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トンデモもののけ辞典111 蟹坊主


1⃣蟹坊主

山梨県山梨市万力の長源寺には、以下の伝説が伝えられている。かつて甲斐国万力村にあった同寺の住職のもとを雲水が訪ねて問答を申し込み、「両足八足、横行自在にして眼、天を差す時如何」と問うた。答に詰まる住職を雲水は殴り殺し、立ち去った。その後も代々の住職が同様に死に、とうとう寺は無人となった。話を聞いた法印という旅の僧がここに泊まったところ、例の雲水が訪ねて来て同様の問答を仕掛けたので「お前はカニだろう」と言って独鈷を投げつけると、雲水は巨大なカニの正体を現し、砕けた甲羅から血を流しつつ逃げ去った。以来、寺には何も起こることはなくなったという[1]。このカニの大きさは2間四方とも[2]、全長4メートルともいわれる[3]。
別説では、法印が寺に泊まると、夜中に身長3メートルもある怪僧が現れて問答を仕掛けたが、正体を見破られた上に独鈷で刺されて逃げ去り、翌朝に法印が村人たちと共に血痕を辿ると、そこには巨大なカニが死んでいたという[4]。また、長源寺の本尊は千手観音だが、このカニの死体から千手観音の姿が現れ、法印がそれに感激して千手観音を寺の本尊に祀ったとも[2]、法印は救蟹法師(きゅうかいほうし)と名を改めて寺の住職となったともいう[5][6]。
なお長源寺の山号は蟹沢山というが、享保11年(1726年)までの山号は富向山といっていたため、蟹坊主の伝説が語られたのは享保11年より後と考えられている[5]。長源寺ではこの化蟹伝説に基いた1885年(明治18年)作成の「救蟹伝説掛軸」二幅が伝来している。
この伝説にちなみ、カニが逃げ去ったといわれる場所には蟹追い坂、蟹沢といった地名が残されており、長源寺にはカニの爪跡とされる2つの穴があいた石や、カニが投げつけたという1メートル以上もの巨石などが残されている[7]。かつてはカニの甲羅も残されていたというが[6]、後に紛失している[5][7]。
長源寺と同様に、無人の寺に泊まった旅の僧にカニの化け物が問答をしかけ、僧がこれを暴いて退治するという伝説や昔話は、石川県珠洲市の永禅寺[8]、富山県小矢部市の本叡寺などに見られ、小矢部市には伝説にちなんで「北蟹谷」の名が残されている[9]。岩手県西磐井郡花泉町(現・一関市)の伝承では、甲橋という橋で巨大なカニが僧に化けて問答をしかけたが、寛法寺という寺の住職に鉄扇で退治されたという[10]。このような問答を仕掛けるカニの化け物の話は、狂言の『蟹山伏[11]』がルーツとされる[4]。

長いので内容をまとめておこう。

・雲水は長源寺(山梨県山梨市万力)の住職に「両足八足、横行自在にして眼、天を差す時如何」と問うた。
答に詰まる住職を雲水は殴り殺した。その後も代々の住職が同様に殺された。
そこで法印という旅の僧が長源寺に宿泊したところ、雲水が訪ねて来て同様の質問をした。
訪印が「お前はカニだろう」と言って独鈷を投げつけると、雲水は巨大なカニ(2間四方または全長4メートル)に変身し、血を流して逃げた。
正体を見破られた雲水が逃げ、血痕を辿ると、巨大なカニが死んでいたともいう。

