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トンデモもののけ辞典109 帷子辻

竹原春泉画『絵本百物語』より「帷子辻」

竹原春泉画『絵本百物語』より「帷子辻」

1⃣帷子辻

平安時代初期、嵯峨天皇の皇后であった橘嘉智子(たちばなの かちこ、786年 - 850年)は仏教の信仰が厚く、檀林寺[3]を建立したことから「檀林皇后」と呼ばれた。また貴族の子弟教育のために学館院を設けるなど、多くの功績があった[4]。
伝説によると、檀林皇后はすばらしい美貌の持ち主でもあり、恋慕する人々が後を絶たず、修行中の若い僧侶たちでさえ心を動かされるほどであった。こうした状況を長く憂いてきた皇后は、自らが深く帰依する仏教の教えに説かれる、この世は無常であり、すべてのものは移り変わって、永遠なるものは一つも無い、という「諸行無常」の真理を自らの身をもって示して人々の心に菩提心(覚りを求める心)を呼び起こそうと、死に臨んで、自分の亡骸は埋葬せず、どこかの辻に打ち棄てよと遺言した。
遺言は守られ、皇后の遺体は辻に遺棄されたが、日に日に腐り、犬やカラスの餌食となって醜く無残な姿で横たわり、白骨となって朽ち果てた。人々はその様子を見て世の無常を心に刻み、僧たちも妄念を捨てて修行に打ち込んだという。皇后の遺体が置かれた場所が、以後「帷子辻」と呼ばれた場所である[4]。一説には皇后の経帷子(死装束)に因んだ名とされる[5]。
「九相図」(九相詩絵巻)[6]は檀林皇后(または小野小町等)の遺体が朽ち果てる様を九つの絵で描いたものとされる。
また詩書には「檀林皇后の御尊骸を捨てし故にや、今も折ふしごとに女の死がい見へて、犬鳥などのくらふさまの見ゆるとぞ、いぶかしき事になん[7]」とある。この意味について「もともと帷子辻は、こうして自らをなげうって人々の魂を救済しようとした檀林皇后の遺志の源であったはずであるが、その後この辻を通りかかると、犬やカラスに食い荒らされる女の死体の幻影が見えると恐れられるようになった[8]」との解釈もあるが、「後にも檀林皇后の例に倣い、女の死体が捨てられることがある」との意味に解釈すれば怪異でも何でもない、との指摘もある[9]。

2⃣帷子の辻はどこだ?

檀林寺は橘嘉智子が嵯峨野に創建した寺で、現在、天龍寺がある場所にあったという。
一条天皇:(在位986~1011)のころ、廃絶したと考えられている。
の頃には廃絶したとみられる。
現在、天龍寺の近所に法寳閣檀林寺があるが、1964年に壇林皇后の遺徳を偲んで再興されたものである。

橘嘉智子の遺体が朽ちていく様子を描いた九相図は東山区・六道の辻にある西福寺で見た。

九相図

帷子の辻の場所はこちら↓


辻とは十字路のことだが、どこが帷子の辻なのだろうか?

こんな記事があった。

彼女が亡くなった時に棺にかけられていたのが、絹や麻糸で織った着物(帷子)でした、お葬式の際にこのあたりを通った時に、三条通と交わる辻(交差点)で帷子が風に舞ってはらりと落ちたことから、このあたりが帷子ノ辻と呼ばれるようになったそうです。

三角形の形をした太秦帷子の辻町の東の角、112と数字のある道が三条通である。
つまり三角形の角のように鋭くとがった角のある場所が、帷子の辻だと思われる。
昔からこの角があったのだろうか。

とすればこの特徴的な交差点の形が帷子の辻という地名の由来ではないかと思えてくる。

友人は死装束の天冠のイメージから、死装束である経帷子の辻・・・・帷子の辻となったのではないかという。
また帷子で画像検索すると、下のように帷子を広げて三角状にした写真がたくさんでてくる。

https://maruai.up.seesaa.net/image/Picture20989.png

千本閻魔堂狂言 

千本閻魔堂狂言で亡者が額に着けている天冠

3⃣橘嘉智子の系譜

橘嘉智子の墓は右京区嵯峨鳥居本深谷町にある。
わずかに残った骨だけを葬ったとも考えられるが、「橘嘉智子の遺体が帷子ノ辻に打ち捨てられた」というのは事実ではないだろう。
皇后の遺体を粗末に扱うというのはちょっと信用できないからだ。

それでは橘嘉智子にまつわるこんな伝説が、なぜ創作されたのだろうか。

若宮社の橘諸兄(684~757)は敏達天皇の5世(もしくは4世)子孫で葛城王といった。
父親は美努王、母親は橘美千代である。
736年、橘諸兄は、弟の佐為王と共に母・橘三千代の姓氏である橘宿禰を継ぐことを願い出て許され、
葛城王はこれ以後、橘諸兄と称した。

橘三千代は夫の美努王が大宰府に単身赴任しているすきに藤原不比等と再婚して光明皇后を産んでいる。
光明皇后は橘諸兄の異父妹なのである。
737年、天然痘が流行し、藤原不比等の子である藤原四兄弟や舎人親王ら多くの政府高官が死亡した。
738年、こういった情況下で橘諸兄は右大臣となり、743年には左大臣になった。

