
①人形の首はなぜとれるのか。高取土佐町は今も城下町の面影を残す美しい町である。
民家には古いひな人形が飾られ、町歩きをさらに楽しいものにしてくれる。
御殿飾り御殿飾りや七段飾りの立派な雛人形を見ていると、幼いころの雛祭の記憶が蘇ってきた。
うちにはこんな立派な雛人形はなかったが、雛人形を描いた古い掛け軸があり、それを洋服ダンスの扉にひっかけて雛祭を祝った。
なぜ洋服ダンスなのかといえば2kの団地住まいで床の間などはなく、掛け軸をかける場所がここしかなかったからだ。
それでも料理上手の母がちらし寿司を作ってくれ、家族みんなで歌を歌ったりした。
楽しい雛祭の思い出である。
お雛様とお内裏様は掛け軸の絵だったが、なぜか笑い上戸・怒り上戸・泣き上戸のみ人形があった。
父か母がどこかから貰ってきたのだろう。
この3体の人形は、掛け軸の前に小さなちゃぶ台を置いて飾っていた。

3月3日を過ぎても雛人形をしまわないでいると嫁に行き遅れるなどといわれ、3日の夜には早々に人形をしまったが、
人形をしまうとき、人形の首を抜いて和紙でくるんだ記憶がある。
収納スペースを節約するため首を抜いてしまうのかと思って気にもしなかったたが、よく考えてみれば気持ちの悪いことである。
なぜ雛人形の首は抜けるようになっているのだろうか。
人形の涙② 龍野ひなまつり 『首がとれる人形浄瑠璃の人形』 へつづく~
毎度、とんでも説におつきあいくださり、ありがとうございました!
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[ 2018/02/28 ]
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