とんでももののけ辞典118 烏天狗と鼻の高い天狗、鼻高仙人
①天狗、太郎坊天狗、磯天狗、 太陽・月を食べる天狗
私はいままでにたくさん天狗の記事を書いている。簡単にまとめておこう。
●天狗
舒明天皇九年(637年)の記事に次のような記述がある。
大きな星が東から西に流れ、雷に似た音がした。僧旻は 「あれは流星ではなく天狗(アマツキツネ)だ」 と言った。
天狗とは、流星、火球、彗星のことではないか。
天狗とは、流星、火球、彗星のことではないか。
・役行者と奈良時代の修行僧・雲遍上人が愛宕山で祈祷をしていると、大小合わせて9億余りの天狗で愛宕山は埋め尽くされた。
9億もの数の天狗(=流星)は流星群ではないか。
愛宕山信仰はお盆と関係が深い。(お盆の行事・松上げは愛宕山信仰からくるといわれる。)
お盆の時期に観測される流星群はペルセウス座流星群である。
9億もの数の天狗(=流星)は流星群ではないか。
愛宕山信仰はお盆と関係が深い。(お盆の行事・松上げは愛宕山信仰からくるといわれる。)
お盆の時期に観測される流星群はペルセウス座流星群である。
・愛宕山の天狗は全国各地の天狗の惣領(長男)格なので「太郎坊天狗」と呼ばれた。
空海の高弟であった僧が、惟喬親王と惟仁親王(後の清和天皇)の皇位争いの際に惟喬親王について、
惟仁親王についた天台僧と壮絶な呪詛合戦を繰り広げた末に敗北し、この恨みをはらすために天狗(怨霊)となって天皇家を脅かし続けたという。
太郎坊天狗とは惟喬親王そのもの、または惟喬親王についた真言宗(空海は真言宗の開祖なので)の僧侶のことだろう。
太郎坊天狗とは惟喬親王そのもの、または惟喬親王についた真言宗(空海は真言宗の開祖なので)の僧侶のことだろう。
・漁師が雨の夜に海に出たところ、大量の魚が採れたが、どこからか火の玉が飛来し、草鞋を頭に乗せて念仏を唱えたところ火の玉が消え、採った魚が無くなっていた。
『日本書紀』によれば637年に大流星があり、これを僧旻が 「あれは流星ではなく天狗(アマツキツネ)だ」 と言ったとある。
磯天狗とは磯に落ちてきた(ように見える)流星、または火球ではないか。
・海上に小さな白煙が回転しながら現れて次第に大きさを増し、竜巻のような凄まじい風と共に山へ飛来し、また飛び去ってゆく。
竜巻は瓦や鉄板を飛散させるので、石も飛散させるのだろう。
磯を形成する岩は天から降ってきた星であるだけでなく、竜巻が運んできたと古の人々は考えていたのかもしれない。
・日神と月神が、人間の起死回生の薬を盗んだので、人々は犬に日と月と追いかけさせた。
日神と月神は薬を飲んでいたので、犬が噛んでも死なないが、犬は追いかけて日月を食う。
そのため日食・月食がおこる。(中国の天狗食日食月信仰)
・記紀によれば、イザナギが左目を洗ったところ天照大神(日神)が、イザナギの右目を洗ったところ月読命(月神)が、鼻を洗ったところスサノオがうまれた。
一方陰陽道の宇宙観によると、東は太陽の定位置、西は月の定位置、中央は星とするのだという。
東は左、西は右である。(地図の側からみる)
つまり、イザナギの顔は宇宙(天)であり、イザナギの顔の中央にある鼻から生まれたスサノオは星の神であろう。
スサノオは天照大神にいたずらをし、これがきっかけで天照大神は天の岩屋戸に隠れてしまい、高天原は闇になった。
天照大神は天岩戸からでてきて、高天原には再び光がさすようになったが、スサノオは高天原を追放された。スサノオは天照大神と対立関係にあったのである。
・天津甕星と言う神がいる。不思議なことに記紀神話には星の神はこの天津甕星たった一柱しか登場しない。
そして、この天津甕星もまた天照大神と対立する神であり、天照大神の葦原中国平定に最後まで抵抗した神と記されている。
どうやら星の神は、天照大神に抵抗する神のようである。
天照大神に抵抗する神という点において、スサノオと天津甕星はイメージが重なる。二神は同一神ではないだろうか。
・なぜ星にくわれて日食・月食がおこるなどと言う伝説ができたのだろうか。
月食が起こって月が見えなくなると星がよく見える。
日食が起こると夜のように暗くなって星が見えると聞いたこともある。
