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ナガスネヒコは去勢されていた?


1⃣ニギハヤヒを神と奉じるナガスネヒコ

初代神武天皇は日向に住んでいたが、あまりに国の端であるということを理由に東征の旅にでる。
その際、シオツチの翁が「東にはすでにニギハヤヒが天の磐船を操って天下っている」と発言している。
神武の軍は河内国の白肩の津に到着し、東に向かい胆駒山を経て中洲(うちつくに)へ入ろうとした。
ここで地元の長髄彦との闘いとなり、神武の軍は敗戦し、南に迂回して畿内入りする計画をたてる。
神武の軍は苦労の末、畿内に入り、再びナガスネヒコと対戦する。
ナガスネヒコはこういった。
「昔、ニギハヤヒと言う神が天の磐船に乗って天下り、天孫だと名乗った。
私はニギハヤヒを神と奉じ、私の妹のトミヤスヒメはニギハヤヒの妻となり、二人の間にはウマシマジノミコトという御子も生まれた。
天孫が二人もいるのはおかしい。あなたは偽物だ。」
そういってナガスネヒコはニギハヤヒが天孫であることを示す天羽羽(あめのはばや)と歩靫(かちゆき)を見せた。
すると神武も同じものを見せた。
ナガスネヒコはナガスネヒコが天孫であることに納得せず、戦いを止めようとしなかったので、ニギハヤヒが長髄彦を殺し、神武に服した。

記紀にはだいたいこういう内容が記されている。

ニギハヤヒは物部氏の祖神とされることから、神武以前、畿内には物部王朝があったのではないかという人もいる。

記紀に万世一系の天皇家にとって都合の悪いニギハヤヒとナガスネヒコのエピソードが掲載されているのは
記紀が成立した奈良時代、それは偽りようがないくらい事実として人々認識されていたのではないかとする説もある。

磐船神社

磐船神社 ご神体の天磐船 ニギハヤヒはこの天磐船にのって、天下ったと伝わる。

2⃣蝦夷の祖・アビヒコ

鎌倉~室町期成立の『曽我物語』には、「蝦夷の祖は鬼王安日(アビヒコ)」とする伝承が記されているそうである。

蝦夷とは現在の関東地方、東北地方、北海道、樺太に住む人々の蔑称である。

アビヒコはナガスネヒコの兄で、神武に敗れたナガスネヒコはアビヒコとともに青森県弘前に逃れたとか
アビヒコのみ津軽地方に流罪になったというのである。

ただし、これは記紀には記載がない。

安倍氏の祖はこの安日彦であるとする伝承がある。
故・安倍晋三氏の安倍家は 前九年の役で知られる安倍宗任の子孫であると言い伝わっているそうである。

3⃣オセドウ貝塚の古人骨

青森県五所川原市相内にオセドウ貝塚がある。
縄文時代前期~中期の遺跡と考えられている。
このオセドウ貝塚から大正12年に人骨が発見されている。

大正12年に村人によって、発掘された人骨を「オセドウ貝塚人骨」として詳しく報告されている。
(筆者注一博士は、人類学者である。)

*その特徴は、
(1)壮年男子である。
(2)歯の摩耗は、少ない。
(3)縫合の連結が進んでいる。
(4)死因は、頭部の皮膚疾患か、損傷による骨膜炎症かである。
(5)眉間隆起は、普通である。
(6)短頭である。
(7)歯のかみ合いは、下歯と上歯とがきちんとかみ合っている。
(8)鰐の突出が弱く抜歯していない。
(9) 長すね骨である。
⑩顔部の諸特徴は、石器時代人の通有性に近い、(以下、略)、さらに考察が加えられてい
るが省略する。

「(9) 長すね骨である。」というのは、「脛の骨が長い」ということだろうか。

写真は、上記記事の4pにある。

4⃣ナガスネヒコとオセドウ貝塚は時代があわない?

