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トンデモもののけ辞典123 狐火

作者不詳『化け物尽くし絵巻』(江戸時代後期)

作者不詳『化け物尽くし絵巻』(江戸時代後期)

①狐火

郷土研究家・更科公護がまとめた狐火の特徴によれば、火の気のないところに、提灯または松明のような怪火が一列になって現れ、ついたり消えたり、一度消えた火が別の場所に現れたりするもので、正体を突き止めに行っても必ず途中で消えてしまうという[5]。また、現れる時期は春から秋にかけてで、特に蒸し暑い夏、どんよりとして天気の変わり目に現れやすいという[5]。

十個から数百個も行列をなして現れ、その数も次第に増えたかと思えば突然消え、また数が増えたりもするともいい[6]、長野県では提灯のような火が一度にたくさん並んで点滅するという[7]。

火のなす行列の長さは一里(約4キロメートルあるいは約500~600メートル)にもわたるという[8]。火の色は赤またはオレンジ色が多いとも[6]、青みを帯びた火だともいう[9]。

現れる場所は、富山県砺波市では道のない山腹など、人の気配のない場所というが[2]、石川県鳳至郡門前町(現・輪島市)では、逆に人をどこまでも追いかけてきたという伝承もある[10]。狐が人を化かすと言われているように、狐火が道のない場所を照らすことで人の歩く方向を惑わせるともいわれており[3]、長野県飯田市では、そのようなときは足で狐火を蹴り上げると退散させることができるといわれた[11]。出雲国(現・島根県)では、狐火に当たって高熱に侵されたとの伝承もあることから、狐火を行逢神(不用意に遭うと祟りをおよぼす神霊)のようなものとする説も根強く唱えられている[12]。

また長野の伝説では、ある主従が城を建てる場所を探していたところ、白い狐が狐火を灯して夜道を案内してくれ、城にふさわしい場所まで辿り着くことができたという話もある[13]。

正岡子規が俳句で冬と狐火を詠っている通り、出没時期は一般に冬とされているが、夏の暑い時期や秋に出没した例も伝えられている[14]。

~略~

王子稲荷の狐火

東京北区 王子の王子稲荷は、稲荷神の頭領として知られると同時に狐火の名所とされる[15]。かつて王子周辺が一面の田園地帯であった頃、路傍に一本の大きな榎の木があった。毎年大晦日の夜になると関八州(関東全域)の狐たちがこの木の下に集まり、正装を整えると、官位を求めて王子稲荷へ参殿したという[8][15][16]。その際に見られる狐火の行列は壮観で、近在の農民はその数を数えて翌年の豊凶を占ったと伝えられている[16][17]。

~略~

岡山県・備前地方や鳥取県では、こうした怪火を「宙狐(ちゅうこ)」と呼ぶ[22][23]。一般的な狐火と違って比較的低空を浮遊するもので、岡山の邑久郡豊原村では、老いた狐が宙狐と化すという[23]。また同じく邑久郡・玉津村の竜宮島では、雨模様の夜に現れる提灯ほどの大きさの怪火を宙狐と呼び、ときには地面に落ちて周囲を明るく照らし、やがて跡形もなく消え去るという[24]。明治時代の妖怪研究家・井上円了はこれに「中狐」の字を当て、高く飛ぶものを天狐、低く飛ぶものを中狐としている[22]。


~略~

英語のFoxFire(「朽ちた木の火」の意から、実際にはヒカリゴケなどの生物発光)を直訳した説
元禄時代の本草書『本朝食鑑』には、狐が地中の朽ちた木を取って火を作るという記述がある。英語の「foxfire」が日本語で「狐火」と直訳され、この「fox」は狐ではなく「朽ちる」「腐って変色する」を意味し、「fox fire」は朽ちた木の火、朽木に付着している菌糸、キノコの根の光を意味していることから[5][27]、『本朝食鑑』の記述は、地中の朽ち木の菌糸から光を起こすとの記述とも見られる[27]。