・カニの死体から千手観音の姿が現れ、祭ったのが長源寺の御本尊の千手観音だとされる。

・長源寺の山号は蟹沢山というが、享保11年(1726年)までの山号は富向山だったため
蟹坊主伝説は享保11年より後に生じたと考えられている。

・永禅寺(石川県珠洲市)、本叡寺(富山県小矢部市)にも同様の話が伝わっている。

・岩手県西磐井郡花泉町(現・一関市)の甲橋という橋で巨大なカニが僧に化けて問答をしかけたが、寛法寺という寺の住職に鉄扇で退治されたと伝わる。

・とカニの妖怪の話は、狂言の『蟹山伏』がルーツとされる。

2⃣蟹山伏

狂言の曲名。山伏狂言。修行を終えた山伏が強力(ごうりき)をしたがえて帰国の途中,蟹の精が飛び出してきたのに出会う。強力が金剛杖で打ちかかると,かえってはさみで耳をはさまれてしまう。山伏が行法で離してやろうとさまざまに祈るが,蟹の精は反対に強力の耳を強く締めつけ,ついには山伏の耳まではさんでしまう。蟹の精はころあいを見はからって2人を突き倒して逃げ去り,あとを山伏主従が追い込む


3⃣カニの姿をした千手観音

長源寺のご本尊の写真はこちら↓

腕の付き方がカニの脚のように見える。
 
25541674_s.jpg

滋賀県長浜市の高月観音の里には珍しい千手千足観音がおられるが、この観音様は二体のカニが合体した観音様ではないかと思う。

これは蟹の交尾を撮影したものとのこと。

男女双体の神としては、歓喜天などがある。

歓喜天

聖天(歓喜天)

4⃣蟹満寺

蟹といえば、京都府木津川市にある蟹満寺を思い出す。
蟹満寺には次のような伝説が伝えられている。

昔、この地に住む娘が近所の人がとらえた蟹をたすけて逃した。
その後、この娘の父親が、蛇が蛙を飲み込もうとしているところに遭遇した。
父親は蛇に「自分の娘をあなたの嫁としてさしだすので、蛙を助けてあげてほしい」といった。
蛇は蛙を飲み込むのをやめ、夜になって娘をもらうためにやってきた。
娘の父親は「3日後にきてくれれば娘をさしあげる」といい、観音経を唱え続けた。
すると蟹が大勢の仲間を引き連れてやってきて、蛇を殺した。
蟹もまた死んでしまい、蟹と蛇を弔うために蟹満寺が建てられた。

蟹満寺

蟹満寺 

今昔物語集等に掲載されている「蟹の恩返し」の舞台が蟹満寺である。

寺の所在地の地は名綺田(かばた)というが、古には「蟹幡」「加波多」と書いて「カニハタ」「カムハタ」と読まれていたようだ。
「ハタ」という音をともなっているところをみると、秦氏と関係のあるお寺なのかもしれない。

私はこの蟹満寺を参拝したことがあるが、ご本尊は釈迦如来像だった。
しかし観音霊験説話であること、当時の山号の普門山も法華経の観世音菩薩普門品に因むものであることから、当寺の本来の本尊は観音菩薩であったと考えられている。

娘を助けた蟹は観音様の化身なのではないだろうか。

5⃣みほとけの化身として信仰されたタコ

↓ こちらは京都の新京極通にある蛸薬師堂(永福寺)の「なで薬師」である。

nade.jpg

蛸薬師 なで薬師

この「なで薬師」さんを左手で撫でると病治癒に霊験があると信仰されている。

また大阪府岸和田市には天性寺というお寺があり、「蛸地蔵」と呼ばれている。

どうも蟹だけでなく、タコもみほとけの化身であると考えられていたようだ。

6⃣イカの神もいた!

蛸に似た動物にイカがある。
イカも神仏として信仰されていたのだろうか?

そう思って調べてみたところ
島根県西ノ島町浦郷地区にある「由良比女神社」に「イカ寄せ浜の伝説」が伝えられているという。

国づくりの神・由良比女命が出雲大社へ出かけ、芋桶に乗って隠岐へ帰る際、海に浸した手にイカが噛み付いた。
イカはそのおわびとして、神社前の由良の浜に大群でやってくる。
昭和20年代までは、大群でやってきたイカを捕獲する人々の姿が見られたとのこと。

明治まで神仏は習合して信仰されていたのでイカを神格化したみほとけが西ノ島にあるかもしれない。

7⃣みほとけは動物の形を象ったもの?

私はみほとけは動物の形を象った姿に造られることが多いのではないかと思っている。
これについてはこちらの記事でのべる。 → 動物の形をしたみほとけたち




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