オセドウ貝塚から発見された古人骨はナガスネヒコのものではないかという記事も多数みつかる。
しかし私は「この骨をナガスネヒコのものだとする」のは少し抵抗がある。

オセドウ貝塚は縄文前期~中期の遺跡である。
縄文時代は13000年くらい前から2300年くらい前の時代である。

ここから発見された古人骨をナガスネヒコの骨とするには時期が早すぎるように思えるからだ。

記紀によれば神武天皇が即位したのは紀元前660年。
しかし、古代の天皇は100歳を超える長寿であるわりに事績が少ないなどそのまま信用できないとし
欠史八代といって、第2代綏靖天皇から第9代開化天皇までの8代の天皇は存在しなかったとする説などがある。

魏志倭人伝などに邪馬台国が登場するのは3世紀。
神武、ニギハヤヒ、ナガスネヒコが実在していたとすれば、早くても3世紀を少し遡ったぐらいの時代ではないだろうか。

ちなみに私は神武・崇神・応神の三天皇は同一人物であり、
邪馬台国は大和、卑弥呼は日女命で倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)の事ではないかと考えている。
倭迹迹日百襲姫命の墓とされる箸墓は後円部の大きさが魏志倭人伝に記された卑弥呼の墓とほぼ同じ大きさである。


(箸墓は前方後円墳、魏志倭人伝には円墳と記されているので箸墓は卑弥呼の墓ではないとする説もある。)
籠神社の系図では、始祖・彦火明命の9代目の孫に日女命(ひめのみこと)とあり、「またの名を倭迹迹日百襲姫命」とある。
籠神社では彦火明命はニギハヤヒの別名としている。
そして魏志倭人伝に登場する卑弥呼は日女命(ひめのみこと)に別の漢字をあてたものではないかとする説があり、
日女命は物部氏の祖神・ニギハヤヒの9代目の孫なので、物部王朝の女王ということになる。

卑弥呼には男弟があると魏志倭人伝は記しているが、この男弟は大物主命ではないかと思う。
倭迹迹日百襲姫命のもとに通っていた神が大物主で、大物主の正体が蛇であることを知っておどろいた倭迹迹日百襲姫命は
杼でほとをついて死んだという伝説がある。
近親相姦じゃん、といわれるかもしれないが、古代には血の純潔を守るため、同複の姉弟、兄妹の結婚は当たり前だったとする説がある。
古代エジプトでも兄弟姉妹婚は当たり前にあった。

大物主の物は物部氏の物ではないか。
大物主を祀る大神神社は本殿をもたず、拝殿より直接ご神体である三輪山を拝する古い祭祀スタイルの神社だが
物部氏が本拠地としていた大阪府交野市・枚方市付近には拝殿のみで、本殿を持たない神社がいくつかある。
ニギハヤヒを祀る磐船神社、星田妙見宮、交埜神社の境外社・瘡神社 など。
本殿をもたないのは物部氏の祭祀スタイルであるかもしれない。
とすれば、大物主神とは物部氏の神だということになる。

卑弥呼と仲の悪い狗奴国の男王・卑弥弓呼は「日の命(みこと)」で、日向からやってきた神武=崇神ではないかと思う。
崇神天皇の和風諡号のひとつに「ミマキイリヒコイニエ」というのがあるが、名前の中の「イリ」は入り婿の入りだとする説がある。
狗奴国の男王卑弥弓呼は邪馬台国の入り婿となることで邪馬台国をのっとり、邪馬台国の男王としてたったのではないだろうか。
神武の皇后・ヒメタタライスズヒメは大物主または事代主の娘とされることに注意してほしい。
先ほど私は「大物主は物部氏の神ではないか」と書いた。
神武は日向から東征して畿内入りして、物部王朝の王の妻を皇后にしたのだと考えられる。

話が長くなったが、この推理が正しければ、神武=崇神と戦ったナガスネヒコとは邪馬台国があった3世紀ごろの人物ということになる。
縄文時代初期~中期のオセドウ貝塚とは時代があわない。

5⃣オセドウ貝塚古人骨は少年期に去勢されていた?

オセドウ貝塚古人骨をネットで調べると、「身長が2mある」とでてくるのだが、上の報告に身長は記されていない。
本当に2mもあるのだろうか。

平成2年次点では市浦村歴史民族資料館に展示されているとある。
ぜひ見にいってみたいが、大阪から青森はちと遠い。

そういうわけで確認ができていないが、本当に2mあったとしよう。
栄養状態がいまよりも悪かったと思われる縄文時代になぜそんな大男がいたのだろうか。
(性別については報告書に、(1)壮年男子である。と書いてある。)