755年、諸兄の従者が『諸兄は酒宴の席で朝廷を誹謗した』と讒言をした。
聖武太上天皇は問題視しなかったが756年、これを恥じた諸兄は辞職し、翌757年死亡している。
このころ、光明皇后の信任を得た藤原仲麻呂が勢力を伸ばしており、この事件には仲麻呂の思惑が働いていたのではないかと思われる。

758年、橘諸兄の子である奈良麻呂は藤原仲麻呂の専横に不満を持ち、クーデターを計画したが密告によって捕らえられた。
このクーデター計画にかかわった多くの人が厳しい拷問によって死亡している。
続日本紀の拷問死した人物の記述の中に、奈良麻呂の名は記されていないが、やはり拷問死したと考えられている。

奈良麻呂の子の橘清友は、777年に渤海大使都蒙を接待したとき、
『骨相から見るとあなたの子孫は繁栄するが、あなた自身は32歳で厄があるでしょう』
といわれ、その予言どおりに32歳で死亡した。

この橘清友の娘が橘嘉智子である。


4⃣承和の変

『骨相から見るとあなたの子孫は繁栄するが、あなた自身は32歳で厄があるでしょう』という予言どおり、橘清友の子孫は繁栄した。

娘の橘嘉智子は嵯峨天皇の皇后となり、橘嘉智子が生んだ正良親王は54代仁明天皇に、正子内親王は53代淳和天皇の皇后となった。
橘嘉智子の息子の橘嘉智子の正良親王は藤原順子との間に道康親王をもうけた。
橘嘉智子の娘の正子内親王は淳和天皇の皇后となり、恒貞親王をもうけた。

833年、正子内親王の夫・淳和天皇は、正子内親王の弟・正良親王(仁明天皇)に譲位した。
仁明天皇の皇太子には、淳和天皇と正子内親王の間に生まれた恒貞親王が立った。

このころ、藤原北家の藤原良房が嵯峨上皇と皇太后橘嘉智子(檀林皇太后)の信任を得て権力を強めつつあった。
良房は恒貞親王ではなく、仁明天皇(正良親王)と妹順子の間にできた道康親王の皇位継承を望んでいた。

淳和上皇と恒貞親王はしばしば皇太子辞退を奏請しているが、それはおそらく良房を恐れてのことだろう。
しかし、恒貞親王の皇太子辞退は嵯峨上皇に慰留されていた。

840年、淳和上皇が崩御し、842年嵯峨上皇が病に伏せると、後ろ盾をなくした恒貞親王は不安定な立場に立たされる。
伴健岑と橘逸勢(橘嘉智子の従兄弟)は恒貞親王の身を案じて恒貞親王を東国へ移す計画をたてた。
ふたりはこの計画を安保親王(第51代平城天皇の皇子。在原業平の父)に相談するが、阿保親王はこれに与せず、橘嘉智子に密告した。
さらに橘嘉智子がこれを藤原良房に相談し、仁明天皇は伴健岑・橘逸勢らを逮捕した。恒貞親王は廃太子となる。
橘逸勢は姓・官位を剥奪、『非人』の姓を与えられて流罪になり、その護送途中に病没した。(承和の変)

従来『承和の変』は藤原良房による他氏排斥だと考えられていたが、当時良房はまだ中納言で第六位の身分にすぎなかった。
そんな良房がひとりでこんな事件を起こせるはずがない、仁明天皇や橘嘉智子もこの事件に深く関与しているのではないか、と言う説が近年となえられている。

『日本三代実録』によれば、恒貞親王の母・正子内親王は激しく怒り泣いて母・嘉智子太皇太后を恨んだとも記されています。
橘嘉智子は自分の孫の繁栄を願って仁明天皇と藤原順子の間に生まれた道康親王の立太子を画策したのだろう。
しかし、道康親王の立太子は適ったものの、橘氏はその後ぱっとせず、藤原氏の栄華の手助けをしたに過ぎなかったという結果に。
しかも橘嘉智子はそのために娘の正子内親王の恨みを買い、孫の恒貞親王を犠牲にしてしまっている。

橘氏の没落を招いたのは橘嘉智子だったといえるかもしれない。

橘嘉智子は我が国最初の禅寺である檀林寺を創建し、奨学・養老・施薬の施設をととのえるなど、大変信仰心の厚い女性であったとされる。
私は橘嘉智子が深く仏教に帰依したのは、自らの罪の重さにおののいたためではないかと思う。

「諸行無常」の真理を自らの身をもって示して人々の心に菩提心(覚りを求める心)を呼び起こそうと、死に臨んで、自分の亡骸は埋葬せず、どこかの辻に打ち棄てよと遺言した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%B7%E5%AD%90%E8%BE%BB より引用

というのは、橘嘉智子の行動(孫の恒貞親王を廃太子によって、正子内親王の恨みを買い、橘氏を没落させたなど)が背景に会って、生み出されたのかもしれない。


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