は茨木童子のイメージ?

「甚五兵衛宅で、甚五兵衛の妻が便所で何者かに尻を撫でられる。」
これは古事記にある次の物語を思い出させる。

大物主神は丹塗り矢に姿を変え、セヤダタタラヒメが用をたすために川にやってきたところを、川の上流から流れていき、彼女のほとをついた。
セヤダタタラヒメが矢をとって部屋に戻ると大物主神は美しい男性の姿になり、二人は結婚した。
二人の間にはヒメタタライスケヨリヒメが生まれ、ヒメタタライスケヨリヒメは神武天皇の皇后となった。(古事記)

これに似たような話が『山城国風土記』にもある。
玉依日売が加茂川の川上から流れてきた丹塗矢を床に置いたところ懐妊し、賀茂別雷命を産んだ。

外国の伝説は勉強不足で知らないが、日本の伝説は類型的で似たような話が多いのだ。

そして手を切り落とされた黒手が、手を取り戻しにくるというのは、茨木童子の伝説を思わせる。

一条戻橋で、若い女性が道に迷って困っていたので、渡辺綱は女性を馬に乗せてやった。
すると女性は鬼の姿となり、渡辺綱の髪の毛をつかんで舞い上がり、愛宕山に連れ去ろうとした。
上というパターン。若い美女が道に困っていたため、渡辺綱が馬に乗せてやると、女は突然鬼の姿になって綱の髪の毛を掴綱は鬼の腕を刀で切り落とした。
その後、茨木童子は綱の叔母に変身して綱の家を訪れ、腕を取り戻して空の彼方に消えた。

黒手の「トイレで尻をさわる」という伝説と、大物主神の「矢の姿になってトイレで女性のほとをつく」を結び付けるのはむりくりっぽいかもしれないが(笑)
「切られた手を取り戻しにくる」という黒手の話は、この茨木童子の物語にインスピレーションを得て創作されたものだと考えてよいのではないだろうか。

まず黒手と茨木童子は、どちらも異形(鬼、妖怪)である。
そして、茨木童子は渡辺綱を空高く持ち上げているが、
黒手の伝説でも「空から衾のようなものが降りてきて彼を包み込み、6~7尺(約1.8~2.1メートル)も宙に持ち上げ、下に落とした。」とある。

なぜ鬼や妖怪は切り落とされた手を取り戻しに来ると考えられたのか。
これについては宿題とさせていただく。

④手を切り落とされる非人

余談となるが、関西には中世より非人と呼ばれる人々がおり、主に坂の町に住んでいた。
清水坂辺りに住んでいた非人は犬神人(いぬじにん)といい、祇園社(現在の八坂神社)に隷属し、死体の処理、清掃、警護、神事などを行うほか
弓の弦を製作して「弦召せ」と言って売り歩いていたため、弦召(つるめそ)とも呼ばれた。

非人は結髪が許されず、大人になっても結髪しない童形であったので、童子と呼ばれていたという。
八瀬童子などもそういう人々であったのだろう。
ウィキペディア 八瀬童子

鬼は茨木童子、酒呑童子のように童子と呼ばれることがあるが、彼らも結髪しない髪型であることが多く
非人ではないかとする説がある。

清水坂の近くに平清盛が住む六波羅があった。
清盛は禿(かむろ)というおかっぱ頭の少年を召し抱え、平家に不満を持つ人をとりしまらせていたとされる。
この禿とは犬神人ではないかとする説がある。

かつて大河ドラマ「義経」に犬神人と思われる人々が登場していた。
そのうちのひとり、五足ははじめ、結髪しない、ぼさぼさの髪で登場していたが
平清盛に仕えるようになってからは、櫛目を通したおかっぱ頭となっていた。
これは禿のイメージだ。

さらに五足が平清盛の頭を剃髪した際、清盛の頭を傷つけ、血がたらーりと流れるというシーンがあった。
これは茨木童子のイメージだ。

茨木童子は両親に捨てられ、床屋に拾われたのだが、あるとき客の頭をカミソリで傷つけてしまい、その血をなめたところ大変おいしく感じ、鬼としてめざめたという伝説があるのだ。

さらには五足ではない別の犬神人が、平家によって手首を切られるというシーンもあった。
これも、渡辺綱によって腕を斬られた茨木童子のイメージから、創作されたものだろうと思った。


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