ある時、私はカストラートについて調べていた。
カストラートとは近代以前のヨーロッパで流行した去勢された男性歌手のことだ。


声変わり前の男児を去勢し、男性ホルモンの分泌を抑制すると、大人になってもボーイソプラノが維持できるという。
成長ホルモンは分泌されるため、通常の男性と同じように成長し、
肺活量などは成人男性とほとんど変わらなかったらしい。
ということは、声は少年のままでも息がながく、声量があったということだろうか。

カストラートが登場したのは、1550年 - 1600年ごろのローマといわれる。
1878年、ローマ教皇レオ13世が、人道的でないとして、カストラートを禁じ、カストラートの歴史はとじられた。

「成長ホルモンは分泌されるため、通常の男性と同じように成長し、」と書いたが、こんなことを書いてある記事がみつかる。

映画『カストラート』というのがあります。バロック時代に実在した史上最高のカストラートと称されたファリネッリの生涯を描いた伝記映画(1994年作)です。背が高く(去勢されたために男性ホルモンが軟骨閉鎖をおこさないため高身長になることが多い)ハンサムなファリネッリが、舞台で朗々と歌うと(肺活量が多く、かつ歌唱技術により1分間息継ぎしないで歌えたらしい)、男たちを、国王を魅了し、淑女もあまりの美声に興奮して気絶してしまう場面が印象的でしたね。
https://wcf-reproduction.com/blog/detail.php?seq=19 より引用



 イタリア・パドヴァ大学の研究チームが、19世紀に活躍したカストラート歌手ガスパーレ・パッキェロッティの遺骨を解剖学的に精査したと、6月28日付の「Daily Mail」が報じている。
~略~
 カストラート歌手は、下肢が長く、長身であると言われてきたが、今回発掘されたパッキェロッティも、大腿骨並びに頸骨が大きく、身長191センチメートルもの巨体であったと推定された。また、上腕骨も大きく発達しており、身長に加え、四肢すべてが常人を凌駕していたようだ。

 去勢の痕跡はそれだけではない。通常は35歳ごろに消失するはずの骨盤の骨の一部である腸骨稜にみられる骨端線が、81歳で亡くなったはずのパッキェロッティに残っていたそうだ。他にも、CTスキャンにより、パッキェロッティが、骨粗しょう症を発症し、脊椎を骨折していたことも分かった。これらは去勢によりホルモンのバランスを崩した結果だとみられている。
https://www.excite.co.jp/news/article/Tocana_201606_post_10183/ より引用

オセドウ貝塚古人骨は少年期に故意、または事故などによって去勢された骨ではないのか?(本当に身長が2mもあるのなら、だが)

6⃣ナガスネヒコは去勢されていた?

ナガスネヒコはなぜナガスネヒコという名前なのだろうか。

オオヤマツミはニニギに娘の姉妹・コノハナノサクヤヒメとイワナガヒメをニニギの妻として差し出したのだが、
面食いのニニギは美しいコノハナノサクヤヒメだけを妻とし、醜いイワナガヒメは返してしまった。
オオヤマツミは、「イワナガヒメは永遠の命を、コノハナノサクヤヒメは繁栄をねがって差し上げたのに、イワナガヒメを返してしまったので、命は短くなるだろう」と言ったという。
このように神の名前は神の性質を表している場合がある。
この話の場合、イワナガヒメは「岩のような永遠の命の神」、コノハナノサクヤヒメは「花のような繁栄の神」だ。

とすれば、ナガスネヒコは脚が長い神ということだろう。

なぜナガスネヒコは脚が長いのか。
それはカストラートのように少年期に去勢した(または去勢された)からではないか?

脚が長いというだけで、少年期に去勢したというのは、あまりに安直だと言われそうだ。(笑)

しかし、もう一点、気になる点がある。
ナガスネヒコはニギハヤヒに妹のトミヤスヒメを嫁がせている。
なぜナガスネヒコは自分の娘ではなく、妹を嫁がせたのだろうか。
ナガスネヒコには息子しかいなかったのか。もちろん、それはありえる。
しかし、ナガスネヒコに子供がなかった、とも考えられる。
つまり、ナガスネヒコは少年期に去勢していたため、子をなす能力がなかったのではないかということだ。

もちろん、これも安直な考えではあるが、可能性がないともいえない。

古代の日本は中国から様々な文化、風習をとりいれたが、宦官はいなかったといわれる。
しかし、はるか昔には宦官のような風習があったのかも❔

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