当然流星も見えただろう。つまり星が日月の輝きを奪ったと昔の人は考え、それをを「犬が食べる」と表現して、このような伝説が作られたのではないだろうか。
⓶烏天狗と鼻の高い天狗
剣術に秀で、鞍馬山の烏天狗は幼少の牛若丸に剣を教えたともいわれている。また、神通力にも秀で、昔は都まで降りてきて猛威を振るったともされる。中世以降の日本では、天狗といえば猛禽類の姿の天狗のことを指し、鼻の高い天狗は、近世に入ってから主流となったものである[6]。
鼻の高い天狗はユダヤ人に喩えられることがある。
たしかにユダヤ人は鼻が高く、赤ら顔で、額にはテフリン(テフィリン)をにつけるがそれが日本の修験道の頭襟に似ているなどと言われる。
たしかにユダヤ人は鼻が高く、赤ら顔で、額にはテフリン(テフィリン)をにつけるがそれが日本の修験道の頭襟に似ているなどと言われる。
上の写真の烏天狗の額、下の絵に描かれた鼻の高い天狗の額にも頭襟がつけられている。
テフリンの画像はこちら→https://tobecatholic.org/%E3%83%A6%E3%83%80%E3%83%A4%E4%BA%BA%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%81%AE%E7%A5%88%E3%82%8A%E6%96%B9-2/
テフリンの画像はこちら→https://tobecatholic.org/%E3%83%A6%E3%83%80%E3%83%A4%E4%BA%BA%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%81%AE%E7%A5%88%E3%82%8A%E6%96%B9-2/
しかし、鼻の高い天狗の登場が近世だとすると、それをもって、日ユ道祖論を説くのはおかしいかもしれない。
秦氏の先祖である弓月君が日本にキリスト教とともに入ってきたとする説があるが、
弓月君が日本にやってきたのは応神天皇14年とされるので、5世紀頃だろうか。
そうであれば、もっと古い時代から鼻の高い天狗がいてしかるべきではないかと思ったりする。
天狗は流星を擬人化したものだと私は考えているので、天狗が空を飛ぶ烏のような姿をしているのは納得がいく。
しかし、鼻の高い天狗はどのようにして創作されたのだろうか。
上の絵では、天狗の下に鼻の長い象が描かれている。
聖天さんやガネーシャは象の頭を持っている。
秦氏の先祖である弓月君が日本にキリスト教とともに入ってきたとする説があるが、
弓月君が日本にやってきたのは応神天皇14年とされるので、5世紀頃だろうか。
そうであれば、もっと古い時代から鼻の高い天狗がいてしかるべきではないかと思ったりする。
天狗は流星を擬人化したものだと私は考えているので、天狗が空を飛ぶ烏のような姿をしているのは納得がいく。
しかし、鼻の高い天狗はどのようにして創作されたのだろうか。
上の絵では、天狗の下に鼻の長い象が描かれている。
聖天さんやガネーシャは象の頭を持っている。
歓喜天(聖天さん)
儀式で祀られるガネーシャ像 (ドイツ連邦共和国・ケルン)
女神パールヴァティーが、自らの垢を集めて人形を作り命を吹き込んだのがガネーシャ。
パールヴァティーが浴室に入っているとき、ガネーシャは父・シヴァの入室を拒んだため、首をはねられた。
シヴァはガネーシャが自分の子だと知って、切り捨てたガネーシャの頭を探しにいったがみつからず
象の首を斬り落としてガネーシャの体につけて復活させたのだという。
ということは、天狗の鼻が長いのは、象の頭をつけて復活したという事なのかもしれない。
天狗は流星の神であると同時に、ドクロの神だということなのかもしれない。
パールヴァティーが浴室に入っているとき、ガネーシャは父・シヴァの入室を拒んだため、首をはねられた。
シヴァはガネーシャが自分の子だと知って、切り捨てたガネーシャの頭を探しにいったがみつからず
象の首を斬り落としてガネーシャの体につけて復活させたのだという。
ということは、天狗の鼻が長いのは、象の頭をつけて復活したという事なのかもしれない。
天狗は流星の神であると同時に、ドクロの神だということなのかもしれない。
③鼻高仙人