死体から出るガス等による光説
『本朝食鑑』には、狐が人間の頭蓋骨や馬の骨で光を作るという記述もあり、読本作者・高井蘭山による明和時代の『訓蒙天地弁』、江戸後期の随筆家・三好想山による『想山著聞奇集』にも同じく、狐が馬の骨を咥えて火を灯すとの記述がある[28]。長野県の奇談集『信州百物語』によれば、ある者が狐火に近づくと、人骨を咥えている狐がおり、狐が去った後には人骨が青く光っていたとある[12]。このことから後に、骨の中に含まれるリンの発光を狐火と結び付ける説が、井上円了らにより唱えられた[28]。リンが60度で自然発火することも、狐の正体とリンの発光とを結びつける一因となっている[12]。

反論
しかし伝承上の狐火はキロメートル単位の距離を経ても見えるといわれているため、菌糸やリンの弱々しい光が狐火の正体とは考えにくい[27][28]。

1977年には、日本民俗学会会員・角田義治の詳細な研究により、山間部から平野部にかけての扇状地などに現れやすい光の異常屈折によって狐火がほぼ説明できるとされた[5]。ほかにも天然の石油の発火、球電現象などをその正体とする説もあるが、現在なお正体不明の部分が多い[5]。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%90%E7%81%AB より引用

⓶狐火は蛍?

火の気のないところに、提灯または松明のような怪火が一列になって現れ、ついたり消えたり、一度消えた火が別の場所に現れたりするもので、正体を突き止めに行っても必ず途中で消えてしまうという[5]。また、現れる時期は春から秋にかけてで、特に蒸し暑い夏、どんよりとして天気の変わり目に現れやすいという[5]。

とあるのは、蛍ではないかと思ってしまう。


上はアニメ「火垂るの墓」で蛍が飛び交うシーンである。
この「火垂るの墓」は名作だが、この蛍の飛び方はまちがいである。
蛍にはゲンジボタル、ヘイケボタル、ヒメホタルなどあるが、こんな風に点灯したまま飛ばない。
蛍はついたり消えたりを繰り返しながら飛ぶのだ。



ゲンジボタルは点滅の間隔が長いが、点滅している。以前、ゲンジボタルを見にいったことがあるが、ゲンジボタルは小川に沿うように飛んでいた。
それは行列のようだといえるかもしれない。

また、「現れる時期は春から秋にかけて」とあるが、ゲンジボタルやヒメボタルが観測されるのは5月~6月くらいなので、時期的にもぴったりあう。(ヘイケボタルは8月ごろ)

③朝廿四考 狐火の段

しかし白狐が道案内をしたり(長野)、冬や大晦日に現れたり(東京、王子稲荷)、雨の日に現れたり(邑久郡・玉津村の竜宮島)
狐火の正体はひとつではなく、さまざまであるような印象を受ける。

の正体にしても、英語のFoxFire(「朽ちた木の火」、実際にはヒカリゴケなどの生物発光)を直訳した説、
死体から出るガス等による光説、角田義治の扇状地などに現れやすい光の異常屈折説、石油の発火説、球電現象説などある。

おそらく狐火といっても、原因はひとつではなく、いろいろな原因で生じるのではないだろうか。

そんな狐火のひとつに、人形浄瑠璃「本朝廿四考 狐火の段」がある。

本朝廿四孝とは武田家と上杉家の確執を脚色した物語である。
脚色したものなので、実在しない人物も登場する。
たとえば主人公の八重垣姫は架空の人物である。

中国に『二十四孝』(にじゅうしこう)という孝行に優れた24人を取り上げた書物がある。
「本朝」とは日本のことで、「本朝廿四考」とは「日本の孝行に優れた24人の孝行者の話」という意味だ。

3段目に慈悲造という者が母に命じられて雪の中筍を掘るという話が出てきまして、それが孝行者の話だということでこういうタイトルになったようだが、あまり本筋に関係のないエピソードで、それがなぜタイトルになったのだろうか。

あらすじはこんな感じ。

武田家の家宝・諏訪法性の兜を上杉家が返さないので両家は仲たがいをしていたが
和解のため、上杉の娘八重垣姫と、武田信玄の息子・武田勝頼の縁談が決まった。
そんなとき、将軍足利義晴が暗殺されるという事件がおきた。
武田晴信が犯人ではないかと疑われ、3年の間に犯人を見つけることができなければ嫡子勝頼の首を差しだすようにと求められた。
しかし3年がたっても犯人を見つけ出すことができず、勝頼の首を差し出すことになった。
武田家家老・板垣兵部はかつてこっそり自分の子供と勝頼をすりかえていたのだが、自分の子供の首を差し出すのは嫌だと思い、身代わりとして蓑作という者を連れてきた。
実は蓑作こそが本当の勝頼だった。
信玄はこれを見破り、偽の勝頼(兵部の子)は切腹した。

