建築の神が住む町① 北野廃寺『北野廃寺は蜂岡寺跡?それとも野寺跡?』
北野白梅町駅の東北の角に京都信用金庫がある。
その京都信用銀行の南側、今出川通りに面したところに、小さな石碑があり「北野廃寺跡」と記されている。

1936年、市電西大路線(市電西大路戦は1978年に廃業)敷設に伴い発掘調査が行われた結果、大規模な寺跡が発見された。。
塔、金堂、講堂、鐘楼、経蔵、歩廊、中門、西南別院が立ち並ぶ大伽藍で、寺域は石碑前の交差点を中心として225m四方に及んでいたとみられている。
北野廃寺跡は、飛鳥時代に創建された寺跡とされ、蜂岡寺の跡であるとする説、野寺の跡とする説がある。
②北野廃寺=蜂岡寺説
蜂岡寺とは現在太秦にある広隆寺の前身とされる寺である。
北野廃寺を蜂岡寺跡とする説の根拠は、ここから「鵤室(いかるがむろ)」と墨書された灰釉陶器が発見されたことによる。
字は異なるが、奈良には斑鳩(いかるが)という地名があり、世界最古の木造建造物とされる法隆寺がある。
法隆寺は聖徳太子が創建したと伝えられている。
そして広隆寺は飛鳥時代に秦河勝が聖徳太子より授かった仏像を安置するために建てたと伝わっている。
広隆寺は現在は太秦にあるが、もともとは別の場所にあり鉢岡寺という寺名だった。
「鵤室」と記された陶器があるのは、蜂岡寺が法隆寺と同じ聖徳太子ゆかりの寺であるためだというのだ。

広隆寺
広隆寺には国宝第1号の有名な弥勒菩薩半跏思惟像がある。
秦河勝が聖徳太子から授かった仏像とはこの像のことなのかもしれない。
https://commons.wikimedia.org/wiki/File%3AMaitreya_Koryuji.JPG
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/62/Maitreya_Koryuji.JPG よりお借りしました。
作者 日本語: 小川晴暘 上野直昭 English: OGAWA SEIYOU and UENO NAOAKI [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由で
③北野廃寺=野寺説
北野廃寺を野寺跡とする説の根拠は、「野寺」と墨書された平安時代前期の土師器が見つかったことによる。
野寺は別名を常住寺ともいい、日本後記に寺名が記載されている。
884年に焼失、復興されたが室町時代に廃寺となっている。
大勢の人が北野廃寺跡と記された石碑の前を通り過ぎていくが、誰一人その石碑を気に留めようとしない。
この誰も気に留めない小さな石碑が新たな旅のスタート地点だった。
建築の神が住む町② 北野天満宮 梅 『梅は1月1日と2月3日の誕生花』 へ続く~
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