もうひとつ、天狗が流星の神であるといえる理由がある。
奈良・霊山寺には次のような伝説がある。
もうひとつ、天狗が流星の神であるといえる理由がある。
奈良・霊山寺には次のような伝説がある。
小野妹子の子の小野富人は壬申の乱に関与したため、672年に右大臣を辞して、登美山に住んた。
684年、富人は熊野本宮大社に参篭した。
そのとき、薬師如来(熊野速玉大神の本地仏)が夢枕にあらわれて『薬湯を作り、病人をたすけよ』と告げた。
そこで富人は登美山に薬師如来を祀り、病人を癒すために薬湯を設けた。
人々は富人を登美仙人または鼻高仙人(びこうせんにん)と呼んだ。
728年、流星が宮中に落下するという事件がおき、阿倍内親王(のちの孝謙天皇)がノイローゼになった。
このとき、安倍内親王の父・聖武天皇の夢枕に鼻高仙人が現れ、「湯屋の薬師如来に祈れば治る」とお告げがあった。
聖武天皇は行基に登美山を参拝するよう、命じたところ、阿倍内親王の病は回復した。
734年、聖武天皇は行基に命じて大堂を造らせ、736年にインドバラモン僧の菩提僊那が寺名を霊山寺と名づけた。
壬申の乱は672年に勃発した内乱である。
天智天皇の皇子の大友皇子と、天智天皇の弟である大海人皇子が皇位継承をめぐって争い、大海人皇子が勝利して即位した。
敗れた大友皇子は自害した。
小野富人はこれに関与して右大臣を辞した、とあるので大友皇子側についたということだろう。
ところが、歴代右大臣のリストの中には小野富人の名前がない。
壬申の乱が起こったとき右大臣だったのは中臣金である。
伝説では小野富人は小野妹子の子であるとしている。
しかしウィキペディアで小野妹子を調べても、子として毛人・広人の名前はあがっているが、富人の名前はない。
672年、本当の右大臣だった中臣 金(なかとみ の かね/?- 672年)は中臣鎌足の従妹である。
大化の改新で功績をあげた鎌足の死後、中臣金が急速に出世して、671年に右大臣となった。
672年の壬申の乱(大友皇子vs大海人皇子)では中臣金は大友皇子側について戦っている。
しかし大友皇子側が敗れ、金は捕えられて処刑、金の子孫は流罪となった。
この中臣金が天智天皇の勅をうけて天智天皇御宇8年(669年?)に建立したと伝わる神社が滋賀県大津市大石中の佐久奈度神社である。
この佐久奈度神社の宝物に伊勢神宮より賜った神剣と鼻高面がある。
古より伊勢神宮を参拝する前に佐久奈度で禊ぎをする習慣があり、このような関係から伊勢神宮より賜ったものだとされる
鼻高面は赤い顔をした天狗の面である。
霊山寺の由来には「小野富人が672年に右大臣を辞して登美山にすみ、鼻高仙人と呼ばれた」とあった。
しかし672年右大臣だったのは小野富人ではなく中臣金だった。
さらに中臣金が創建した佐久奈度神社には伊勢神宮より賜った鼻高面がある。
そして佐久奈度神社の鼻高面は中臣金のイメージと重なる。
そして佐久奈度神社の鼻高面は中臣金のイメージと重なる。
中臣金=鼻高面
鼻高仙人と呼ばれた小野富人(鼻高仙人)と中臣金(鼻高面)は同一人物なのではないだろうか。
小野富人(鼻高仙人)=中臣金(鼻高面)
小野富人(鼻高仙人)=中臣金(鼻高面)
中臣金は672年に死亡しているが、小野富人はこの年から登美山に住んでいる。
登美山に住んだ小野富人とは、死んだ中臣金の霊なのかも?
「小野富人が薬湯を作った」とは「小野富人の霊が薬湯を作った」という意味だろう。
今でも、たとえば家を建てたとして、実際に家を建てる資金を調達したのは自分自身であるにもかかわらず、「死んだ父のおかげで家を建てることができた」などと言ったりする。
「728年、流星が宮中に落下するという事件がおき、阿倍内親王(のちの孝謙天皇)がノイローゼになった。」
「このとき、安倍内親王の父・聖武天皇の夢枕に現れた鼻高仙が現れ、「湯屋の薬師如来に祈れば治る」とお告げがあった。」
とあるが
この流星は小野富人(鼻高仙人)=中臣金(鼻高面)ではないだろうか。
この流星は小野富人(鼻高仙人)=中臣金(鼻高面)ではないだろうか。
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