真の勝頼(箕作)は諏訪法性の兜を求めて甲斐から信濃へとやってきて、花作りに身をやつして上杉の屋敷に入った。
花作りが勝頼であることを見抜いた謙信は、勝頼を使いに出し、その帰りに討ち取ろうと考え刺客を送った。
謙信の娘・八重垣姫は蓑作の姿を見て「この方は勝頼にちがいない」と悟り、勝頼を助けるため、諏訪法性の兜に祈った。
「諏訪湖は凍っていて舟を出すこともできないのですが、なんとしても勝頼様にお知らせしたいのです、お助けください!」
すると諏訪明神の使いとされる白狐が現れ、八重垣姫が兜を頂くと、たくさんの狐火が燃えた。
狐が乗り移った八重垣姫は湖上を駆け抜けていった。

八重垣姫

④諏訪湖に表れた白狐の正体は御神渡りだった?

諏訪湖では冬の寒い日に「御神渡り(おみわたり)」という現象が起こることがある。


「御神渡り」とは 氷が盛り上がって、長い筋を作る現象のことである。
諏訪大社の御祭神・建御名方命(タケミナカタ)が下諏訪に住む八坂刀売命(ヤサカトメノミコト)に会いにいくときにできた足跡だと言い伝わっている。

「本朝二十四考 狐火の段」はこの伝説を元に作られたものだったのだ。
つまり武田勝頼はタケミナカタ、八重垣姫はサカトメノミコトのイメージと重ねられているのでしょう。
これにちなみ、諏訪湖には八重垣姫のブロンズ像がたてられているそうである。

この「御神渡り」ができるメカニズムは次のように考えられている。

①気温が下がると氷が収縮して裂け、そこに湖の水が入って結氷。
②気温が上昇すると氷が膨張し、裂け目の氷が持ち上げられる。

冷凍室にビンに入ったジュースを入れて、翌朝見てみるとビンが割れていたということがある。
なんでも、水は氷るときに膨張して体積が増えるそうである。
いったん凍ってしまった氷は、気温が下がると収縮し、気温があがると膨張するということだろうか?

タケミナカタは大国主神の次男である。

天照大神は葦原中国は自分の子孫が収めるべきだとし、葦原中国の大国主命のもとへタケミカヅチとフツヌシを派遣し、大国主神に「国を譲るように」と迫らせた。
大国主神は「自分の二人の息子に意見を聞いてくれ」と言った。
そこでタケミカヅチが大国主神の長男のコトシロヌシと次男のタケミナカタに「国を譲るように」と言うと
タケミカヅチは「承知した」と答えて海に入水した。
タケミナカタはタケミカヅチに力くらべを挑んだ。
タケミカヅチは手を氷に変え、さらに刀に変えて(ひえ~)、タケミナカタの手を潰して投げ飛ばした。
タケミナカタは諏訪湖まで逃げましたが逃げきれなくなり、ここから出ないこと、葦原中国は天照大神の子孫に譲ることを誓った。

タケミカヅチは手を氷に変え、さらに刀に変えたとあるところに注意して、もう一度、上の御神渡りの動画を見てほしい。
御神渡りは神様が渡った跡のようにも見えますが、たくさんの氷の刀が並んでいるようにも見える?

諏訪湖の御神渡りは、タケミカヅチがタケミナカタと闘った際に変身した氷の刀であるとも考えられていたのではないか。

すると「本朝廿四考 狐火の段」で八重垣姫の前にあらわれた諏訪明神の使いの白狐や狐火とは、諏訪湖にできた御神渡りのことではないかと思われる。

諏訪湖は長野にあるので、長野に伝わる「道案内をする白狐」の正体も諏訪明神であり、諏訪湖にできた御神渡りであるかもしれない。

鳥山石燕『画図百鬼夜行』より「狐火」

鳥山石燕『画図百鬼夜行』より「狐火」




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